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第一話 (1) 『愛の逃避行』

「奏汰君? ほんとに大丈夫?」

「う、うん……大丈夫、だよ……」


 なんとか言葉を絞り出す。

 目の前の女性は間違いなく夢莉さんではなくて。

 けれど、夢莉さんとして日常に完全に溶け込んでいて。

 そんな矛盾する状況を、僕の頭では処理しきれなかった。

 なんで? どうして? ■ □ ■ □ どうやって?

 ありとあらゆる疑問が頭の中をドラム式の洗濯機みたいにぐるんぐるんと攪拌して、混ざり合って、僕はただただ混乱する。


「んー? 私の顔に何かついてる?」

「……あ、のさ……」


 聞こうと思った。

 君は誰なの? って。

 そう聞くだけで、さっきの写真を見せるだけで、この謎は一瞬で解決するじゃないかと。


 けれど、と思い留まる。


 彼女が夢莉さんでないのであれば、本物の夢莉さんは今一体どこにいるんだ? 

 今、目の前の彼女が偽物である事を明かすことで、夢莉さんの身が危なくなる可能性があるのではないか?


 そう考えると、僕は迂闊に言葉をつなげることができなかった。

 中途半端な僕の言葉が宙ぶらりんになって教室の中をさまよった。

 何か言わないと変に思われる、何か、何か言わないと……。

 焦る僕を救う手は、すぐに現れた。

 がらがらっ、という音と共に、教室後方の扉が開いた。


「おや、二人だけか?」

「あ、やっほー麗華さん。そうなのー、みんなどこかに遊びに行ってるみたいだねー」


 寄り添う天才、麗華稀月ことララちゃんは、気だるそうにあくびをしながら僕たちの元に近づいて来る。


「二人だけの教室で一体何をしていたのやら……くく、卑猥なにおいがぷんぷんするなぁ」

「な、何もしてないよ! 麗華さんはすぐそうやっていやらしい方向に話を持って行こうとするんだから!」


 当然のことだけれど。

 ララちゃんは気づかなかった。

 目の前の女性が、七々扇夢莉ではないことに気付かずに、いつものように彼女をからかい続けた。


「仕方あるまい、私も十六歳。えっちな事にもいやらしい事にも興味津々のお年頃だからな。そういう君だって同じだろう? 毎晩毎晩就寝時間後、こっそりトイレに抜け出しているのは知っているぞ? くく……一体何をしているのかな?」

「ちょ、ちょちょちょちょちょっと! 変なこと言わないでよー! 奏汰君もいるんだから!」

「焦り方がますます怪しいなぁ。君もそう思うだろ、カナタ……」


 そこで初めて僕の方を向いたララちゃんは、一瞬にして顔つきを変えた。

 しかしそれも僅か数秒の事だった。

 再び元の気だるげな表情に戻ったかと思うと、彼女は僕の手を取り、言った。


「ま、こんなくだらない話をしてる場合じゃないんだ。七々扇さん、少しカナタを借りるぞ」

「あ、カナタ君に用事があったんだ。うん、今日は文芸部の活動もないし、大丈夫だよー」

「よし、行くぞカナタ。緊急事態なんだ。すぐ来てくれ」


 ララちゃんはそう言ってぐいぐいと僕の手を引っ張り、教室の外に連れ出した。

 頭がショートし、ろくに言葉を発することもできず、あの場から動くことすらできなかった僕は、完全にララちゃんに助けられた。

 先導するララちゃんの背中はいつも通りとても華奢で、強く押せば折れてしまいそうなのに、とても大きく、頼もしく見えた。


◇◇◇


 教室から離れた空き教室に入ると、ララちゃんは長机の上に腰掛けた。

 誰もいない空き教室で男女が二人きりなんて、先生に見つかったら何を言われるか分からない気もするけれど、今の僕にはそんな事を言う余力はなかった。


「で、何があったんだ?」


 ずばりと、単刀直入にララちゃんが問うた。


「よく、分かったね……何も言ってないのに」


 夢莉さんが別人になっている。

 その事実を切り出す勇気がまだ出なくて、僕は関係ない事を口にした。


「自分の顔を鏡でよく見直すことだな。酷い顔をしてるぞ、カナタ」

「あはは、それは生まれつきじゃ――――」

「そんな自虐ネタはどうでもいいんだ」


 静かな……けれど、有無を言わさぬ口調だった。

 いつもは半開きでやる気のなさそうな目は見開かれていて、綺麗なブラウンの瞳が僕を映し出していた。その曇りのない瞳に見つめられると、心の中まで全て見通されてしまいそうな気がして。

