第十話 (2) 『礼拝堂の暗号』
翌日の放課後、僕は夢莉さんと共に礼拝堂の入り口に立っていた。
礼拝のある朝食後以外、ここに来る人はほとんどいない。この一角だけ学院から隔離されてるんじゃないかと錯覚してしまうくらい、静かな空間だ。
チャペルの脇には歴代の生徒全員の集合写真が年ごとに飾ってある。
毎年四月に撮っているらしく、今年の分には僕は入る事はできなさそうだ。
写真を撮るのは好きでも、映るのはそんなに好きでもないので、特に残念と言う程でもないけれど。
今年の分を探し出して眺めると、夢莉さんの姿が見えなかった。聞くところによると、集合写真を撮る時に丁度体調を崩していたらしく、寮の部屋で寝ていたそうだ。
「出ようとは思ったんだけど、まぁ来年も撮るだろうし、無理して出ることもないって先生に止められちゃって……」
「そんなに体調悪かったんだ」
「実は私、偏頭痛持ちでね。気圧が下がったり、疲れたりすると結構ひどい頭痛がするんだー」
だから雨の日は嫌いなの、と夢莉さんはちろっと舌を出して笑った。
聞いたことがある。
気圧が下がることで血管が膨張し、神経を圧迫することで頭痛を引き起こすとかなんとか。
比較的女性に現れやすい症状ということだったけれど……どうやらその例に漏れず、夢莉さんもそのタイプの頭痛持ちらしかった。たまに授業、特に体育を休むことがあるとは思っていたけど、そういう理由だったのか。
「そうなんだ……大変だね」
「もう慣れっこだよー。痛いのは勘弁してほしいけど……あ、来たみたい!」
ぱたぱたと足早に階段を上がる音と共に、メガネをかけた女の子が息を切らせて到着した。
今回の依頼主、佐久間凛さん。僕と、勿論夢莉さんとも、同じクラスだ。
まだあまり喋ったことはないけれど、気さくで良い子、という印象だ。因みに小説を書くのが趣味らしい。これは夢莉さんに昨日聞いて知ったことだけど。
「ふ、二人とも、待たせちゃってごめんね! ちょっとミョウミョウに捕まっちゃって……」
「あはは。全然待ってないから、気にしないでいいよー。わざわざ走って来てくれてありがと」
「……いい」
「ん? 何が?」
「今の笑顔、最高だよユーリちゃん! 例えば……『そう言って微笑んだ彼女の笑顔は、同性ですら虜にしてしまう様な危ない魅力を、静かに湛えていた……』みたいな感じで、どう?」
「う、うーん……? 事実とかい離しててもいいんだったら、問題ないと思うけど……」
「『そう言って彼女は悩まし気に眦を下げた。すっと伸びた睫毛が物憂げに揺れる……。余談だが彼女の胸はEカップだ。その豊満な双丘に目と心を奪われ、トイレに駆け込んでいく男子は後を絶たない』」
「ち、ちょちょちょちょっと凛ちゃん⁈ いきなり何言ってるのかな⁈」
おっと? またしてもアクの強そうな人だな。この学校はびっくり人間奇想天外動物園か何かかな?
