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最終話 (1) 『愚者と案山子は論議を交わす』

 放課後。この時間に人が居ない場所となれば必然的に絞られてくる。

 僕は礼拝堂を選んだ。

 前に暗号を解読した時、人が全く来なかったからだ。

 教員室で借りてきた鍵を差し込み、軽くひねる。

 かちり、と音がして、扉は開いた。


「先どうぞ」


 夢莉さんは黙って頷くと、中へ入っていった。

 僕もその後に続こうとして、ふと扉の横にある歴代の集合写真に目が行った。

 この学院の設立当初から、毎年撮影されている全校写真は壁一面に飾られていて、礼拝堂の隣という事もあってか、どこか厳かな雰囲気を醸し出している。

 僕はまだ、ここに飾られているどの写真にも写っていない。

 五月に転入してきたのだから、四月に撮影する全校写真の行事に参加できなかったのは当然だ。


 だけど。


 今年の全校写真には、僕以外にも映っていない人物がいる。

 夢莉さんだ。

 それが何を意味するのか。それが何を僕に伝えてくれたのか。

 今ここで、詳らかに明かそう。

 僕は視線を礼拝堂の中に向けて、一歩足を踏み入れた。



◆◆◆



 カナタが礼拝堂へと入っていったのを確認した私は、礼拝堂横の階段を上がった。

 静かな吹き抜け階段に、私の足音がいやに大きく響く。


「やはり、そこに居たか」


 階段を上った先、剣道場前。

 滅多に人の訪れないその場所に、礼拝堂の入り口を見下ろせる、その場所に彼女はいた。


 私は改めてその顔を見つめた。あぁ、

 こんな顔だった、と手を鳴らす思いでもあったし、こんな顔だっただろうか、と小首をかしげる思いでもあった。


 飛び抜けた美人ではない。少なくとも、パーツ一つ一つで言えば、あちらの七々扇夢莉の方が整っている。だが……彼女は魅力的だった。


 いたずらっぽい光を湛えたネコっぽい目は片方だけ二重で、そのアンバランスさが、両腕のないミロのヴィーナスの様な美しさを体現している。きゅっと上がった口角が作り出す笑みは、誰もが気を許してしまいそうな温かさを湛えている。


 そしてなにより、大きく張り出した胸と尻、そしてきゅっとくびれた腰付きは、思春期の男子にはあまりにも目に毒だ。高校生とは思えないほどの色香を湛えた彼女は、唇をぺろりと舐め、話し出した。


「やっほー、麗華さん。来てくれて嬉しいよ」

「あんな風に呼び出されたのでは、来ない訳にはいくまいよ」


 遠くで誰かの笑い声が聞こえた。

 それは厚い厚いフィルターがかかったようにくぐもって聞こえた。

 私と彼女がいる空間は、まるで周りから隔離されている様に、静かで、重くて、張りつめている様に思えた。


 さぁ。はじめると、しようか。


 これは私と、七々扇夢莉の。


 水面下で起きていた。


 舞台裏で起きていた。


 誰も知る事のない、静かな攻防戦のお話だ。

 