 僕はそっと目をそらした。


「あぁ、因みに君の顔、私は嫌いじゃないぞ。その点は自信を持っていい」


 今度は一転、砕けた調子でララちゃんが言う。

 ちらりと横目で彼女の表情を伺うと、片目をぱちりと瞑って微笑んでいた。

 ララちゃんの様に美人な女の子にそう言われると、お世辞とは分かっていてもドキリとしてしまう。


 まったく……この子には敵わない。

 固まっていた僕の思考は、厳しく、優しく、彼女に揺さぶられ、ゆっくりとではあるが、ほぐされていた。

 ララちゃんの言葉はいつも掴みどころが無いようでいて、その実、しっかりと考えられている。

 相手の心に届くように、相手の心を動かすように、彼女は言葉を選び、並べ、投げかけている。

 万物を精査することができる彼女は、相手との思考の乖離を傍観することができるから。だから彼女の言葉は、すっと頭の中に溶け込んでいくんだ。


「ありがとう、ララちゃん」

「くく、なんのことやら」


 薄く笑い、彼女は右手をひらひらと振った。

 さぁ、話してみたまえ、とでも言うように。


「……驚かずに聞いて欲しいんだ。実は――――」


 そして僕は。

 ララちゃんに全てを説明した。


 僕が校則違反で携帯を持ち込んでいる事。


 入学当初に夢莉さんの写真を撮ったこと。


 さっきその写真を久々に見直して――――違和感を抱いた事。


 丁度その時、夢莉さんが現れたこと。


 そして、写真の中の夢莉さんと、僕の目の前に現れた夢莉さんが別人であることに気付いたという事。

 全てを話し終えてしばらくは、ララちゃんは何も言わなかった。


 少し下を向いているから、ゆるっとしたショートヘアーが頬にかかっていて、詳しい表情までは読み取れない。それでも、どこか悔しそうな雰囲気を僕が感じ取ったのは。彼女が薄い桃色の下唇を、噛んでいたからかもしれない。


「その写真を……見せてもらえるか?」

「う、うん。いいよ……」


 スマホの画面を操作し、例の写真をタップする。

 そこに出て来た夢莉さんの姿を見るだけで、僕は言いようのない不安な気持ちにかられるから。

 直視することができずに、ララちゃんにそっと手渡した。

 受け取ったララちゃんはスマホの画面をじっと見つめた。


「……なるほど、な……」

「……どう?」

「別人だ。似てはいるが……別の人間だ」


 僕と同じ結論だった。ならば、と問う。


「この事、誰かに話した方がいいよね? 先生とか……」

「……いや」


 予想に反して、彼女は首を横に振った。


「やめた方がいいだろう」

「ど、どうして? これ、事件だよ? 本物の夢莉さんが消えちゃったんだよ? 誘拐事件……もしかしたらもっと大きな事件かもしれない」


 どうしてこんな事になっているのか、その理由も原因も全く分からないけれど、夢莉さんという一人の人間が消えてしまっていることは事実だ。 

 生徒が一人消えてしまったという状況に、誰一人として気付いていない異常事態を、周知するべきではないだろうか?


「だからこそ、だよ」


 吐いた息にのせて彼女は言った。


「人を一人入れ替えるような大胆な犯罪を、誰にも気づかれずにやり遂げた狡猾な犯人だ。ありとあらゆる証拠は消されていると考えた方がいい。そして、気付かれた時にどうなるかが全く分からない。今いたずらに騒ぎ立てるのは、あまりにも危険だ」

「それは……」


 今、彼女が偽物である事を明かすことで、夢莉さんの身に危害が加わる可能性があるのではないか。確かに僕も考えていたことだ。


「だったらどうすれば――――」

「解き明かすんだよ。君が」

「え?」


 からん、と。

 鐘が鳴った。夕飯の時刻を告げる鐘の音だ。

 橙色の強烈な西日に乗って、校内に響き渡っていく。


「この事件の真相を、君が解き明かすんだ。そうすれば、七々扇さんの身に危険が迫らない、安全な救出策を練ることができる。時間はあまりない。早急に、けれど慎重に」

「そ、そんなの無理だよ!」

「やるんだ!」


 今までに聞いたことがないくらいに、強い口調だった。

 すまない、と彼女は呟いて、色素の薄いふわふわの髪に右手を入れ、掴んだ。鐘の音に飲まれてしまいそうなくらい、か細い声だった。


「無理だよ……だって、今まで解いてきた謎とはレベルが違いすぎるよ……。人が……人が誰にも気づかれずに入れ替わっているなんて、そんなSFみたいな、ホラーみたいな事件、僕に解けるわけが――――」

「気をつけろ、カナタ」




「今、君の後ろに七々扇さんが立っている状況で、そういう発言はするべきではない」




「――――――――っ⁈」


 振り、返る。


 無表情に。


 何の感情も読み取れないのっぺりとした顔を貼り付けて立つ夢莉さんは――――――――そこにはいなかった。


「冗談だ」

「~~~~~~~~っのさぁ!」


 言って良い冗談と、悪い冗談があるだろう!

 早鐘を打つ心臓を抑えてそう叫ぼうとして……僕は口を閉じた。


「ララちゃん……」

「……怯えすぎだ」


 彼女は意味なく悪意のある言葉を発したりはしない。

 そんな事は、もうとっくの昔に分かっている事じゃないか。

 その言葉の真意を探ろうとした時、ララちゃんはゆっくりと僕に近づいて来て、言った。


「カナタ」

「な、なに?」


 鼻腔をくすぐる柑橘系のいい匂いに充てられて、少しくらくらしながら、僕は返答した。


「しよう」

「何を?」

「逃避行だ」

「はい?」


 鐘の音はもう、鳴り終わっていたから。


「愛の逃避行を、しよう」


 その言葉が聞き間違いでないことだけは、分かった。

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