6.ライバル
6.ライバル
「それで、これからどうします? もうちょっと町を見て回ります?」
レストランを出て、町をぶらぶらと歩きながらノアが聞いてくる。
店員もおらず、レジもなく、当然のように会計をする必要もなく店を出たのには、無銭飲食をしたような罪悪感と違和感がつきまとうが、この世界ではむしろそういうことをする常識はないのだろう。あまりにも自然とノアが店を出るから僕もそれに従う。貨幣経済は文明がある程度発展してからできたものではあるが、そこに利便性があるから作られたもので、この世界ではそれすらも時代遅れなのかもしれない。
なんにせよ、レジでのやり取りが必要なかったのはこの場合は好都合だ。
レジでごちゃごちゃやっていたら、あのレストランにいた二人組に見咎められていたかもしれない。
「いや、今日は疲れたから家に戻ろうよ」
未来のグルメを満喫して、体力はあり余る程に回復していたのだが、今は一刻も早くあの二人組のいるところから離れたかった。
「それは、困ります」
ノアはキッときつい表情で僕をにらんでくる。
「困るって何が?」
ノアは何が不満なのか、僕にはわからない。
「それでは物語は何も始まらないんじゃないですか? これでは私の世界は何も変わっていませんよ。変わったのはソウタがいることくらいです。過ごしている日常はかつてのものそのままです」
「ノアが、僕にどうしようか聞いてきたんだから、どうするか決めるのは僕の勝手でしょう?」
「いじわるな言い方をしますね。ソウタはこれが何も起こらない物語でいいんですか?」
ノアはその透明な蒼い瞳で、僕の内心を見透かそうとするように見つめてくる。
それが物語であるのなら、何も起こらない物語というのはほとんどない。でも、僕はこの物語がどういうものなのか測り兼ねている。ファンタジー、バトル、ミステリー。ノアとの恋愛物というのも悪くないかもしれない。これだけかわいい神秘的な少女との恋愛なんて萌えないわけがない。
あるいは、本当に山も谷も少ない日常物という可能性もなくはない。舞台設定がとんでもなものではあるが、それならば突拍子なことがほとんど起こらない可能性もある。
物語を外から見ている分には事件が頻発し、物語に山あり谷ありなのは結構なことだろう。しかし、もしも自分が物語の登場人物になったらと考えるとそんなのはごめんこうむりたい。
体は子ども、頭脳は大人の某名探偵を見てみろ。あんな世界に入ったら、毎日が殺人事件だぞ。そんなもの、普通の人間なら一生に一度でも遭遇するほうが珍しい。
そんな世界の登場人物になれたら毎日がサスペンスでドキドキワクワクって……、そんなことあるか!
モブキャラとしてあの世界に行ってしまったらサドンデス!
やっぱり、何もない平和な日常物が一番だ。
「いいんじゃないか。何も事件が起こらない平和な世界! 結構じゃないか」
「それで物語って言えるんですか?」
「そういう物語もあるんだよ。何もない日常を優雅に満喫する。日常に起きる小さな幸せを享受する。傍目にはつまらないことに見えるかもしれないけど、何よりも大切なことなんだよ」
「そんなものですかね……」
ノアは不満顔だが、これぞ至上の世界。
これ以上、何も望むものなどあるわけがない。
ノアという、純白の美少女を連れ添って、雲の町を練り歩く。
最高じゃないか……。
そうやって、町の雰囲気を楽しんでいたところ、その生活音に異物が混じっていることに気づく。
「にいさまのせいですよ! にいさまが尻込みしているから、いつの間にかあいつら帰っちゃったじゃないですか! どうするつもりですか!?」
「だから、何度も悪かったって謝っているだろう! どうせそんなに遠くには行ってないんだからすぐに見つかるって」
「油断させてあっちに準備する余裕を与えてしまったら、こっちにかかる面倒事も多くなってしまうんですよ。やるべきことは早めに片付けてしまうほうがいいのです」
「そんなに慌てないでも、メーセの能力を使えばあいつらの居場所なんて一発で丸わかりでしょう。そんなに怒らなくても……」
「にいさまは本当に何に対しても甘いですね」
「メーセがいてくれるからな」
「もう、ほんとにいさまは……」
周囲の雑音の中でも一際大きく、特徴的な高い声に、その会話の内容。後方十メートルくらいから聞こえる会話は、振り返ることもなくレストランで聞いたあの二人組の会話だとわかる。その声に僕の背筋が凍る。
不幸中の幸いなのは、向こうからはこっちが見つかっていないらしいことだ。それならば、逃げる他ない。今あいつらとかちあったら不味いと、脳内の警報ランプが最大限にまくしたてる。三十六計逃げるに如かず。
「それじゃあ、索敵してくれ。メーセ」
「らじゃあです! にいさま!」
ノアにここから逃げようという前に不吉な会話がなされる。
索敵だと……!?
