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第十三話 (5) 『礼拝堂の暗号』

 翌日、僕は大きめのボストンバックを持って図書館に向かった。

 というのも、昨日の補習を経て、気づいたことがあったからだ。

 僕の思考法、ララちゃんの言葉を借りて、仮に「共感力エンパス」と名付けておくとする。共感力エンパスに必要なのは、登場人物にまつわる情報だ。

 山月記にはそれが多分に含まれていた。賢く、プライドが高く、そして脆い。そんな主人公の描写があるから、僕は共感できた。


 ならば、今回の犯人はどうだろうか。


 週一で置かれた暗号。

 チャペルに置かれた暗号。

 いつも内容は同じな暗号。


 そう、どれもこれも「暗号」についての情報だけで、「犯人」の情報がほとんどない。

 だから僕は推理を始めることすらできなかったわけだ。


 ならば、と僕は考えた。

 そもそも、暗号はどういう時に使う物なのだろうか?

 暗号を使う人間は、どんな感情を抱くのだろうか?

 それが分かれば、間接的に犯人の素性の一端に触れることができるのではないか、と。


「幸いここには死ぬほど本があるしねー……」


 がちゃりと扉を開けると、中には意外と人が居た。見知った顔もいる。期末テストが近づいてきて、勉強に本腰を入れ始めたのだろう。僕もそろそろ頑張らなくては。

 そう思いつつも、僕は図書館の中をくるくると回り、暗号に関係ありそうな本をボストンバックにぽんぽんと入れた。

 合計五冊を超えたところでおいとまし、教室へと戻る。

 それなりの重さになったボストンバックを左肩にかけ、スライド式の扉をがらがらと開くと、教室にはララちゃんがいた。


「おぉ、どうしたカナタ。勉強か?」


 中に入り、後ろ手に扉を閉めて僕は答える。


「残念ながら読書なんだな、これが」

「読書か、それもまた悪くないだろう。何の本を読むんだ?」

「んー、ミステリー、かな?」


 席に座って、借りてきた本を机の上に並べる。黄金虫、二銭銅貨、大金塊、踊る人形……。どれも古いが、名作と呼ばれるにふさわしい作品だ。


「ほぅ……暗号に興味があるのか?」

「まぁちょっとね」


 この件はララちゃんに話しても良いのだろうけど、何かの拍子に暗号を解かれてしまったらそれは規約批判だ。僕は黙っていることにした。


「………………見られてると落ち着かないんだけど。主に後頭部が」

「気にするな。私は君を見ているんじゃなくて、一緒に本を読んでいるんだ。君の後頭部に興奮するような特殊な性癖は持ち合わせていないから安心するといい」

「いやそれにしたって……まぁいいけど」


 ララちゃんは何が楽しいのか僕の後ろの机(ワッキーの席だ)に座って足をプラプラとさせ、たまに僕の背もたれを蹴りながら、僕の読んでいる本に目を落としているらしかった。

 どうせ読むなら、他にも本はあるんだから違うのを読めばいいのに……。

 この子相手に色々気にするのもあれか、と思い、僕は本に没頭することにした。

 程なくして、僕の意識は教室の中から遠ざかる。


 非日常的なシチュエーションに身を置き、明智や名もなき語り手の視点で物語の中を闊歩する。

 長い年月を経て黄ばんだ紙と、その上で踊るかすれた文字は、僕に色彩豊かな世界を与えてくれた。


 匂いを。

 味を。

 肌寒さを。

 息苦しさを。


 三冊目を読み切った僕は、ほう、と息を吐いた。まるで世界を旅してきたみたいな心地よい疲労感がある。


「読む速度はさすがに人並み以上だな、カナタ」

「どうだろう。速読ってほどじゃないと思うけど」


 こきりこきりと首をならし、僕は大きく伸びをした。

 伸ばした手の先が軽くララちゃんのカーディガンに触れて、慌ててその手を引っ込める。


「なんだ。てっきりどさくさに紛れて、また胸を触るつもりかと思ったのだが」

「冤罪にも程があるね⁈」


 そもそも僕は揉んでなんかいない!