◆◆◆



 礼拝堂の中で、僕は彼女と相対した。


「最初に聞きたいことがあるんだ」

「なんでしょうか」


 夢莉さんだった人は、機械的で無機質な声でそう言った。

 きっとこれが彼女の素なのだろう。春を体現したみたいな夢莉さんとは対極にある、冬の、どこまでも白く白い雪景色を彷彿とさせる。


「僕は君の事をなんて呼べばいいかな」

「お好きなように呼んでもらっても構いませんが……そうですね。では、アイ、とお呼びください」

「アイ、か」


 アイ。


 あい。


 I。


 愛にして哀。


 I(現)にしてi(虚)。


 なんて悲しい名前だろうと思った。

 相反する二つの事象を内包した、存在するようでいて、それでいて存在しないような。

 お前はそうあるべきなのだと、刻み付けられているような。

 そんな、呼称。


「答え合わせをしますか?」

「うん、そうだね」


 少し前まで、夢莉さんとやっていたみたいに。

 今はもういない夢莉さんと謎解きをしていた時と同じように。

 僕は話し始めた。


「夢莉さんは……彼女は、()()()()()()()。それが答えだ」


 あの時の事を思い出す。



【『カナタ、君は繊細で、傷つきやすく、そして優しい。さらに言えば、自分にあまり自信がない』

 『えぇぇ、そうかな……?』


  まぁ自分に自信がないのは確かだけれど。


 『当然だ。文章の機微から登場人物の気持ちを汲み取れるなんて繊細な感性を持っていなくては成り立たない技術だし、君のこれまでの暮らしぶりを見ていたら、優しい人間だというのはすぐに分かるよ。実直で、純粋だ』


  ほめられている、のか? 

  そこまで分析しているのなら、傷つきやすい、の部分はどこから類推したんだろうか……】



 僕はずっと、無意識に考えないようにしていた。

 夢莉さんが、彼女が()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを考えてしまえば、本当の事を知ってしまう事が分かったから。

 自分が傷つくと悟ったから。だから、ララちゃんは――――。


「はい、その通りです」


 即座に彼女は首肯した。

 その言葉の中に、感情らしきものは見当たらない。


「どうして気づいたのですか?」

「思い返してみれば、彼女の取っていた全ての行動が、この事件を起こすために取られたものだったからだよ」


 僕が入れ替わりに気付いた原因は、スマホで撮った写真だった。

 半年前の写真と見比べれば、彼女が別人であるという事はすぐにばれてしまう。

 つまり、入れ替わりを起こすためには、どんな写真にも写ってはいけないのだ。


「彼女は全校写真に写っていなかった。写る訳にはいかなかったからだ」

「根拠としては若干信頼性に欠けます。本当に体調を崩していただけかもしれません」

「確かにこれ一つだけだったら、僕もそう考えたかもしれないね」


 しかし、入れ替わりを夢莉さんが主体で起こしていたと考えれば、他にも気にかかるでき事は沢山あった。


「一番の問題は、どうして僕たち全員が、夢莉さんとアイさんが入れ替わっていたことに気付かなかったのか、という事だ。君たちは顔の造りは似ているけれど……でも、写真と見比べればちゃんと分かるくらいには別人だ」

「そうでしょう。血は半分しか共有しておりませんので」


 半分……という事は父親か母親、どちらかの遺伝子は共有しているという事か。家庭の事情に関しては、僕は類推することしかできないけれど、決して愉快な話ではないのだろう。


「なら何故気付かなかったのか。それは、変化が連続的だったからだ」


 例えば彼女の髪型。

 写真に写った夢莉さんの髪は、腰のあたりまでたっぷりと長い黒髪だ。


 だけど思い返してみれば。


 彼女の髪の長さはあの時から、徐々に短くなっていた。

 最初は背中の辺り、次は肩甲骨の辺りまで。

 年月に反比例するように、どんどんと短くなっていた。


「それに気づかなかった原因は二つ。一つは、夢莉さんが髪型をころころと変えていたこと」


 彼女の髪型はいつも違っていた。ポニーテールの日もあれば、サイドテールの日もあった。

 髪型を変え、小道具を変えることで、彼女は自分の髪が短くなっていることをうまく誤魔化していたのだ。


「そしてもう一つは、区切りとなるイベントがあったこと」


 彼女の髪は、ガスバーナーで一度毛先が燃えてしまっている。

 最も夢莉さんと顔を合わせるクラスメイトは全員その現場を目撃している。


「仮に誰か、夢莉さんの髪の毛の長さが変わっていることに気付いたとしても、ガスバーナーの一件があればすんなりと受け入れることができる。そうやって夢莉さんは、緩やかな変化と、それに関わるイベントを起こすことで、僕たちが無意識にその変化を受け入れることができる下地を整えていたんだ」


