出題篇 最終話 『その物語は』
あれから一週間が経ち、八月も終盤に差し掛かった。
気温はまだまだ高いものの、うだるような暑さは、だんだんとピークを過ぎようとしている様だ。
期末テストも全て返ってきた。
僕は相変わらず現国、古典は高得点で……意外な事にそれ以外も平均位は取れていた。特別補習がこれほどまでに効果を表すとは思わなかった。
嬉しい事に、うちの学年はあの補習のお陰で誰も赤点に引っ掛からず、クラス全員が生き残るという奇跡的な記録を打ち立てた。
これには担任の水谷先生も大喜びで、是非毎学期やってほしいとホームルームで言われた。その日、ホワイトボードの上の方を消せない事をからかわれて怒っていたのが嘘のような機嫌の良さだった。
現国と古典だけならいいかな、と考えている辺り、僕も結構浮かれているのかもしれない。
こうして僕たちは夏季休暇に突入した。
夏季休暇、と言っても、家に帰る生徒は誰もおらず、先生方の趣味全開の授業を楽しんだり、スクフェスの準備にいそしんだりしている。
毎日が半日授業だから、僕も思う存分読書が出来て嬉しい限りだ。
今日もこうして教室に足を運び、読みかけの文庫本を消化するつもりだ。
がらがらと緑色のスライド式の扉を開けると、ふわっと風が僕を包んだ。
夏の匂いがする。
「誰もいないのか……」
どうやらみんな、思い思いの場所に散らばっているらしい。寮かもしれないし、体育館かもしれない。図書館かもしれないし、中庭かもしれない。
こうして教室に一人でいるのは久しぶりだ。
僕は何となく窓際に足を運び、そして入学した時の事を思い出した。
あの時は誰もいないと思ってたら教室に夢莉さんがいたんだよな……。
つい四か月ほど前の話なのに、ずいぶん昔のことに思える。
それだけ濃密な時間を過ごしてきたからだろう。
ここの学院の行事は、生徒は、あまりにも強烈で。感じる全てが色鮮やかに記憶に残っている。
でもやっぱり、何においても印象的なのは、夢莉さんとの謎解きだろうか。
図書室の妖精に始まり、礼拝堂の暗号を解き、音楽棟の謎の叫びの正体を解き明かし、女子寮の幽霊の正体を看破し、最後には体育倉庫の事件の謎を解いた。
きっとまだこれからも、色んな謎を解明して、スクフェスに使えそうなネタを集めるのに奔走するんだろう。
夢莉さんと、楽しく謎解きをしていくんだろう。
そんなすぐ近くにある未来を想像するだけで、僕は自然と顔がほころぶのを感じた。
楽しいな、と思った。
カラオケもボーリングも、コンビニも映画館も、なにもないけれど。
それでも僕は今、ここでの生活をとても楽しんでいる。明日が来るのを心待ちにしている。
ポケットに手を突っ込むと、スマートフォンに触れた。
これに触る機会も、ずいぶん減ったように思う。
それ以上にやる事が沢山あったからかもしれない。
まぁそれでもやっぱり手放せないんだけどね、と、僕は数日ぶりにスマホを起動して、なんとなく写真フォルダを開いた。
この学院の建物や風景はとても写真映えするから、気付けば何枚も何枚も撮ってしまっていた。
やはり写真を見返すのはいいなぁとほくほくと画面をフリックしていく。
ここしばらくはゆっくり見返す暇もなかったから、懐かしい気持ちで写真を眺めていく。
これは入学して二か月くらいの時かな?
これは入学したばかりの頃だな。
そんな風に過去に遡って――――そして一枚の写真に行きついた。
それは、僕が入学した当日に取った、この教室の写真だった。
正確には、この教室の窓辺に立った、夢莉さんの写真だった。
夢莉さん
の
写真
の
はずだった。
「……………………………………………………え?」
全身が固まった。岩にでも挟まれたみたいに、動かなくなった。
なんだ、これは?
これは、なんの写真だ?
