幕間 エクスカリバー
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《火曜日の誘惑》
胸をどきどきさせながら玄関のチャイムを押すと、
扉が開いて圭子さんが顔を出した。
ピンク色のぴったりしたカットソーに白いタイトスカートといういでたちだった。
「いらっしゃい。待ってたわ。さ、早く入って」
僕は圭子さんに急かされるようにして家の中に入った。
背中で、カチャリという鍵をかける音が聞こえた。
僕はレンタルビデオ店でアルバイトをしていて、
圭子さんはその店の先輩に当たる主婦パートだった。
美人でさっぱりとした性格の圭子さんは、みんなから慕われていた。
そんな圭子さんが先週、僕にこっそりと一通の封筒を渡してくれた。
「はい、お誕生日プレゼント」
中を開けてみると、そこには一枚の紙切れが入っていた。
紙切れには『一日だけ圭子に何をしてもいい券』と書いてあった。
「今度の火曜日、ダンナは出張でいないから、あたしの家に来て」
圭子さんは僕の耳元で、かすれるような声で囁いた。
「約束よ。だけど誰にも言っちゃダメ、ね?」
部屋の中に入ると、圭子さんは僕と差し向かいの形でソファに座った。
「さあて、で、あたしはどうすればいいのかな?」
圭子さんは悪戯っぽい口調で言った。
「あの……ほんとに、何をしてもいいんですか?」
「いいわよ。身体に痕が残っちゃうのはちょっとマズいけどね」
圭子さんは艶っぽい微笑を浮かべながら答えた。
「あの……じゃ、まず、スカートを脱いでもらえますか」
「おやすいご用よ」
圭子さんはすっと立ち上がってスカートを脱ぎ捨てた。
「あの……できれば下着も、お願いします」
「上はいいの?」
「あ、はい。下だけでお願いします」
「あら。キミ、いいセンスしてるよ、うん」
圭子さんはそう言うと、
僕の方を見ながらパンストを脱ぎ、
それからくるりと背中を向けてパンティを脱ぎ捨てた。
「で、次はどうすればいいのかな」
脱いだパンティを指でクルクル回しながら圭子さんが聞いた。
「あの……このテーブルに横になってもらえます? うつ伏せで、脚を閉じて」
圭子さんは、僕に言われたとおりにした。
僕は、バッグから用意してきたキュウリを取り出した。
「やだあ。それ、ちゃんとゴムかぶせてよ」
僕は圭子さんの言葉を無視して手早くキュウリを輪切りにし、
それから、圭子さんのお尻の割目にそれを差し込んでいった。
7枚の輪切りが、ハダカのおしりに挟まった。
「できた」
「何が?」
「一度やってみたかったんです」
「だから何がよ?」
「ステゴザウルス」
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「うん、悪くないんじゃない?」リツコ先生が原稿から目を上げ、褒めるともけなすともない感じで言った。「おとうさん、どう思う?」
「ああ。ま、初めて書いたにしてはいいんじゃねえかな」マスターも、やはりどちらともつかない感じで言った。
「えーっ、そうかあ」制服姿のミサキが不満そうな声を上げた。「こんなのどうやって舞台で演るんだよ。あたしゃやだかんね、こんなえっちいのは。つーか、こんなのただの宴会芸じゃんかさ」
おいミサキ。そういうのは批評じゃなくてセクハラだぞ。
「今はまだ書くことの練習段階だから演れる演れないは関係ねえさ。頭に浮かんだことを言葉に直して文字に置き換える、それに慣れるための訓練なんだからよ」マスターが微笑を浮かべながら言った。
「だけどミサキの言うとおり宴会芸としても使えそうよねこれ? わたし今週他の先生たちから歓迎会してもらう予定なの。やってみようかなあ」
あの、リツコ先生?
せっかく見つけた職を失いたくなかったらやめた方がいいんじゃありません?