 そしてこれは、髪の毛に限った話ではない。


 例えば彼女は風邪を引いた時喉をやられていた。

 夢莉さんの声はあの時、テレビの砂嵐の用にざらざらだった。

 喉からくる風邪をひいたのであれば、暫くの間声が戻らなくても誰も不振には思わない。

 そして最終的に風邪を引く前の声に完全に戻ったかどうかなんて、誰にも分からない。


 例えば彼女は、体育倉庫で目の上に怪我をした。

 その際に彼女は眼帯をつけて、メガネをかけていた。

 眼帯が外れた後、多少目の形や印象に変化があったとしても、それは怪我のせいなのではないかと、皆、無意識のうちに勝手に納得する。


「なるほど、自発的に動き、下準備を進めていたのであれば、七々扇夢莉は被害者ではなく加害者であると。そういう事ですか」

「そうだね」

「しかし、もしかしたらそれは偶々で、私たちがそれを利用しただけかもしれませんよ?」


 私たち、というのは一体誰の事を指しているのだろう。疑問を感じながらも、僕は首を横に振る。


「それもあり得ない」


 そうであれば、どれだけよかったか。

 とも思うし、そうでなくて本当に良かった、とも思う。夢莉さんの事を考えるのであれば、後者だし、自分の事が可愛いのであれば、前者だ。そして僕は……結局自分が可愛いのだろう。


「だって君たちは、前にも一度入れ替わっていたよね?」


 違和感を覚えたのは、さっきアイさんが僕の額に手を当てた時だ。

 あれだけ近くに居て、なおかつ、暴力的なまでの体の魅力を見せつけられたにも関わらず、僕は何も感じなかった。

 最初は、相手が夢莉さんでないことを知っているからかと思ったけれど、思い返してみれば同じような感情を抱いたことが過去にもあったのだ。


「夢莉さんが風邪を引いて、目を怪我した時。置手紙を教室に持ってきてくれたことがあったよね。あれ、アイさんでしょ?」

「ご名答、です」


 あの時も僕は、必要以上に近くに夢莉さんがいたにもかかわらず、全く動揺しなかった。いつもであれば、夢莉さんが近くに居るだけで、心臓の鼓動が早くなるはずなのに。ただ、綺麗だと、可愛いと、そんな感想を抱いた。

 彼女の第一印象とは全く異なる感想を。


「だけど、わっきーと烏丸さんが謝罪した時の相手は夢莉さんだった。つまり、君たちは一度入れ替わりを挟んでいるんだ」


 それは恐らく、今の自分たちがどれほど生徒の中に馴染めるかの確認も兼ねていたのだろう。マスクと眼帯で顔の大部分が隠れていたのも、好都合だったのだと予想が付く。


「つまり夢莉さんが自発的に入れ替わりに加担していた、ってことだよ」

「なるほど」


 ふーっと、大きく息を吐く。

 これで半分の事は説明できた。ここまではいい。

 問題はここからだ。


「次に疑問だったのは、何故、こんなことをしたのか、だ」


 事件のトリックは分かった。

 ならば、事件の動機は何だ?

 僕は…………僕は、夢莉さんの気持ちになって考えてみた。


「僕が初めて夢莉さんと会ったのは、教室だ。その時彼女は、窓から外を眺めてた。丁度教員棟とか、寮がある方角だ」

「……それが、何か?」

「僕はその日、教員棟の方から歩いて来てたんだ。そして、誰も見ていないと思って数枚、写真を撮った」


 あの日、僕が転校してくることは事前に分かっていたはずだ。

 そしてあの教室の窓からは、僕が来た様子がばっちりと見えていたはずだ。

 そしてそれならきっと、僕が写真を撮るところも見ていたはずだ。

 彼女の天敵となる、カメラ機能のついた携帯を持っているところを。

 教室に入ってすぐさま、僕は写真を撮った。

 夢莉さんが振り向いた時に慌てて隠したから、気付かれていないと考えていたのだけれど……もし僕が携帯をポケットに入れているところを窓から見られていたのであれば、話が変わってくる。


