第九話 (1) 『礼拝堂の暗号』
六月になった。
少し前までは冷え込んでいた朝晩も、ようやく身を縮こませる必要がない程度には温かくなり、日中の日差しの強さは、だんだんと初夏を感じさせるくらいになっていた。
クラスの雰囲気も良い意味で緩んできていて、高校から入学した生徒もこの学院に慣れてきているようだった。かくいう僕もそんな空気に当てられて、ルームメイト以外にも話す相手が増えていた。もちろん、一番よくつるむ相手はいつもの変態三人組なんだけど。
そんな感じで、ようやくクラスの生徒全員が馴染んできた頃合いで、様々なイベントが動き始めた。
まずスクフェスは、どういう形で展示を行うか、という段階に移った。
テーマは「生物の進化」。
このテーマが最もよく映えるよう、この八メートル×十メートルの教室を最大限効率よく使わなければならない。例のごとくスクフェスの展示の話し合いについては、週に数回、夜の自習時間を用いて行われていた。
「だーかーーら! やっぱりメインは模型やって! 恐竜どーーーーん! クジラばーーーーん! ってな感じでな!」
「んー、じゃぁ配置はどうするわけ?」
「メインやからど真ん中やろ! 進化の説明とかよう分からんし、壁にでも模造紙貼ればええわ。模型やで、模型! 恐竜でーーーーん! クジラどぉおおおおんってな感じで!」
「擬音が多すぎて情報量が足りなすぎる……。だいたい、そんな大きな模型いくつも置くスペースなんてないでしょ?」
「あ、それならこんなのはどう? 教室の中に通路を作ってウォークスルーにして、ストーリー仕立てにするの。入り口を生命の起源にして、歩くにつれて生物の進化を追う形だね。最後は人間」
「えー、地味じゃね?」
「派手ならいいってもんでもないでしょ?」
「ロマンがあるのは模型案だよなぁ」
「せやろ! やっぱ模型やで!」
「勝手に決めないでよ!」
うわぁ……白熱してるなぁ……。
最早誰がなんの意見を言っているのか(一名を除いて)分からない状況、まさに阿鼻叫喚だ。
クラスメイト同士も、大方仲良くなってきた頃合いだから、容赦なくお互いの意見がぶつかり合っている。
最初は割と穏やかに進んでいたと思ったのだけど、いざ展示の中身を決める段階になると「模型作りたい派」や「ストーリー重視派」が出始め、それ以外にもクラスのあちこちで論争が巻き起こっていた。
これには流石の七々扇さん……改め、夢莉さんも困り顔で、どう事態を収拾するか悩んでいるようだった(この名前呼びは中々慣れなくて、みんなの前では「七々扇さん」と呼ぶことを許してもらっている)。
ホワイトボードの上にある時計を見ると、既に迷走し始めてから十分以上が経過しようとしている。これ以上は生産性がなさそうだけど……。
そんな時、夢莉さんが「よし!」と手を叩いて声を張った。
少々ざわついてはいるものの、さっきより教室の中が静かになる。
「聞いてる感じ、展示内容で今一番大きく分かれてるのは「模型派」と「ストーリー仕立て派」だね」
「ストーリーなんてありえへんわ。教室内ぐるぐる歩かされたって楽しないやん。それが許されるのはお化け屋敷位やで」
教室の中にそれなりの長さの道を作ろうとすれば、当然仕切りを作る必要がある。そうなれば、大きな模型を作るスペースがなくなるだろう。
「模型って言っても、大きいのなんて精々作れて一個とか二個でしょ? それだけ見せられるのの何が楽しいっていうのよ」
教室内を改装する関係上、大掛かりな作業はスクフェス当日一週間前からしか行う事ができない。その一週間は「準備期間」として、全ての授業が休みとなり、教室内を模造紙や裏紙で作った壁紙で囲ったり、体育館で大きな模型を作ったりすることができる。