ここは前回と同じく、昼休みの理事長室。
どうやら理事長というのは滅多に学校に来ない人らしく、僕たちは弁当だの学食で買ったパンなどを持ち寄ってここで昼食をとるのが日課になりつつあった。メンバーは、僕と茜、ミサキ、マスター、そしてリツコ先生。
そもそも僕たちは学校の正式な部活ではなく、部外者であるマスターの道楽に付き合っているだけの存在だから部室が与えられるわけもない。そんなわけで僕たちはここを、なし崩し的に部室代わりとして占拠しつつあったのだ。
「つったくもう。こんな盗撮男と一緒にメシ食ってると食欲なくなっちゃうじゃない」ミサキはそう言いながらでかい口を開けて焼きそばパンにかぶりついた。茶色いクセっ毛が顔の上でふわふわと踊る。
おい。
食欲の沸かないやつが、焼きそばパンとコロッケパンと玉子サンドとあんパン食って五百ミリの牛乳飲むか?
「あのふぁあ、マフタ―?」ミサキがもぐもぐと口を動かしながら声を出した。
おいっ、
女の子なんだから目上の人に声をかけるときはほおばり口をやめろ。
「あたひらがやっへる課題ってなんか意味あるんふか?」
「もちろん」マスターは平然とした顔で言った。
「しゃあけどなあ、あんなもんが何で芝居の練習になんのかちっともわからへんわ。ふつう、劇団ちゅうたら発声たら活舌の練習のするもんなんとちゃうん?」茜が手を頭の後ろで組みながら言った。
確かに、毎日マスターが指示する『課題』は意味がわからないものが多かった。
あのマンガを読めとかこのDVDを見ろというのはわかりやすい方で、メル友サイトに登録して5人以上とメール交換しろとか、秋葉に行って店員に何でもいいから十回以上質問してこいだとか、犬の散歩をしている人をつかまえてその犬の特技を聞き出せとか意味不明のものばっかりだ。
「まあ、そういうのはそのうちやるよ。おめえらはまだそれ以前の段階だ」マスターはあまり興味がなさそうな顔をして言った。
「まあ、マスターがそない言うんやったらうちは別にかめへんけどな」茜は得心がいかない顔をしながらおにぎりにかぶりついた。
「あそや、時にな、ケンボー?」
「なに?」
「ケンボーって童貞のくせになんでこんなもんが書けるん?」
ぶっ。
僕は飲みかけていたお茶を危うく吹き出しかけてしまった。
「ケンボーってまるっきりモテへんやん? キスかてしたことないってこないだ言うてたし」
ああ、関西の子はストレートだ。
てか、何思いっきり人のことぶっちゃけてくれてますか?
「茜ちゃん、あんまり失礼なこと言っちゃダメよ」リツコ先生がくすくす笑いながら助け舟を出してくれた。
「童貞が失礼なん? うちかて処女やし一緒やんか」
「昼間っから学校の中で童貞だの処女だの言うなあっ!」ミサキが大声を出した。
「なんやねんミサキ。自分かて処女なんやし、お仲間やろ?」
「なっ、えっ、ばっ、あ、茜に関係ないじゃんそんなのっ」ミサキの顔が一瞬にして真っ赤になった。
「あ、ごめん。ほんまにまだやったんかいな。いやー悪い悪い。ついひっかけてもうた。堪忍な」
「ばかっ、知らないっ」
ミサキは顔を林檎のようにしてぷいっと横を向いた。
こいつ僕には全く馴染もうとしないけれど(と言うか何かとつっかかってくるけれど)、茜とはたちまち友だちになってしまった。もう昔っからの友だち同士みたいに話をしている。相性の問題なのかな? 別にいいですけれどね。
だけどミサキにも少しは女の子らしいところがあるんだな。
僕はつい、苦笑してしまった。
と、そのクスっという小さな声がミサキの耳に入ってしまった。
「ちょっとケンボー、あんたなに勝手に人の話聞いてんのよっ」ミサキは勢いよくこちらを振り向くと、ガタっと音を立ててソファから立ち上がった。
おいっ、
立つのはいいけれどテーブルの上にあったもの手に取るなっ。
そ、それ石でできた灰皿じゃないか。
「あ、いや別に、僕はその…」
「乙女の話盗み聞きするってどういう神経? あんた、盗撮だけじゃなくて盗聴までテリトリーの中入ってるわけ?」
え、いや、こういうのは盗み聞きと言わないんじゃ。それに乙女って誰ですか?
