もう、逃げない
いつもの二倍文字数がありますが、読んで頂けたら嬉しいです!
最後の授業も、ルディアス様に手を引かれて一緒に授業部屋へと向かった。
ルディアス様の手は、私よりもとても大きくて温かい。包まれるように握られる手にとても安心した。
学院を辞めることになったら、ルディアス様とは会えなくなる。自分が望んだことなのに、少し悲しくなった。
火の授業は、赤い扉の部屋で行うようだった。
部屋に入ると、中は洞窟のようになっていて少し薄暗い。足場も岩場も少し濡れていて、滑りそうだ。
生徒達がもう訓練しているのだろうか。時折むわっとした空気が肌にあたる。
火の授業はソフィア様とエスト様がいるので、二人との合同授業になるとルディアス様から教えてもらった。
イザベラ様とアロイス様も、何かあった時のために待機してくれているらしいが、今は姿が見えない。
魔法が大好きなイザベラ様のことだから、きっと魔法の訓練をしてるんだろうなと思う。
ただ、水の授業を受けているはずの二人が、火の授業に来てくれるくらいだ。それほど危険な訓練なんだと私は気持ちを引き締めた。
◇◆◇
「アイリス!」
声をかけてくれたのはソフィア様だ。私たちの方へエスト様と一緒に駆けてきてくれた。
ソフィア様とお会いするのは、最初の日以来だった。ふわふわしたピンクゴールドの髪が、彼女の動きに合わせて薄暗い洞窟でキラキラと揺れていた。
一度しかお会いしてないのに、名前を覚えていてもらえた。それが嬉しくて少し声が上ずってしまう。
「あっ……! あの、ソフィア様。はじめまして?」
「ね! はじめまして、かな?」
「ルディアスもアイリスも、やっときたなー! 待ってたぞー」
「エスト様、今日は宜しくお願いします」
「おう! じゃあ皆揃ったし、今日の訓練を始めようぜ!」
にこにこと笑ってくれるソフィア様とエスト様は気さくで、初めてお話しする人のような気がしなかった。それに少しだけほっとする。
エスト様の言う訓練は、ソフィア様と私が作り出した炎を、洞窟内にある木で組み上げた塔のような物に燃え移らせるといったものだった。
洞窟内でも広い空間にあらかじめ組まれていたのだろうか。木の塔はルディアス様の背よりも随分高い。
洞窟内は湿っていたので、それなりの威力じゃないと火がつかない。危ないから充分気をつけてやるぞとエスト様から言われた。
今朝私にルディアス様がかけてくれた魔法は、この為なのかなと思った。
「アイリス、準備はいい?」
「は、はい! ソフィア様」
緊張する私に、ソフィア様は優しい。
先にお手本を見せてあげるからと言ってくれた。
「まずは私とエストが火を作り出すから、アイリスはそこに魔法を合わせてみてね!」
「はい、わかりました」
私が答えると、塔を挟んで向かい側へソフィア様とエスト様は向かう。しばらくすると二人がいるであろう場所が、ぼんやりと光り出した。洞窟内は少し暗いので、そこだけが光り輝いて見えた。
――ソフィア様の髪と同じ……とっても綺麗な色。
見惚れていると、次第に膨らんでくる光は炎となり一気に塔へ燃え移ろうとする。
その時だった。
耳を裂くような生徒達の悲鳴と一緒に「逃げて、アイリス!」と声が聞こえる。
――え? どうして……?
塔に燃え移っていた炎は、勢いを増して大きな炎となり、その勢いのまま私達の方に向かっている。
どんどん近づいてくる炎に、恐怖で足がすくんで動けない。
――に、逃げなきゃ。でも、どうやって?
わからない。なんで? どうして?
怖い。やだ。だれか……。
何も考えられなかった。熱くて恐くて、その場でがくがくと震える身体を自分の腕で抱きしめた。
むわっとした熱気と炎が目前へと迫る。
――もう駄目っ……!
恐くて目を閉じた時、ふいに何かに覆われる感覚がした。
優しい匂い。今朝と同じ、安心する腕。
――もしかして、ルディアス様……? ルディアス様に抱きしめられてるの?
「アイリス、大丈夫か?」
「ルディアス様……?」
見上げると、ルディアス様がいた。先程まで目前に迫っていた炎は、ルディアス様の背中で――。
そこではっと我に返る。ルディアス様が自分を盾にして私を守ってくれていた。
「ルディアス様、ダメです! そんなことをしたら、怪我だけではすみません!」
「問題ない」
「やめてください、ルディアス様……!」
「……すまない。防壁を張っても心配だった。アイリスは俺が守ると言っただろう?」
そう言って顔を歪めるルディアス様を見て、私は今まで何を悩んでいたんだと歯がみした。
私は傷つけたくないから魔法を使わなかったんじゃない。自分が傷つきたくなかったから使わなかっただけだ。
――でも、もしまた失敗したら?