「夢莉さんは僕に写真を撮られたことを知っていた。だから僕に近づいた」

「どうしてですか?」

「カモフラージュの為だよ」

「カモフラージュ……?」

「とぼけないでよ。夢莉さんと君が入れ替わったことは、背後にあるもう一つの事件を隠すための目くらましだった。徐々に変わっていたのは、夢莉さんの見た目だけじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()



『こんちゃん位の身長があれば、ホワイトボードの上まで余裕で文字が書けるだろうし、書記にはうってつけだ。身長の小さい美代先生は、いつも頑張って手を伸ばしてぎりぎりなので、よく皆にからかわれている』

『これには担任の水谷先生も大喜びで、是非毎学期やってほしいとホームルームで言われた。その日、ホワイトボードの上の方を消せない事をからかわれて怒っていたのが嘘のような機嫌の良さだった』


 教室の白板は、本来もっと低い位置にあるはずだ。


『それなりの重さになったボストンバックを左肩にかけ、スライド式の扉をがらがらと開くと、教室にはララちゃんがいた』

『スライド式の扉を開き、教室に入ろうとすると、がんっ、と肩にかけたボストンバッグが扉に当たった。その音に気付いた夢莉さんがこちらを向き、ぱたぱたと走り寄ってきた』


 教室の扉は、もっと大きく開いたはずだ。


『「あ、ロッカーは今どこもぱんぱんだから、その本は一旦寮に持って帰った方がいいかも。じゃぁね、日向君!」』

『「ユーリちゃーん! 作業道具ってどこかしまう所あるかなー?」

「あー、じゃぁ一番右端のロッカー使ってー! 空いてるはずだから!」

「あーほんとだ! ありがとー!」』


 教室のロッカーは、空きがなかったはずだ。


 写真を見比べただけでも、白板の位置が違う事は確認できた。他にも掲示板や時計の位置も少しずつ変わっている。物によって、ずらすタイミングを変えていたのかもしれない。


「この計画を実行するためには、僕に教室内の写真を何枚も撮られる訳にはいかなかった。だから、夢莉さんは僕に近づいてきたんだ。文芸部に誘う事で、一緒に居る時間を自然と長くできるように」

「……」

「ただし、最初の撮られてしまった写真については、もうどうしようもない。だから教室の変化より、自分の変化に目が向くように、僕に必要以上に近づいた。好意があるように見せかけた」

「ちょっと待ってください、少し感情のノイズが混ざっているように思われますが」

「いや、僕は冷静だよ。教室の配置が換わっていたのは紛れもない事実だ」

「えぇ、そこは間違いありません。ですが――――」

「教室内の配置を変えるのは重労働だ」


 アイさんの言葉を遮って、僕は続ける。

 やめてくれよ、かばわないでくれよ。

 夢莉さんが僕に近づいてきたのは、裏に思惑があったからだ。他にどんな説明がつくっていうんだよ。


「ホワイトボードの位置を上げるのも、ロッカーの数を増やすのも、一人ではできない。協力者がいたはずだ。夢莉さんとアイさん。二人でやったんだよね」

「……はい。大体は、彼女が体育の授業を欠席している時に行いました」

「なるほど……」


 という事は、初めて出会った日はその下調べをしていたのかもしれない。

 どれくらい人の出入りがあるのか。外から見られるリスクは、アイさんの逃走経路は。

 そういった情報を集めていたのだろう。


「これで、夢莉さんが自分から消えたという事はもう疑いようがない」

「……そうですね」

「後は……動機。これは簡単だ。スクフェスでしょ?」


 教室内の配置を動かしたことを誰にも気づかれたくない理由なんてこれ位しか考えられない。


「何故かは分からないけど……夢莉さんはクラス展示を失敗させようとしていた」

「えぇ」

「そしてその罪は君に被せようとしていた」


 クラス展示で作る物品は、教室内の高さや大きさを確かめながら、それに合うように作っている。

 雅樹の作ろうとしていた模型は扉の大きさぎりぎりだったし、壁紙はホワイトボードから地面までの高さで作っていたはずだ。

 ロッカーの数が一つ違えば、教室内の大きさもかなり変わってくるだろう。


「そしてそれが発覚した時にはもう遅い。模型と壁紙を作り終えた頃に分かっても、きっともう作り直す暇はないだろうし、何より注文した物品の変えは効かない。そのしわ寄せは必ず、全ての情報をまとめていた夢莉さんに向く」