「ちょっと、あたしの純情返しなさいよ、この盗聴男っ、変態っ!」
いやもう、言ってることわけわかんないし。
「まあまあ、ええやんかミサキ。ケンボーも反省しとるよって」茜が手をひらひらさせながら助け舟を出してくれた。
ちょっと待てっ。
僕は反省しなきゃならないこと何にもしてないぞ。
その時、窓の外でクラクションが鳴った。
窓の外を見ると、校門のところにいかついジープが横付けになっていた。乗っているのはアーミールックのお兄さんたちだ。みんな髪を短く刈り上げて揃いのグラサンをかけ、迷彩服ではなくアーミーシャツやアーミージャケットを着込んでいる。生徒たちがうす気味悪がって遠巻きに見ているのだが、誰一人としてニコリとも笑わない。
な、なんだあいつら?
僕は思わず目が点になってしまった。
「お、お迎えが来た見たいや。ごめん、うち今日は先に帰るわ」そう言いながら茜がすくっと立ち上がった。
「お迎えって、茜、あの人たち知り合い?」僕が聞くと、茜は僕の顔を見てニカッと笑った。
「ほななケンボー。今晩は帰らへんさかい、晩御飯一人で食べといて」
そう言うと、茜はさっさと部屋から出て行ってしまった。
窓から見下ろしていると、出てきた茜にジープに乗っていた連中が飛び降りて敬礼をした。アーミー式の右手がびしっと横に広がるやつだ。茜はそれを一瞥すると何も言わずに後部座席に乗り込んだ。茜が着席すると敬礼していた連中もすぐに乗り込み、そのままジープをスタートさせて走り去っていった。誰も一言も口を聞かなかったし、茜も口を真一文字に結び腕組みをして前方の一点を見据えたままだった。
な、何ですかこれ?
何のなりきりですか?
「な、なに? いまの」窓からその光景を見ていたミサキが自分の席に戻りながら口を開いた。「ちょっとケンボー、あれ、どういうことよ?」
「い、いや……、僕だって知らないから」
「知らないってどういうことよっ」
ミサキがまた、がたっと音をたてて立ち上がった。
おいっ、
立つのはいいけれど灰皿手に持って立つのはやめてくれっ。
「あの子、今晩帰らないって言ってたのよっ。あいつら思いっきり怪しいじゃない、あんた茜の保護者じゃないっ。なんかあったらどう責任取るつもりなのっ?」
「い、いや……、責任と言われても……」
「男のくせに言い訳するなあっ!」ミサキがわめいた。取れっ、潔く責任取れっ。いまここで腹切れっ」
おい、僕は茜のお友だちを知らなかった罪で切腹せにゃならんのか?
「あれ、サバゲーじゃねえかな。エアソフト、とも言うらしいけれど」マスターが言った。
「サバゲー?」僕とミサキが声を揃えてマスターに聞き返した。
「そ。まあ平たく言うと戦争ごっこかな。俺も詳しくは知らねえけどよ」
「ね、茜ってそんなことやってんの?」ミサキが僕の顔を見て聞いた。
「だから知らないって。引越してきた時に段ボール運びやらされて以来、あいつの部屋にだって入ったことないんだから」
「そんなのあたりまえじゃん、女の子の部屋なんだから」
「だけどあいつ、毎日僕の部屋に晩飯食いに来るぞ」
「なあにいっ」ミサキの目がきらっと光った。「……あんた、毎晩毎晩、茜を自分の魔窟に引っ張り込んでるわけ?」
い、いや、そういう言い方をするな。魔窟って何だ魔窟って。
「……で、まさか、何にもしてないわよね?」
「あ、あたりまえじゃないか」
「絶対? 指一本? あたしの目見て誓える?」ミサキはぐぐっと顔を近づけて、僕の目を覗き込んできた。
う。
一瞬、先日の白ブラ事件が脳裏をフラッシュバックしていった。
「いや…何もってわけじゃないけど……あれは……事故というか何と言うか…」僕はミサキから目を逸らしながら言った。
「ケンボー、嘘ついちゃだめよ。茜ちゃんにベッドの中でひどいことしたじゃない」
リ、リツコ先生、何言ってんですか。
おならのこと?