まだ魔法を使うのは怖い。魔力が自分の体の中を駆け抜ける、あのぞわっとした感覚は、人を傷つける証のような気がして恐ろしかった。
――だけど、ここで逃げたら……。私は……。
私はきっと後悔する。
うまくいくか、なんてわからなかった。それでも、今ここで逃げたくなんてなかった。私だって、ルディアス様に傷ついてほしくない。
「ルディアス様、魔力を下さい」
「アイリス……?」
「私がやります」
一瞬目を見開いたルディアス様が頷くと、彼の魔力が私に流れてくる。その魔力はいつものように熱かったけど、嫌な気持ちにはならなかった。体を包み込んでくれるような、暖かい感覚に身を任せる。
いつだってルディアス様は私を受け入れてくれた。
私の傍にいたいと言ってくれた。私の魔法が好きだと言ってくれた。失敗しても笑ってくれた。
ずっと一緒にいてくれた、優しいルディアス様。
初めて誰かのために魔法を使いたいと思った。
誰かに認めてもらうためじゃない。誰かに褒めてもらいたいからじゃない。
――ルディアス様を守りたい!!
私の気持ちに呼応するように、クリスタルから強い光が放たれる。
もう大丈夫。恐くない。私にはルディアス様がいてくれる。
だから、クリスタル。お願い……
「私の思いに応えて……!!」
声と同時に眩い光がクリスタルから溢れ出す。炎を飲み込むように、洞窟内をクリスタルの光が満たしていく。
炎は消えるように、皆を守れるように、そう願いながらクリスタルに祈る。
目を閉じると、クリスタルの光を通じて全てがわかるような気がした。炎が消えていく感覚や、洞窟内の生徒達の様子。
それはとても不思議な感覚だった。
クリスタルが教えてくれているのかもしれない。
ソフィア様もエスト様も……皆、無事のようだった。
しばらく目を閉じていると、アイリスと呼ぶ優しい声が聞こえた。
「……よく頑張ったな」
ルディアス様の声に、周りを見渡すと炎が綺麗に消えていた。
「ルディアス様、お身体は大丈夫ですか……?」
「問題ない。アイリスが俺を守ってくれたからな」
ルディアス様は「感謝している」と言いながら、また二回私の頭を叩く。
最初に叩かれたときは、なぜ叩かれるのかわからなかった。二度目は叱られているんだと自分を責めた。
でも、もしこれがルディアス様の優しさだったら……心が震えるほど嬉しい。
「ルディアス様、痛いです……」
そう言って笑うと、ルディアス様が眉を下げる。
「……すまない。力加減が難しい」
「いいえ。あ、の……褒めてくださっているんでしょうか」
窺うようにルディアス様を見上げると「当たり前だ」と頷いてくれた。
その言葉が嬉しくて、思わず泣きそうになってしまった。
――いけない。泣いたら駄目。
涙が出てこないように歯をくいしばっていると、ルディアス様は苦しそうに顔を歪めた。
どうしたのだろうと少し不安になっていると、今度はそっと頭を撫でてくれる。大きくて優しい手がとても気持ちいい。
「……すまなかった。俺はアイリスの過去を陛下から全て聞いた」
「え……?」
「幼かった頃の話や、父親の話もお前の魔法の話も全て」
「知っていたんですか……?」
ルディアス様に話を聞こうとすると、エスト様とソフィア様が走ってくるのが見えた。
「おい! 大丈夫か、二人とも!」
「アイリス! 大丈夫だった!?」
「エスト様、ソフィア様! 私は大丈夫です。ルディアス様が庇ってくれましたから……」
「ルディアス様が……? お身体は大丈夫なんですか?」
心配して近くに来てくれたソフィア様を、ルディアス様が手で静止する。
「ご、ごめんなさい……」
ソフィア様は小さく呟くと、だんだん顔色が悪くなり、エスト様の後ろに隠れてしまった。
「大丈夫ですよ。イザベラ様がルディアスとアイリス様に、水の膜をはりましたから」
後ろから聞こえた声に振り向くと、イザベラ様とアロイス様の二人が傍にいた。
「イザベラ様、アロイス様! 助けて下さっていたんですね。ありがとうございます」
「たいしたことはしてないわ。アイリス……すごい魔法だったわね」
「ええ、私もあのような魔法は初めて見ました」
イザベラ様とアロイス様が笑いながら褒めてくれるのが少しくすぐったい。私が初めての感情に戸惑っていると、ソフィア様に抱きしめられた。
――どうしたんだろう。ソフィア様の身体が震えている。
「アイリス……ごめんなさい。炎は私のせいなの」
「ソフィア様……?」
「私、大きな魔力はまだ扱いきれないのに……本当にごめんなさい。エストの考えた作戦で、アイリスを元気づけようとしてたのに……私が失敗したから……」