因みに僕は、すました顔でポケットに入れた右手の指を五本折った。そうか……ララちゃんの五段階も上なのか……(推定)。となると破壊力は五倍? 五乗? ふっ、とんでもない戦闘力だぜ全く。
「あは、ごーめんごめん。ユーリちゃん見ると、つい色んなインスピレーションが湧いて来てねー……。あ、今度触手と絡めてもいい?」
「だから一体何の話してるの⁈」
「あの……そろそろ話し進めない?」
その絡みまくったカラミティな小説は是非今度見せてもらうとして、放課後の時間は限られている。
そろそろ話を進めるべきだろう。
「あは、全く持ってその通りだね、日向君。それじゃ、中に入ろっか」
そう言うと佐久間さんは、まだ顔が赤い夢莉さんの横を抜け、礼拝堂の鍵を開けた。
礼拝堂の中には讃美歌斉唱時に使うオルガンや、グランドピアノが、入り口近くに設置してある。どちらも自習時間や放課後に使用することができる様、チャペルの鍵を借りれば誰でも入る事が可能だ。
「それで、相談してくれた『暗号』っていうのは、この中にあるの?」
昨日軽く聞いたところによると、今回の相談はどうやら謎の暗号に関わる話らしい。僕の言葉を受けて、佐久間さんは頷いた。
「そうなんだー。毎週火曜になると現れる、暗号を書かれた紙があってね……」
チャペルの扉をくぐると、大きな十字架がまず目に留まった。
扉を入った十数メートル先には祭壇と大きめの木の十字架が掲げられている。
左右には生徒が座る椅子がぎっちりと並べられていて、祭壇の横には先生方が座る椅子が別途用意されている。
毎朝嫌と言う程訪れている場所だけど、人が居ないこの時間に来ると、静かで、厳かで、また違った雰囲気がするものだなと思った。
「毎週火曜……ってことは、今日も?」
「うん、きっとあると思うんだ」
今日は六月の第二火曜。佐久間さんのいう事が本当ならば、今日もその暗号が置かれていることになる。
「いつも同じ場所に置かれてるって言ってたよね? 一体どこにあるの?」
どうやら、ようやく羞恥から立ち直ったらしい夢莉さんが、佐久間さんに問うた。
「こっち。この角に……ほら、やっぱりあった!」
これはまた見つかりにくそうな場所に……。
祭壇の横にある、讃美歌集や、その他礼拝に用いる道具を置くための木製の置物。
それは、丁度僕の胸の高さくらいの大きさがあって、一番上には浅い箱のようなものが取り付けられている。司教さんはここに必要なものを置いてお話をされるわけだ。
件の暗号は、その置物の下にひっそりと置かれていた。
一枚のぺらっとした紙は、ともすればゴミとして捨てられてしまいそうだ。
「それが……?」
「うん、今回お願いした、私からの依頼。これを二人に解いて欲しいんだよ」
佐久間さんから手渡された紙に目を落とす。
普通のルーズリーフだ。そこには優雅なつづり字でこう記されていた。
Detect the key and solve the following code.
(鍵を推理し、以下の暗号を解け)
DCJSIARITUERLVROSES|TAERTFTAT
「……思ってたよりも……暗号だね」
「どゆこと?」
我ながら馬鹿丸出しのセリフだ。
ただ、僕の心境そのものとも言える。
正直昨日夢莉さんからこの話を聞いた時、僕は「まぁ精々いたずらレベルの何かだろう」
位にしか思っていなかった。
暗号なんて言っても、きっと夢莉さんと一緒に数分考えれば解けるものだろうと。
だけど、直感で分かる。これは僕には解けない。
「ゆ……七々扇さんに全面的に任せることになりそうだなぁって思ってさ」
「あぁ、そゆことね。だってさ、ユーリちゃん」
「う、うーん……」
完全に当てにされてしまった当の夢莉さんは、しかし眉間にしわを寄せて、渋い顔で暗号と睨めっこしていた。
珍しい表情だ。
是非写真に収めたいところだけど、流石にこればっかりは脳内ストレージに保存するしかなさそうだ。
因みに今日の夢莉さんの髪型はサイドテール。玉虫色のシュシュが初夏に映えて、とても清楚で清々しい。
しばらく何かを思案していた夢莉さんは、やがて顔を上げて言った。
「凛ちゃん、ちょっと時間かかってもいいかな? これ、すぐには解けなさそう」
「もちろん構わないよー! その代わり――――」
「うん、分かってる。解く過程も含めて、全部報告して欲しいんだよね」