え? ミサキってあのこと知らないの?
「あっ、あれは僕のせいじゃないですよっ。茜が悪いんだから」
「き・さ・ま~っ」
え?
僕はミサキを振り返った。
「……あたしに対する盗撮行為だけでは飽き足らず、茜にまで……。しかも、毎晩毎晩ベッドに連れ込んで酷いことしてるんですってえ……」
ミサキは目を三角にし、その拳は怒りにわなわなと震えていた。
まてっ、早合点するなっ。
それと勝手に話を繋げて解釈するなっ。
「……許せん。あんないたいけな女の子を手篭めにして毎夜毎夜弄ぶなんざあ、お天道様が許しても、このあたしが許さないっ」
ててて、手篭め言うな手篭め。
それからいつ誰が誰を弄んだんだ?
てか、なんでそこでお天道様が?
「おまけにいまの言い草……罪もねえ娘さんを慰みものにしときながら、そいつを反省するどころか居直って相手のせいするたあ、なんという外道っぷり……てめえなんざあ人間じゃねえっ!」
だからっ、なんでそういう理解になるんだっ?
つーか、その物言いはなんだ?
「切腹なんぞ生ぬるいっ。拙者がこの場で成敗してくれるわっ」
おいミサキ、
おまえ、そこまで誤解を重ねて僕を抹殺したいのか?
「ミサキちゃん、また昨日、時代劇見たのね」
「こいつ、ほんとに直前に見たものの影響受けやすいなあ」
リツコさんとマスターがにこにこしながら言った。
「刀だったらそこにあるぞ。日本刀じゃねえけれど」
マスターがあごで指示した先には、西洋甲冑、騎士の鎧が飾られていた。
「えーっ、これなの? 雰囲気でないじゃん」そう言いながらミサキは鎧に歩み寄った。
「それ鋼鉄製だから女の子一人じゃ持てないわよ?」
ミサキはリツコ先生の言葉を無視するかのように、鎧の腰元から幅広の騎士剣をしゃきんと引き抜いた。そしてそれを目の前にかざすと、ぶん、ぶんと片手で素振りをした。見るからに重そうな剣が、うなりをあげて空気を切り裂いた。
「問おう。あなたがお店のマスターか?」ミサキが剣をマスターに向けて聞いた。
いや、それ全然違うだろおい。
「まあこいでいいか」
そう言うとミサキはすうっと剣を構え、僕に向き直った。
「約束された、勝利のっ」
おい、そのネタ引っ張るなっ。
「けえええええーんっ!」ミサキが力任せに僕に向かって剣を振り下ろしてきた。
「うわああああっ!」僕は夢中になって横に飛びのいた。
どがああんっ、
ものすごい音がして僕が座っていたソファが真っ二つに断ち切られた。
「あーあ、やっちゃったあ」リツコ先生が呆れた声を出した。
「あ……どうしよう? つ、つい本気でやっちゃった。こ、この椅子高そうだよね? べ、弁償させられるかな?」ミサキが不安そうな顔になって手を口元にあてながら言った。
「しゃあねえなあ。ま、ちゃんと謝りゃ許してもらえんじゃねえか?」マスターが頭をぼりぼり掻きながら言った。
あの。
僕いま、かわさなかったら本当に真っ二つにされてたんですけれど?
そこなんですか?
ほんとうにそこでいいんですかみなさん?