 誰も自分が図り間違えたとは思わないだろうし、ましてや教室内の備品の位置が変わっているなんて夢にも思わないだろう。だとすれば当然、その情報を取りまとめていた夢莉さんに疑惑の矛先は向くことになる。


「これが本番直前に発覚すれば、クラス展示は失敗。それどころか、クラス内不穏なくうきが流れることになる。これが、夢莉さんが迎えたかった結末だ。違うかな?」


 分からない事は、まだいくつかある。

 それでも、考えた中ではこれが一番矛盾のない答えだった。唯一、それを計画したのが夢莉さんであるという事に目を瞑れば。


 けれど、僕は夢莉さんの事なんて、何もわかっていなかった。

 僕の中で描いていた彼女の姿は結局のところ虚構でしかなくて。

 本来の彼女は、そういうことを好き好んでする人間なのかもしれない。


「はい、おおむね正解です。七々扇夢莉はスクフェスのクラス展示で失態を犯し、そのまま不登校となりこの学院からフェードアウトする。これがラストの筋書きでした」

「……君は、それでいいの?」

「構いません。さっき少し話しましたが、私と七々扇夢莉は半分だけ血がつながっています。私は七々扇家の党首である七々扇銀次郎の妻、七々扇栞と、七々扇家に使えていたバトラーとの間に生まれた不慮の子です。七々扇夢莉は正式な七々扇家の跡継ぎになります」


 党首に七々扇家、挙句の果てにはバトラーに不慮の子まで出てきてしまった。僕には縁のない世界の話だ。


「七々扇夢莉と私が似ているのはそのせいでしょう。母方の遺伝子を色濃く受け継いでいます。党首の銀次郎様はそれがまたたまらなく嫌で、私はいつもいないものとして扱われてきました」


 聞けば、父方の方の親戚に伝手もなく、行き場所が七々扇家しかなかったらしい。 

 なんとか母の頼みによって家の中においてもらう事はできたものの、その扱いは同じ母、栞の子供とは思えないほどに、夢莉さんとアイさんの間で違っていた。

 義務教育にはいかせてもらえたものの、高校にまではいかせてもらえず、今は他のメイドと同じように、寧ろそれよりも過酷な条件で、働いているそうだ。 


「だからいいんです。私は元々、こういう役に慣れていますから。特に何も思いません」


 相も変わらず淡々と、彼女はそう言った。

 本当に何も気にしていないかのように。

 だけど僕は、彼女のその言葉は本心でないと、知っていた。


「嘘だよ」

「……え?」

「そんなのは嘘だ。自分をだますための方便だ」


 だってアイさんは、すごく投げやりだったから。

 彼女の投げやりな気持ちがどこから来ているのかは分からない。

 だけど、いじけているにせよ、あきらめているせよ。

 そういう感情が湧くという事は、どこかにまだ、期待する気持ちがあるということだ。

 期待があるから、それに相反する感情だって生まれるんだ。


「君は、楽しくなかった? 短い間だったかもしれない。偽りの身分だったかもしれない。だけど君にとってそれは……すごく鮮烈な経験だったんじゃないの? もっと味わっていたいと思えるくらいに、鮮やかな光景だったんじゃないの⁈」