写真を見つめ続けて、どれくらいの時間が経っただろうか。
がらがら、と。
教室の扉が開いた。
僕は慌ててスマホの電源を落とし、ポケットに突っ込む。
そして――――彼女は現れた。
「あれれ? 誰もいないのー……っと、奏汰君いるじゃん! やっほー、どうしたのそんなところで?」
そう、彼女は。
『飛び切りの美人、という訳ではなかった』
これが美人でなければ、なんなのだろうか。
『目が大きいわけではなかったし』
目はぱっちりと開いている。だって
『右目だけが二重のネコみたいな目をいたずらっぽく光らせて』
だってその両目は二重だ。それに……それに
『まつ毛が長いわけでもなかった』
あぁ、まつ毛は短くなんてない。
『鼻筋がすっと通っているかと言われれば、そんな事はない』
いや、鼻筋は通っている。
その証拠にほら、すっと通った鼻筋にかかったメガネが、こんなにも似合ってるじゃないか。
彼女は『腰ほどまでたっぷりとある黒髪を躍らせて、小首をかしげた』
髪は……肩甲骨の上あたりでゆっくりと揺れていた。大きく見積もっても、セミロング程度の長さだ。
そして『実に耳に心地よい声音で、彼女は言った』
「どうしたの、奏汰君?」
夢莉さんは……この子は。
こんな声、だっただろうか。
あの時の彼女は、こんな声で、僕と話していただろうか。
分からない。
分からない。
けれど、一つだけ分かる事がある。
僕が写真に撮った夢莉さんと。
今目の前にいる夢莉さんは。
完全に別人であると。
似ている。
似てはいる。
だけれど、あの写真を見た後なら分かる。全くの別人であると、僕には分かる。
なんでだ、なんで気付かなかった?
なんで今の今までそれに気づかなかった?
こんなに近くにいるのに?
あんなに近くに居たのに?
いや、それ以前に。
■□ ■□ □■ ■□ ■□ ■ □■ ■□ ■□?
「――――っ」
「かーなーたーくーん?」
僕は……何も言葉を発せなかった。
ただ彼女を見ていた。
七々扇夢莉だった少女を見つめていた。
頭の中に渦巻く疑問は、ただ一つ。
ただ一つだけだ。
決して口にはしないけれど、できないけれど。
僕はこう思う。
一体君は……誰なんだ?
【僕は思うんだよ】
その時僕の脳裏に浮かんだのは、何故かあいつとのチャットだった。
【犯罪が起こったことに、誰も気づかない】
『夢莉さんと一緒に謎を解くことが楽しいと、そう感じていた。
まもなく七月、期末テストに夏季休暇。イベントごとが目白押しだ。
季節が移り替わる音が聞こえる気がした』
【違和感を覚えない】
『明日から順にテストが返却され、それが終われば夏季休暇に入る。
さすがにテスト期間と言うことでクラス展示、部活展示、二つのスクフェスの準備を控えるしかなかったけれど、そろそろ本格的に活動が再開することだろう』
【騒がない】
『こうして僕たちは夏季休暇に突入した。
夏季休暇、と言っても、家に帰る生徒は誰もおらず、先生方の趣味全開の授業を楽しんだり、スクフェスの準備にいそしんだりしている。毎日が半日授業だから、僕も思う存分読書が出来て嬉しい限りだ』
【恐怖を抱かない】
『きっとまだこれからも、色んな謎を解明して、スクフェスに使えそうなネタを集めるのに奔走するんだろう。
夢莉さんと、楽しく謎解きをしていくんだろう。
そんなすぐ近くにある未来を想像するだけで、僕は自然と顔がほころぶのを感じた』
【犯罪が起こっている非日常で、当たり前みたいな日常を送る】
『楽しいな、と思った。
カラオケもボーリングも、コンビニも映画館も、なにもないけれど。
それでも僕は今、ここでの生活をとても楽しんでいる。明日が来るのを心待ちにしている』
【『はじまらない物語』。これこそが完全無欠な究極の犯罪なんだって】
出題篇:□■□■君は 了