 触らせられたんだ! ……なんだこの分かりにくい日本語。


「で、何かわかったのか?」

「何が?」

「大方、七々扇さんと一緒にやっている依頼がらみだろう? その件で、暗号が必要になるから、こうして健気に頑張っていると。違うか?」


 隠し事をする相手がそもそも間違っているよなぁと思いながら、僕は首肯する。


「まぁ、そうだね。今回はどうやら暗号がカギになるみたいで……僕は暗号ってものをそもそも良く知らないから、こうして勉強してたわけ」

「なるほど。それで、何かわかったのかい?」


 再度同じ質問を繰り返してきたララちゃんに、僕は考えながら答える。


「暗号っていうのは、こう……伝えたいけど伝えたくない。知ってほしいけど、知ってほしくない。そんな相反する、二つの感情を内包した存在だと思うんだよね」

「ほぅ……」

「ってごめん、これじゃよく分かんないよね」

「いや、実に興味深い。そのまま続けてくれ」


 僕の個人的な意見なんて聞いて何が楽しいんだか……。やっぱり変わってるよな。

 またしても無意識に触っていたスマートフォンの画面をこつこつと叩きながら、僕は思考する。


「暗号っていうのはつまるところ、目的の相手以外に中身を読まれないようにするものだよね」

「だから『読ませたい』と『読まれたくない』が混在した存在だと」

「そう」


 そしてその読ませたい相手だけに伝えるために、『鍵』が存在する。

 鍵となる単語、もしくは読み方を知る者だけが、暗号を解読し、読むことができる。

 鍵に、中身。まるで宝箱みたいだなと、思った。

 スマートフォンの画面と爪が何度も当たる。僕だけにしか聞こえないような小さな音が、脳内に響く。こつこつ、こつこつと。



 『週一で置かれた暗号』『こっち。この角に……ほら、やっぱりあった!』『チャペルに置かれた暗号』『これはまた見つかりにくそうな場所に……』『いつも内容は同じな暗号』『件の暗号は、その置物の下にひっそりと置かれていた』『まず、暗号の存在に気づいたのは後輩らしい』『一枚のぺらっとした紙は、ともすればゴミとして捨てられてしまいそうだ』『チャペルにピアノを弾きに行った折、たまたま見つけたそうだ』『そうそう! 突如現れた謎の暗号! それを解く清楚系巨乳女子高生! とその助手! 果たしてその先には何が待ち受けるのか⁈ ふふふふふふふ……湧いてくる湧いてくる、インスピレーションが湧いてくるわー!』



 なるほど、そうなると残る問題は――――


「その『鍵』と『相手』、か」

「ふむ?」


 どうやら、現段階で僕に推測できるのはここまでのようだ。

 もう一歩詰めるには、夢莉さんの暗号解読を待つ必要がある。

 まぁでも、ここまで詰められただけ上出来かな……。

 自分を労いながら、大きく息を吐き、天井を仰ぎ見ると、ぬっとララちゃんの顔が現れた。そうか、後ろの席に座ってたんだっけ。


「君はやはり実に面白いね、カナタ」

「そう? 普通だと思うけど」

「ふ、謙遜するな。君の能力の質は確実に上がっている。君自身の性格が入学当初から少し変わったようにな」


 そうだろうか? あまり自覚はない。


「入学したばかりの頃に比べると、随分と明るくなったよ。恐らくいつも一緒に居る友達の影響があるんだろうな。くく……ツッコミもキレが出てきたしね」

「変人が多いからね‥…」

「そして思考力は上昇している。昨日の授業は実に見事だった。推理力もどうやら上がっている様だ……。ふふ、これは私の薫陶かな? どちらにせよ君の「共感力エンパス」が、関わっていると思うよ」


 他人の感情に共感する能力。感受性の豊かさ。

 その能力と、周りに明るい人が多い環境、頭のいい人が居る環境が、僕自身に影響を及ぼした、という事か。

 自覚はない。確信もない。

 けれどなんとなく、そうかもしれないと思った。そうだといいなと、思った。


「だからこそ……気になるよ」

「何が……?」


 そ、とララちゃんの両手が僕の頬を覆った。ひんやりとしていて気持ちいい。

 逆向きになったララちゃんの顔がいやに近い。いつもけだる気で、六割くらいしか空いてないから分かりにくいけど、すごく綺麗な目をしている。もったいないな。


()()()()に出会った時、果たして君はどうなってしまうのか、ね」

「……それはどういう――――」


 がらがらっ!