その一週間では大きな模型は作れて一、二個、というのは、まぁ妥当な計算だと僕も思った。
「模型派」「ストーリー重視派」。どちらも永遠に相容れないように見える。
「なるほどなるほど。ではこれを踏まえて、麗華さん!」
「……なんとなく嫌な予感はしていたよ」
「えへへ、ごめんね。私は解決案、ぱっと思いつかなくて……。何かいい案、ないかな?」
頬をぽりぽりとかきながら、申し訳なさそうに笑う夢莉さんをしばし眺めた後、ララちゃんは「やれやれ」と立ち上がった。
ララちゃんの身長はそれほど高くない。美代先生より少し大きいくらいだろう。
けれど、彼女が立ち上がっただけで教室は水を打ったように静かになった。誰もが彼女の言葉を待っていた。なるほど、意見出しの時に彼女に発言させるわけにはいかなかったわけだ。
「……聞けばこのクラス展示、投票で一位になれば、豪華な賞品がもらえるそうじゃないか」
議題とは直接関係ない内容に首を傾げつつも、皆頷いた。
なんとも太っ腹な事に、一位のクラスはロンドンへ一泊、旅行に行くことができる。
放牧地に囲まれ、外に遊びに行くことすらままならないこの学院の生徒にとって、それはもう喉から手と足が出るくらいには欲しい代物だ。
「ロンドンに一泊……いいじゃないか。歴史的な建造物に思いを馳せるのもいい……中華街で普段は食べられない美味いご飯に舌鼓を打ってもいい、ミュージカルもある。なにやら大きな観覧車もあるらしいし、意中の相手と過ごすのも、良さそうだな。おっと……これは禁句だったか」
静かな笑いがみんなの口からこぼれた。この学院は男女の恋愛を禁止している。いや、別に同性愛を推進しているわけではなく、単純に、思春期真っただ中の男女が「いたして」しまわないように、という大人の事情があるようだった。
ただ、こんな小さな空間に少年少女がみっちり詰まっていて色恋沙汰の一つもない、なんてことがある訳もなく……一部の生徒は、先生にばれぬよう、こっそり付き合っている、という事らしかった。
「さて、そんな素晴らしいご褒美、欲しいのは私たちだけじゃない。当然全学年が狙いに来る。脳内のアイディアというアイディアをひからびるまで絞りつくして、そうして集めた濃厚な企画のエキスを、更にこして、選別して、濃縮した。そんな素晴らしい展示をしてくるだろう。……ならば、と。私は皆に問いたい」
独特の語り口だ。
言葉を発しているのに、イメージをぶつけられているような、そんな気分になる。
だけど何故だろう、僕らはもう、ララちゃんから目が離せない。
「妥協案ごときで本当にいいのか?」
その言葉は囁くように、そして次の言葉は力強く、彼女は言った。
「どちらがいいか? ふ、笑わせる。欲張っていこうじゃないか。私は『どちらもいい』と言わせてもらおう」
「ど、どっちも?」
「麗華さん、それは無理やで」
ここにきて初めて、雅樹が口を挟んだ。
「ストーリー仕立てじゃ、どうしても教室内を区切る必要がある。それじゃ迫力のある模型は置けへんもん。ちっこい模型なんか置いたところで、しょーもないだけやで」
「ふふ、そうだな、その通りだ」
この質問が出ることも、予想済みだったのだろうか。ララちゃんは即答した。
「だが……こうすれば……どうだ?」
教室の前に立ち、ララちゃんはホワイトボードの真ん中辺りにさらさらと絵を描いた。
それは、恐竜が壁から飛び出してきている絵だった。
てか……絵、うまいな。
「恐竜の上半身と……足だけが模型……?」
「そう。残りは壁紙に絵を描いてもいい。遠近感があれば尚の事、『飛び出してきた』ような迫力が出せるかもしれないな」
