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9.逃亡

9.逃亡

「うっ」

 攻撃を受けたツクルではなく、攻撃を仕掛けた僕のほうがうめき声をあげてしまう。

 嘔吐させんばかりの勢いで殴ったつもりだが、ツクルの腹部のあまりの硬さに僕の拳のほうが参ってしまう。肉の柔らかさを想像していたそこは、鉄の鎧のように硬かった。

 でも、その痛みにずっと怯んでいる訳にはいかない。

相変わらずコマ送りのようなぎこちない動きではあるが、ツクルの行動は止まることなく続いている。逃げないとまたあの衝撃波を食らってしまう。

 こちらから攻撃をしかけたせいか、僕も体勢を崩していたせいもあって、今までで最も接近した場所でツクルの攻撃を見送ることになる。

「ぐっ」

 それでも余裕をもって、30センチは離れた位置でツクルの拳を見送ったはずなのに、その衝撃波を受けた僕はまたしてもうめき声をあげてしまう。至近距離でそれを受けたことで、突然サウナに入ったときのような熱気とともに、熱風も重なる。

 さっきより余計に吹きとばされた僕は尻もちをつく。吹き飛ばされた先が普通の大地であったり、コンクリートであったりしたなら骨折でもしかねない勢いだったが、下が雲のおかげで助かった。

 普通の雲であるならなんの感触もなく突き抜けてしまうはずだが、ここの雲は車のエアーバックのような吸収力で衝撃を受け止めてくれる。

 ツクルは、僕が先ほど拳を当てた胸の部分をさすりながら、こちらに振り向く。その瞳は炎が踊っているように怒りで燃えていた。

「この野郎……、俺に一撃をいれてくれるとは……」

「そっちが隙だらけだったからさ」

 僕は精一杯の見栄を張るが、ツクルに怯む様子は全くない。

 ツクルが恐れを抱かないのも無理はない。

 ツクルから今までにないプレッシャーを感じて、僕の声には力がこもっていなかったからツクルに脅しをかけられるような声色ではなかった。

「蚊に刺された程度の痛みしかなかったけどな。動きもちょろちょろとしていやがるし、本当にうっとうしい!」

ツクルの言葉に僕はさらに怖気づく。

 今まではツクルの挑発の言葉の中にも、なんとなく余裕があったが今はそれがない。今や完全に僕を敵として認識しているし、文字通りそこら辺を飛ぶ蚊を殺す時のような圧倒的な殺意に満ちていた。

こっちが逆に怯むほどの一撃だったし、ツクルにはほとんどダメージは与えられていないはずだが、それでも僕の微かな一撃はツクルの逆鱗に触れたらしい。

「ソウタ、これ以上は無理です! 逃げますよ」

 ノアがメーセの攻撃をいなしながらも叫ぶ。

「わかった!」

 ここまでやれれば、これ以上はもう望むべくもない。

 本気で怒らせたツクルが何をしでかすのかわかったものじゃない。

 ノアの言葉に僕は即答する。

「すんなりここから逃がすわけがないだろう!」

 ツクルの声がそれに応えるように轟く。

 本気を出したツクルは、今までよりもさらに早く動き、時間を操作しているはずのノアにすらひけをとらない。

 それでも、ノアはツクルよりも少しだけ早く僕の手をつかむ。

 時の歪んだ世界を僕達は二人で駆ける。

 これなら大丈夫……。

 この世界を支配しているのは僕とノアだけだ。

 これならツクルに追いつけるはずがない……!

 そんな僕の安堵もむなしく、ツクルは普通に時が流れる世界を全力で駆けて、僕達のすぐ後ろを追ってくる。

 ノアの息が荒くなり、隣を走る僕の耳にもはっきりとその音が伝わる。

 ノアは明らかに疲れていた。さきほど、時を操る能力にも限界があるという話を聞いていたが、酷使しすぎたのだろうか……?

 そうだとしたらまずかったと自分を責める。そこまでのリスクを背負うなら真っ先に逃げればよかった……。

 一歩一歩とツクルは僕達に迫り、さらに間の悪いことに、眼前には雲の端が見えてくる。先に広がるのは青い空のみ。

 万事休すだ。もう逃げ場はない。

「よしっ、とらえた!」

 時の流れのせいか歪んで聞こえるツクルの声も歓喜に震える。

「ソウタ、捕まって!」

 ノアの言葉の真意を分からず、雲から落ちないようにとブレーキをかけた僕を強引な力でノアが引っ張る。

 そのまま、ノアは雲の端から飛び降りた。


 飛び降りた……。えっ……?