 という音と共に、教室後方の扉が開いた。


「奏汰くんっ! 聞いて聞いて! 暗号が解け……ってうわぁああああああ! 何してるの麗華さんっ!」

「ちっ、邪魔が入ったか……」

「邪魔とは何よ邪魔とはー!」


 ララちゃんの華奢な手が離れ、僕はようやく顔を自由に動かすことができた。


「またそうやって奏汰くんを玩具にして!」

「玩具になどしていないさ。お互いの目と目をしっかりと合わせて、語り合っていただけだよ。なぁ、カナタ?」

「あぁ、うん。まぁそうなんだけど……」


 やけに色っぽく言うのはやめようか。あらぬ誤解を生むよねきっと。


「ところでゆう……七……夢莉さん」

「なーに、奏汰くん?」


 満面の笑みの夢莉さんから謎の圧力を感じ、二回ほど呼び名を言い換えた僕は、咳ばらいをして話題を進める。


「暗号が解けたって聞こえたんだけど、ほんと?」

「そーそー! そうなんだよー! 聞いてくれる聞いてくれる? 結局ね、すっごく単純な暗号だったの!」


 わくわくうきうき、という擬音語が似合いそうなくらい楽しそうに夢莉さんが言った。

 かわいい。とてもかわいい。


「暗号、か。面白そうじゃないか。是非私にも聞かせてくれたまえよ」

「いーよー! あ、でも、間違ってても指摘しないでね? 今回麗華さんの助言は貰っちゃダメっていう条件付きなんだから」

「なるほど、了解した。ならば傍観者として、ここで見させてもらおう。それくらいはかまわないだろう?」

「うん、それなら大丈夫! じゃぁまずは、暗号文を書くね」

 

 Detect the key and solve the following code.

 (鍵を推理し、以下の暗号を解け)

 DCJSIARITUERLVROSES|TAERTFTAT


 ホワイトボードに書き記した夢莉さんは、くるりと反転して言う。


「これが原文。アルファベットは計二十八しかなくて、短い文章で構成されると予測されるね。暗号としては比較的秘匿性の高い転置式、もしくは単一換字式暗号を最初は疑ったんだけど、一般的な解読法である出現頻度の偏りとか頻出単語からの変換が使えなかったから、これは違うと判断したの。シーザー暗号も試しては見たけど、しっくりこない。やっぱり文章にもある『鍵』が重要になってくるんだろう、って思った時に、ふと思いついたの」


 一息おいて、夢莉さんは続ける。

 単一式? シーザー? よく分からない単語が出没してきたけど、一先ず僕は質問した気持ちをぐっと抑えた。


「この暗号は一週間に一度置かれていた。それが『鍵』なんじゃないかって」


 そこが僕も気になっていた。

 何故、週一、火曜にしか暗号は置かれないのか。

 何かその日にしかチャペルに入り込めない理由でもあるのだろうかと。

 しかしそれは、暗号の『鍵』だったらしい。

 なるほど……そういうことか。


「そう考えると、後はとっても簡単。これ、ただのスキュタレー暗号だったんだよ」

「すきゅたれ?」

「スキュタレー。語源は、紀元前五世紀ごろにスパルタ人が開発した、スキュタレーって呼ばれる器具にさかのぼるんだけど……。要するに、特定の大きさの筒の周囲に羊皮紙を巻き付けて、筒が伸びる方向に意味のある文章を書いて、残りの空白は適当な文字で埋めるって手法。こうすると、巻き付けた羊皮紙を伸ばした時、ぱっと見は意味の分からない文字の羅列になるってこと」