「前方十メートルにIDなしを発見です!」
「あらら、そんな近くに。だからすぐ見つかるって言っただろう」
「そうやって油断しないでください」
ノアに「逃げよう」の「逃」の字すら言う暇を与えず、見間違うことないレストランでのあの二人が再び目の前に現れる。
「よう、また会ったな」
突然の邂逅に、僕とノアは距離をとるように一歩ずつその二人組から離れる。
「またってなんだよ。お前ら誰だ?」
あまりのプレッシャーに早口となるが、虚勢を張るように僕はまくしたてる。
「そうか、お前らにとっては初対面だったな。IDなしの異物君。俺達こそお前らの正体が知りたいんだけどな」
「名乗るならそっちが先だろう」
「ふむ。それはそうかな。名乗ることもなしに木っ端みじんというのもつまらないし、自己紹介くらいはしときますか。俺はツクル。で、こっちのはメーセ。俺の付き人だ」
ツクルと名乗った少年はたぶん僕と同じくらいの年代に見える。しかし、体は一回り大きくボクサーと見間違えるような立派な体をしている。もう、いかにも強そうである。
メーセと呼ばれる少女は、ツクルと比べて頭一つ小さい赤髪の少女。その見た目からは純真なかわいいかよわい少女にしか見えない。
「メーセです! 以後よろしく♪ まあ、これでおわりかもしれないけどね」
メーセは、ツクルの腕に自分の両腕を絡ませて自分の体を密着させている。その体勢で無意識なのか狙っているのか、大きな胸がツクルの腕に押し当てられている。
なんといううらやま……、けしからん。
ノアも非の打ちどころのない美人ではあるが、こっちは手すらつないでいないのに、おまけに呼び方が「にいさま」だと……。
しかし、今はそんなことに気を使っている余裕はない。
もはや、見間違うこともなくツクルとメーセは敵意びんびんである。
「それで、お前らは?」
「名乗る必要なんてない」
「一体、突然何の用ですか?」
ノアもさすがに異変に気づいたらしく、僕に同調するように二人を突っぱねる。
「おいおい、こっちが名乗ったのにそっちは名乗ろうともしないってか。まあいいや、メーセこいつらの正体は?」
「女の方はノア。時を越える能力者のようです」
ノアのほうをじろりとにらんだメーセは淡々と答える。
その言葉に、ツクルは驚いたようにメーセのほうを振り返る。
「なんつう珍しい能力を……。それで、男の方は?」
その言葉を聞いて、メーセは僕のほうをにらむ。
その赤い焼けるような瞳に僕は金縛りにあったように動けなくなる。
「……。IDが無いから、名前も不明、能力も不明。何もかもさっぱりです」
しばらくの沈黙の後、メーセは申し訳なさそうに答える。
「なるほど、時を越える能力者と、何を持っているのかすら分からない能力者か、厄介そうだな……」
ツクルはメーセの言葉を聞いて警戒心を強めたようだ。
確かにその能力だけを聞けば、強者の香りがぷんぷんとする。
しかし、それが実際は時を越えられなくなった能力者と、自分でも能力がわからない能力者であるのだから救いようがない。
対して、こっちが分かっているのは、何やら探知系の能力を持っているらしいメーセと、何の能力を持っているかもわからないいかにも強そうなツクル……。
あれ、こっちも持っている情報あまり変わらなくない?
絶望的だ……。
完全にサドンデス。これでは、虫けらのようにあっさり殺されてしまう……。
だから、そういう物語は勘弁だって思っていたのに……、平和な日常物にしてくれよ……。
でも、もしそういう日常物でないのなら強そうな敵キャラ、ライバルというのが存在するのは物語の常である。主人公、ヒロイン、ライバルは物語を作る鉄板な配役である。
つまり、この状況自体、もしかして僕の物語を作る能力が呼び起こしてしまった状況なのだろうか……?
「それじゃあ、なんの恨みもないけどおとなしく死んでくれよ」
その言葉を合図にツクルの体が、その場に残像を残すほどの高速で動く。モーセの姿だけがその場にしっかりと残り、ツクルの体はぼやけて見える。
あっ、死んだ……。
常識外れの動きの早さに僕は瞬間的に理解する。こんなもの避けられるはずがない……。
それを理解した瞬間にあたりの動きが突然スローモーションのようにゆっくりとなる。
これが死ぬ直前に見えることがあるという人体の特殊な反応の一つなのだろうか……。
これで終わっちまうなんてなんてつまらない物語なんだろうか……。
その短いはずの長い瞬間に僕はこの世界でのことを振り返る。
もうちょっと、この世界のことを楽しみたかったな……。
ノアの為に物語を作れることもなく、ここで物語は終わる……。
ところが、その終わりはいつまで経ってもやってこない。あれ、この間ってこんなに長いものなの?
ツクルが大きく振りかぶった拳が段々と僕の顔面に近づいてくる。
コマ送りのように繰り出されるその動きに反射的に僕は回避行動をとろうとする。
動ける……。
認識だけがゆっくりになっている状態かと思っていたが、体もその認識についてきてくれる。
半身になって拳が僕の横を通過するのを悠々と見守る。
途端に時間が世界に戻ってくる。
ドーン!
勢いあまって地面に叩きつけられたツクルの拳は辺りに轟音を響かせ、その衝撃波に僕は吹き飛ばされてしまう。
いや、なにその破壊力!?
直撃していたら文字通り木っ端みじんじゃないですか!?
「ほう、不意打ちなのにあれを避けるのか……」
ツクルは悠々と立ち上がりながら驚いたようにつぶやく。
不可避の死からなぜ逃げることができたのか。何が起こったのかは僕にも分からなかった。