「そうそう! 突如現れた謎の暗号! それを解く清楚系巨乳女子高生! とその助手! 果たしてその先には何が待ち受けるのか⁈ ふふふふふふふ……湧いてくる湧いてくる、インスピレーションが湧いてくるわー!」
あぁ、なるほど。そう言う事か。
今回なんでこの暗号を解くことが依頼になったのか疑問だったんだけど……さしずめこれも、小説の「ネタ」ということなのだろう。
それにしても助手……助手かぁ。全く働いてないけどそのポジションでいいのかな。
「あぁ、そうそう! そう言う事だから、もちろん麗華さんには相談しないでね? 一瞬で解決! っていうのもかっこいいけど……今回はそっち方向で話展開するつもりないから!」
なるほど。確かに彼女に相談すれば、あっという間に暗号程度なら解いてくれるかもしれない。
「寄り添う天才」麗華稀月。間違いなく彼女はワイルドカードであり名探偵足りえると思うけれど……今回は頼る事が出来なさそうだ。まぁ、彼女が夢莉さんに手を貸してくれるかどうかが、そもそも謎なんだけどさ。
「ふふ、分かった。頑張ってみるね。確認だけど、今回の依頼は『暗号を解くこと』でいいの? それとも、この暗号を作った人、を暴けばいいの?」
道理だ、と夢莉さんの言葉に僕も頷く。
暗号を解くだけでは、その背後にいる「黒幕」にまでたどり着かない可能性だってある。
「んー、そだねー。じゃぁ、こうしようかな。私のお願いは、その暗号を含めた『真相の解明』」
「またそれはハードルが上がったね……」
「ごーめんごめんって。まぁ勿論、できる範囲で構わないよ。期末試験も近いしね」
「うげ……」
期末試験。
学期の末にある試験。
中学、高校生にとって最大の宿敵にして強敵。
そいつは確かに、約一か月後に迫ってきてはいる。目を背けるのも、見ない事にするのも自由だけど、そいつは確かにやってくる。
「ふふ、確かにそろそろだもんね。でも、遅くとも一週間以内には、何かしらの進捗報告をするね」
そう言って微笑んだ夢莉さんには、やはり余裕が感じられた。確か、ララちゃん、ワッキーと並んで、夢莉さんの成績は学年トップクラスだったっけ……。
現国と……まぁ古典もか。それくらいしか能のない僕にとっては、雲の上にいるような存在だ。
んじゃ、楽しみにしてるねー! と言ってチャペルの鍵を職員棟に返却しに行った佐久間さんを見送って、教室へと向かう。
「ねぇ、奏汰くん」
「なに、夢莉さん?」
「ふふ、よしよし」
何がよしよしなんだろう。
「今回は役割を分けようと思うんだけど、どうかな?」
「役割? いいけど……誰が何担当?」
夢莉さんが暗号解読班だとすると……僕はなに班だろう。
そうだな、暗号解読を必死で頑張る夢莉さんに差し入れをする救護物資班とかはどうだろう?
あるいは、きっとボールペンを顎に当てたり、暗号解読用の本を読むために髪の毛をかき上げたりする夢莉さんの姿を余すところなく写真に収める撮影班というのはどうだろう。
……いやいや、何言ってるんだ僕は……。
「私が暗号解読班で、奏汰くんが犯人特定班」
「……犯人特定班」
佐久間さんの依頼は、「真実の探求」。暗号の解読は、黒幕に直接つながらない可能性がある。だからと言って当然、暗号をないがしろにすることもできない。
「『図書館の妖精』の時にね、私分かったの。奏汰くんと私は、謎を見る角度が違うんだって。得意分野が違うんだよ、きっと」
夢莉さんはあの時、「無数にある本の中から無作為に選ばれた一冊を知る方法」を解明しようとしていた。
僕は変則的に、犯人や登場人物側の気持ちから推理した。
「今回もそれが当てはまると思う。私は暗号を、そして奏汰くんは――――」
「犯人がどうして暗号を作ったのか、を考える訳だね」
「そう! そしてたら佐久間さんの言ってた『真相』に近づけると思わない?」
そうかもしれない。
最もそれは、僕が前回の様に犯人の気持ちになることができれば、の話だが。今はまだ少し……情報が足りない気がする。
けれど。
「そうだね。やってみようか」
夢莉さんが頑張っているのに、僕だけ何もしないという訳にもいかない。できれば僕だって、彼女の力になりたい。佐久間さん曰く、僕のポジションは「助手」だそうだから。
僕は夢莉さんの提案に乗ることにした。
嬉しそうに笑った夢莉さんの胸元で、サイドテールが揺れた。そんな彼女の笑顔を見て、つられて僕も少し笑った。