「……?」

「んー、例えば。DAAOAAGAAって羅列があったとして、これを三角形の柱に巻き付けるとDOG(犬)だけが見える面があるじゃない?」

「なるほど」


 つまり、一定間隔で文字を取ると、ある文章が浮かび上がってくるということか。

 そして今回はその一定間隔が「一週間に一度」。つまり――――


「そう、七ごとに区切ってあげればよかったんだよ。そうすると……こうなるね」



 DCJSIAR/ITUERLV/ROSES|TA/ERTFTAT。



「で、この四節に分かれた最初の文字を順番に取っていくと……」



 DIRECTORJUSTSEEFIRSTALTERVAT



「んー? まだなんのこっちゃなんだけど……」

「そだね。これを意味がある文章にするとなると……こうかな」



 DIRECTOR JUST SEE FIRST ALTER VAT



「和訳すると、『指揮官は最初の祭壇の箱を見ろ』になるね。最初の祭壇って言えば、この暗号が置いてあったチャペルの祭壇しかない。その横に合った木の置物に、何か隠されているんじゃないかな」

「おぉお! すごい!」


 本当だ、ただのアルファベットの羅列から文字が浮かびあがってきた。

 まったく意味のない文字の塊だと思っていた物から、意味のある文章が出てくる感覚と言うのは、なんともいえないカタルシスがある。


「ただ、謎の縦線に関しては触れなかったんだね」


 原文のSとTの間にある謎の縦線。今回の解読では全く意味をなしていなかったけれど……


「そうなんだよねー……。ただ、これだけ意味のある文章になるってことは、偶然ではあり得ないと思うんだ。もしかしたらこの暗号に指し示す場所に、次のヒントがあるかもしれないし、とりあえず行ってみるのはどうかな?」

「うん、いいと思う」


 これだけ意味のある、しかも筋の通った文章になるんだ。偶然ではあり得ないだろう。

 何かしら、犯人の意図が含まれているはずだ。


「ところで七々扇さん」

「ん? なーに、麗華さん?」


 これまで黙って聞いていたララちゃんが口を挟んだ。


「君はこれまで暗号を解いたことがあったのか? 随分と詳しい様だが……」

「あはは、それが全くでねー。ここ数日間で慌てて色々調べて、頭に叩き込んだところなんだ」


 まじか。てっきり、なんやかんや言いながらも、やっぱり基本的な知識はもってたんだなーとか思いながら解説を聞いていた僕は仰天した。


「聞いたかカナタ。これだからこの子は嫌なんだ。けろっとした顔であらゆる知識を貪欲に吸収する。まるで知識の大食漢だ」

「ちょ、ちょっとー? あんまり褒めてるように聞こえないんですけど?」

「うるさい大喰らい。大方、知識を吸収しすぎて脳では足りなくなったから、胸と尻にため込んでるんだろう」

「ち、ちがうもん! 私だって好きでこんな大きさになったわけじゃないもん!」


 大丈夫だよ夢莉さん! 僕はその大きさが大好きだからさ!

 いたいいたいいたい。

 無言で臀部をつねるのはやめてくれるかなララちゃん。


「うー……麗華さん、すぐイジメてくるんだもんなぁ……」

「くく、すまない。からかい甲斐のある子をみるとつい、ね」

「まぁいいけどさー……。ふぅ、とりあえず佐久間さん見つけて、チャペルに行こっか、奏汰くん」

「うん。あ、じゃぁララちゃんも一緒においでよ。続き気になるでしょ?」

「……ふ。そうだな。問題ないのであれば、同行させてもらおう」

「じゃぁ私、佐久間さん呼んでくるね。確か図書室に居たはずだから……先に行っててくれる?」

「了解」


 この事件も、ようやくひと段落着きそうだ。

 僕の予想では、暗号の指し示した場所には、恐らく――――。


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