恐竜の巨大さは残しつつ、むしろ、その一部だけが模型として飛び出してきていることで、巨大さは強調される。全身を作る必要がないからスペースの問題も解消され、作る手間も少なくなるから、数も作れる。
「進化の肝となった生物、例えば恐竜、クジラ、キリン……ふ、どいつもこいつもデカいのばかりだな。全部作ってしまえばいい。それを要所に置きつつ、進化の歴史を、教室内を客に歩いてもらう事で知ってもらう。どうだ?」
反対する生徒などいるはずもなかった。
大歓声と共にララちゃんの案は可決され、作る模型の種類、壁紙のサイズ、展示の配置や、それに必要な器具など、具体的な話し合いが次々と進んでいった。
提示した案もさることながら、やはりあの語りがすべてだった。
僕らの心を一瞬で鷲掴みにし、束ね上げ、同じ方向を向かせた。寄り添う天才はこんなところでも力を発揮できるのかと、再び席に着き、ぼんやりとホワイトボードを眺めているララちゃんを見て、そう思った。
◇◇◇
その後も順調に話し合いは進み、「地球誕生―生命誕生」「古生代」「中生代」「新生代」の四班が作られ、更にその中でも模型班や背景班、ストーリー班に人員が割り振られ、これからは班ごとに話し合いが進められることになった。
僕は第一班「地球誕生―生命誕生」になり、その中でもストーリー班へと割り振られた(因みに雅樹は中生代担当の三班、模型班に無事入る事ができたようで、とても嬉しそうだった)。
「えへへ、ここでも一緒だね、奏汰くんっ」
「だね」
で、第一班のストーリー担当は二人。僕と夢莉さんだった。
第一班に僕と夢莉さんの二人が割り振られたのは偶然だったが、ストーリー担当になったのは周りの推薦……もとい押し付けだった。
「地球誕生―生命誕生」は展示の最初、つまりストーリーの始まりに位置する。その後の流れを決める重要なポジションだという事で、夢莉さんが抜擢され……まぁ僕はそのおまけだ。
部活動も一緒だし話し合いとかの場も設けやすいよね! 文芸部だしストーリー考えるの得意だよね! じゃ、二人一緒で! という半ば強引な流れだった。
重要で面倒くさい、そして何より地味な所だから押し付けられただけな気もするけど……手先は器用な方じゃないし、美術も技術も得意じゃない。丁度いい所に落ち着いたとは思う。
模型班、背景班の人たちは各々集まり、どんな展示にするか構想を練っている様だ。
「ストーリーが決まらないと具体的に詰められないから、方向性は早めにみんなに提示しないとだね」
「うん。と言っても基本は史実通りに進めればいい訳だし、楽だと思うけど」
地球が誕生してからバージェス動物群が出現するカンブリア爆発くらいの時期までが、僕たちの担当だ。そう大きく弄るところもないだろう。
ヒトが出始めた新生代あたりのストーリー担当の方が大変そうだ。あっちの担当は……あぁララちゃんか。妥当で適切で懸命で、どうしようもないくらい最善の選択だね。
「あ、そうそう奏汰くん。文芸部の活動の方なんだけどね、明日の放課後、ちょっと付き合ってくれる?」
暫くして、そろそろ話し合いも一区切り、という所で夢莉さんが言った。
「うん、勿論。今回はどんな相談事なの?」
結局前回の『図書館の妖精』事件は、スクフェスでは扱えない題材だった。
残念ではあるけれど、秘密を暴くことで傷つく人がいるのであれば、それは避けるべきだろうというのは、僕も夢莉さんも同じ見解だった。
「んー、一言で言うと厄介そうで面白そう? みたいな?」
「それはまた……」
なんともコメントしづらい。できれば今回はさくっと真相が明らかになるといいんだけど……。
そんな僕の気持ちを汲み取ってか、ごめんごめん、と笑いながら、夢莉さんは続けた。
「えっとね、今回はどうも、暗号を解く必要がありそうなんだ」