「あ、ソフィア! それはアイリスには言わないって言っただろ!」
慌てたようなエスト様の様子に、私だけが知らされていなかったのだと悲しくなる。
「作戦って……どういうことですか?」
「……すまない。俺がエストに相談した」
ルディアス様が言うには、私が自分の魔法に自信が持てるように、ソフィア様とエスト様が魔法を成功させやすい場を整える手はずだった。
でもその作戦は失敗し、炎が強くなりすぎて私達に向かってきてしまった。
そのことを察したルディアス様が、私を庇ってくれたようだった。
「ごめんな、アイリス。本当はアイリスが最初に見せてくれた花みたいなものを炎で一緒に作ろうとしてたんだ。
万が一何かがあったときのためにイザベラとアロイスにも待機してもらってた。
でも、俺がソフィアに魔力を送りすぎたから、ソフィアはそれで焦っちまって……危ない目に遭わせて本当にごめん!」
「……っ!! アイリス、本当にごめんなさい!」
「すまなかった」
三人に謝られて戸惑ってしまった。
あの炎は本当に恐かった。今でも思い出すと身体がすくむ。
それでも、ここにいる人達は私のことを考えてやってくれた。
でも……
「私はあの時、本当に恐かったんです。炎が目の前まで来ていて、もう駄目だって思いました」
「すまない……」
「だから、私の前に跪いて下さい」
ルディアス様、エスト様、ソフィア様と三人の名前を呼ぶと、私の言葉にイザベラ様とアロイス様が驚いた様子だった。
だけど、目の前にいる三人は従ってくれた。
私は立ち上がって、三人の頭を順番にぽんぽんと二回叩く。
向かってきた炎はとても恐かった。それでも、私のことを自分のことのように考えてくれた皆の優しさが嬉しかった。見捨てないでくれて嬉しかった。
「これでおあいこです。皆さん、ありがとうございます。私のことを考えて下さって」
「アイリス……」
ルディアス様は私を呼ぶと、強く抱きしめてきた。
私の腰にすがりつくように腕をまわすルディアス様は、まるで幼い子供のようだった。
「俺は許されないことをした。陛下にアイリスのことを聞いたことも、危ない目に遭わせたことも……」
「いいんです、ルディアス様。それに過去の私を知っても、傍に居たいと言ってくれたことが私にはとても嬉しいんです」
「俺はお前の傍に居ることを許してもらえるんだろうか」
「――いいえ」
「そう、か。だが、それでも俺は……」
「いいえ、違うんです。ルディアス様。
私がルディアス様のお傍に居ることを許してほしいんです」
私が、「駄目でしょうか?」と伝えるとルディアス様は笑顔を見せてくれる。こぼれるような笑みを浮かべるルディアス様は、今までの中で一番誇らしげな顔をしていた。
その笑顔に私の鼓動が少しだけ早くなったような気がする。
「俺の傍にいてほしい。俺はたとえアイリスが望まなくなっても、お前の傍に居たい」
「私もルディアス様の傍に居たいです。私がルディアス様を嫌になることは、これから先もきっとありえません。これからも宜しくお願いします」
誰からも認められなかった私を、初めて認めてくれた。
見捨てないでくれた、傍にいたいと初めて願ってくれた。
必要とされることがこんなに嬉しいことだって知らなかった。
教えてくれたのは――ルディアス様だ。
「おーい……俺達がいること忘れてないか?」
「ちょっと、エスト! 無粋じゃない!」
「そうですよ。せっかく二人の気持ちが通じ合ったんですから」
「あら? 二人ともまだそういう関係ではないんじゃないかしら?」
「そうだなー。仲直りしただけか?」
「エストが口を出すと話がこじれますね……」
「まあ、よかったんじゃないかしら。ねえ、アイリス?」
イザベラ様に笑いかけられて、改めてお礼を言おうとルディアス様と私は少し離れる。
「はい。皆さん、今日は本当にありがとうございました!」
「ああ。俺からも礼を言おう。アイリスの元気が出たからな」
「そうですね……。元気が出たことは良いことですね」
「そうだな! これからも宜しくな!」
「私はいつでも訓練に付き合うわよ? アイリスの魔法って面白いんだもの」
「私も訓練に参加させて? 宜しくね、アイリス!」
皆に笑いかけてもらえて、私も自然と顔がほころぶ。心配してくれていたことが、今は素直に嬉しかった。
隣には、私に笑いかけてくれるルディアス様がいる。
私にクリスタルがあってよかった。
学院にきて、ルディアス様や皆と会えて本当によかった。
心の底からそう思えたことが、とても嬉しかった。
読んで頂きありがとうございます。
これにて、二章へ移る準備にはいりますー!