 あまりの現実に一瞬それを受け入れられていなかったが、そんなことに構わず重力は均等にかかり、僕とノアはどんどんと速度を上げながら下へ下へと落下していく。

 なにごとか叫んでいるツクルの声がどんどんと遠くなっていく。なにごとか怒りを込めて大声で叫んでいるようだが、その言葉は頭に入ってこない。もう時間の流れは正常に戻っているようで普通に声は聞こえるのに、そんなことよりも頭を集中しなければいけない事態へと陥っていた。

「あっ、そうだ! もしかして、空を飛べるんでしょう? 雲の上に町があったくらいだし、コーヒーカップだってなんだって飛んできたし、人間だって簡単に飛べるって言うそういうオチだよね? ねっ?」

 この一直線に自由落下しているという状況を打破する術を全く思いつかない僕は、一縷の望みをかけてノアに尋ねる。こんなキレイな女の子と密着して空を飛んでいるというのに、そんなことを楽しんでいる暇は全くなかった。

「何を想像しているのかは知りませんが、人間は空を飛べません。確かに、浮遊の能力を人間に付与することもできなくはないですが、私も、もちろんツクルもそれを持っていません」

 にっこりとノアは微笑む。

「じゃあ、どうするの!?」

 無能だと思っていたこのパートナーのノアは、この戦いの中で素晴らしい能力を見せてくれた。それに自分から飛び降りたわけだし、この状況を覆せる何かを持っているはずだ。何もできないというのならただの自殺志願者だ。こんなの落ちている間に人生何回振り返るんだよ……。

「どうするもこうするも素直に落下するしかありません。地上まで一万メートルの空の旅をお楽しみください」

「いやいや、空の旅をお楽しみくださいってそういう使い方しないからね!」

 それは飛行機が離陸直後のキャビンアテンダントの常套句であるが、ここには立派な黒い制服を着た搭乗員も、楽しみの機内食も何もない。

 黒髪清楚なスチュワーデスとは対照的な白髪美麗なノアは、空の旅のお供としてぴったりな美貌ではあるが、その行き先が天国ではさすがに釣り合わない。飛行機の行く先が木っ端微塵だと分かっていたらそんなもの乗りはしない。

 えっなに? とても現代では想像もできないようなあれやこれやがある世界だというのに、空を飛ぶこともできないの?

「いや、でもそこの鳥達みたいに翼でもあれば抗いようもありますけど、今の私達にはどうすることもできないですからね。おとなしく受け入れるしかない状況なら楽しんだ方がお得ですよ」

 こんな状況を楽しめるのはスカイダイブマニアのごく一部であろう。ノアの言うように僕等の側を悠々と鳥が飛んでいくが、翼があればとこれほど望んだことはない。

「って、こんな高地に鳥なんて飛んでいるわけないだろう!!」

 まだ、落下しはじめてそんなに時間は経っていない。ノアの言うように一万メートルから落下し始めたというのなら高度七千メートル以上はあるだろう。ただ、そこを飛んでいる鳥にやつあたりしてもなんの意味もないが、もうちょっと常識をわきまえてほしい。なに、この世界はギャグ路線も目指しているの?

「そうなのですか? でも、もっと上に人間もいたわけですし」

「言われてみれば、確かに。って、そういう問題じゃないから!」

 何から何まで非常識なのが物語なのは、それは世界の常である。それを鑑みれば、ここに鳥がいることなど全く問題ない。なんで、都合のいいところは物語なら当然と解釈してしまうのだろう? どうせ、物語の世界だというのならば空くらい飛べたっていいじゃない? あるじゃない? そういう話も世界にはいっぱい。

「下が海なら大丈夫だったんでしょうけど、見えるのは陸地ですし万事休すですね」

「下が海でも一万メートルの高度なら万事休すだよ!」

 下が海だろうが陸だろうが、一万メートルもあれば即死という結果に変わりない。その百分の一の高度でも十分に過ぎる。死体の残骸が回収できて墓場ができるかできないかの違いくらいしかないだろう。ノアの冗談だか本気だか分からない言葉に付き合ってもしょうがないとは思うが、何かに気を紛らわせなきゃやってられないので、無駄にノリツッコミをしてしまう。

 ノアが時間を止めているときに、幾度となく自分の周りがゆっくりと流れる世界を体感したが今度は本当に時間がゆっくりに感じられる。

 それでも下に広がる大地はどんどんと大きくなり、その時はどんどんと近づく。

「ノア」

「はい?」

 それを覚悟した僕はノアの手を力強くつかむ。

「ノアと出会えてよかったよ。たった半日だけど楽しかった」

 ノアと出会っていなければさっきの戦いの最中に死んでいただろうし、悔いもない。

 こんなきれいな少女と出会って命からがらの戦いなんてものを経験できたのだから悔いもない。

 人生の幸福度や楽しみなんてものは、時間に比例しない。これほど濃密な幸せな時間を過ごせたのだから、それが例え束の間のものであっても、それ以上望むのはワガママってやつだ。

「私もです。ソウタ」

 ノアは僕の手を強く握り返す。

 僕達はそのまま大地へと激突する。

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