「私にはそう言う事を言う権利も、考える権利もありません。粛々と七々扇夢莉としての役割を演じ、そして消えます」

「けど君は、夢莉さんとは違う! 君は雨が好きなんでしょ? そういう自分が思わず出てしまったくせに、何が役割を演じるだよ!」

「……自分の趣味嗜好が出てしまう事が少しくらいあったからなんだっていうんですか。私はあの人が立てた筋書き通り、もう少しすれば――――」

「そんなの、認めない!」


 自分で思っていたよりもはるかに大きな声で、僕は叫んでいた。

 どろどろとした熱い気持ちが抑えられない。

 それは沸騰する砂糖水の様にぼこぼこと粘っこい泡を立てながら、僕の中でゆっくりと流れている。


 なんでこんなにやるせない気持ちになるのか分からない。

 だけど、これだけは言わなくちゃいけないと思った。

 彼女をこのまま見捨ててはいけないと思った。


「僕は、そんな筋書きは……そんな、物語は! はじめない、はじめさせない!」

「……」

「そうだよ、至極簡単な話だよ。クラスの皆に呼びかけて、もう一度計測をし直してもらう。それで夢莉さんの描いていた物語は破たんする」

「……」

「君は自分からは動かないだろうから、僕が動く。僕が終止符を打つ」

「…………ます」


 初めて。

 僕は彼女が感情を顔に出したところを見た。

 今まで微動だにしなかった表情筋はくしゃりと歪み、親に怒られた子供の用な顔で呟く。


「こまり……ます」

「どうして?」

「そんな事をされたら……自分がどうすればいいか分からなくなってしまいます……」


 自由を奪われていた彼女は。

 自由を与えられることを恐れていた。

 籠の中は狭く、外の世界はあまりにも広大だ。

 ずっと羽ばたく必要がなかった鳥が、飛び方を忘れるように。

 彼女は足踏みをしてしまう。

 どうすればいいだろうか。

 彼女を束縛の鎖から解放するためには、どうすればいいだろうか。

 必死に、無い知恵を絞って、案を絞り出そうとしたその時。


「くく、そんなのは決まってるじゃないか」


 背後から聞こえた自信満ちた声に、僕は振り返る。


「ら、ララちゃん、いつの間に」

「まぁこっちの用事もあらかた終わったのでね」

「こっちの用事……?」


 そんな事はどうでもいいとばかりに手を振って、ララちゃんは言った。


「アイ。君はカナタと、私と共に、文芸部で活動をするんだ」

「え、ララちゃん入る気なかったんじゃなかったっけ?」

「あの性悪女狐がいないなら問題ない。寧ろ喜々としてはいってやるわ。なんだ、嫌なのか?」

「滅相もございません」


 きょとんとした顔で、アイさんは答えた。


「文芸部……それでどうすればいいのですか?」

「決まっている。まずはスクフェスでの発表を成功させる。クラス展示も、部活も、両方だ。そしてロンドン旅行を勝ち取って、文芸部でいろんなところを回って、沢山の思い出を作る。これを三年間繰り返す」

「三年間……」

「そうだ。そして君は思いっきり青春をして、思いっきり自由を謳歌して。あの節操なしのあばずれ女を見返してやるんだ」

「さっきから言葉が汚くない? 大丈夫?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば大丈夫だ。本人を前にしたらもっと汚い言葉が出てくるだろうからな」

「いや僕はそう言う事聞いてるんじゃなくて。どこかで頭でもぶつけたのかなって」

「何を失礼な。例えぶつけていようがぶつけていまいが、私があいつのことを嫌いな事に違いはない」

「ねぇ絶対なんかあったでしょ」

「あぁ、もう。ごちゃごちゃと細かい事をうるさいやつだな……」


 ピーマンの中身よりも詰まっていない掛け合いをしていると、ふふっ、とアイが小さく笑った。


「いいですね……皆さんと一緒なら、楽しそうです」

「ほう、話の分かる子じゃないか。真っ白なスケッチブックみたいに何にも染まっていないこの感じ、中々良いじゃないか。私が色々と指南してあげよう」

「アイさん逃げて。その色にだけは染まっちゃダメだと思う」


 何を言うか。君はさっきからやたらと失礼だな、なんて言われながら。


 君は頭がいいはずなのになんでたまに発言がアレなの、とか言いながら。


 そんな僕らを見て、くすりとアイさんが笑って。


 僕たち三人は、見えない糸で結ばれたように思った。


 何重にも組まれた、丈夫な糸で。


 誰も言わなかったけれど、何となくそんな気がした。


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