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イカロスの聖櫃  作者: フリークス
10/14

幕間 壁抜き少女

 

 六時を回っても、珠季とミサキはやってこなかった。

 僕たちは三階、和室でごろごろとしていたのだけれど、さすがにやることがなくなってしまった。マスターはごろりと横になっていびきをかいているし、リツコ先生と茜はスマホを見ながら何やらクスクス話をしている。

 う~ん。こんなのでお芝居とか本当にできるのだろうか?


「ねえ、さっきから何見てるの?」僕は茜に声をかけた。

「ケンボーも一緒に見るか? 携帯マンガ」

「面白いわよこれ」リツコ先生もにこにこ笑って言ってくれた。

「なんの?」

「BL」茜が顔色一つ変えずに言った。

 ぶっ。

「お、ここでこういうことになるわけか」茜がうれしそうな声をあげた。「う~ん、予想外や。やっぱ男の世界は奥が深いんやなあ」

「だけどこういうの男の子って気持ちいいのかしら?」

「どうなんやろ? なあケンボー、ちょっと聞いてええか?」

「だめっ、絶対だめっ」僕はがばっと立ち上がった。

「ええやんかちょっとだけ。な」

「やだっ。絶対にいやだっ。勝手に見てろっ、僕はちょっと下に行ってくるっ」

 僕はそう言って襖を開け、パタパタと階下に降りた。


 ふう。

 さてどうしたものか。


 庭に出てみようかと思ったけれど、それだとミサキと珠季をお出迎えしているようで気分が悪い。珊瑚はおしおきコスプレがよっぽど恥ずかしいのだろう、最初にお茶とお菓子を出してくれたっきり、どこかに引っ込んでいてぜんぜん姿を見せていない。

 う~む。することがない。

 とりあえず僕はキッチンに行って水を一杯飲んだ。

 ついでに冷蔵庫を開けてみると、あわびやロブスターなどの魚介類、霜降り肉、野菜、くだもの、外国産のジュースなど、高そうな食材がぎっしり並んでいた。珠季は勝手に食べていいとか言ってたけれど、こんなもの恐れおおくて手が出せない。


 僕はダイニングの椅子にどかりと腰をおろした。

 ふう。間が持たない。

 珠季たち早く来てくれないかな?

 そうだ、小天守のところがお風呂になっていると珠季が言ってたな。どんなお風呂なんだか覗いてみよう。たぶん、半端じゃないんだろうけれど。

 僕は渡り廊下になっている回廊を通って小天守に向かった。


 お風呂の場所はすぐに見つかった。

 というか、小天守まるまる一つがお風呂になっているみたいで、廊下を渡って左に折れたところに暖簾がかかっていた。露天風呂まであるといってたし、ほとんどスーパー銭湯だ。唯一違いがあるとすれば男湯と女湯に分かれてないぐらいか。

 もちろん僕は脱衣所の扉の入室表示を確かめた。まさかとは思うが、珊瑚が入っていたらまずい。そういうベタな展開で怪我なんかしたくない。ただでさえあいつには意味なくつっかかられてるんだし。

 入室表示は『空』になっていた。

 僕は安心して、引き戸になっている扉をガラリと勢いよく開けて中に入った。


 え。


 あの。


 なんで?


 ミサキとばったりと目が合った。

 上半身すっぱで、いままさにパンツに手をかけているミサキと。


 ううう、うそだろ?

 だってほらあの、入室表示って『空』になってたし。

 あでもこいつけっこう胸あるんだ。

 高校生のくせにイチゴパンツ?

 あと五秒入ってくるのが遅かったらすっぱ?

 てか、そんなこと考えてる場合?


 ミサキの顔が、温度計が急激に上昇するみたいに真っ赤になっていった。


「ごっ、ごめんっ」

「きゃああああああああっ!」

 僕が謝るのとミサキが叫ぶのはほとんど同時だった。

「ヘンタイっ、チカンっ、バカああああああっ!」

「ちっ、ちがっ、ミサキ落ち着けっ」

「出てけ出てけ出てけ出てけえええええーっ!」

「わわわわっ、ごっ、ごめんっ、ほんとごめんっ」


 僕は慌てて更衣室から飛び出した。

 そして廊下に出てへたり込んだ。

 あーびっくりした。

 てかミサキのやつ、入室表示ぐらい動かしておけよな。

 などと考えた次の瞬間、


 どがああああああああんっ、という轟音を立てて


         壁が吹き飛んだ。


 なっ、何?

 僕が驚いて穴のほうを見ると、埃煙の向こうに顔を真っ赤にして涙目になったミサキが胸を押さえながらパンツ姿で立っていた。

 反対側を見ると、更衣室の壁どころか廊下の反対側の壁までが大穴を開けて貫通していて、その先、中庭にでっかいマッサージチェアの残骸が転がっていた。

 こっ、こいつ、あんなもの投げたのか?

 こういうのって風呂桶とか脱衣籠程度がお約束というの知らんのか?



        ▽        ▽        ▽



「ミサキ。私の屋敷の中を破壊しないでって言わなかったかしら?」

 腕組みをして仁王立ちの珠季。

 その前に、すでに制服に着替えて正座させられているミサキ。

「魔法少女じゃあるまいし、壁抜いて人さま攻撃しようなんて、どうやったらそういう発想が出てくるのかしら?」

「ご、ごめん。ついかっとなっちゃって」

 ミサキもさすがに少しは申し訳なさそうな表情をしていた。

「あなた、自分が『並木学園のシヴァ神』だとか『スカートをはいたデストール』だなんて呼ばれている自覚あるの?」

 あ、やっぱりそんなふうに呼ばれてるんだ。

「だ、だってえ……こいつが」ミサキはちらりと僕の顔を見た。

「言い訳はおよしなさい」珠季がぴしりと言った。「ケンボーの肩もつつもりはないけれど、入室表示が『空』になってたら私だって入るわよ。あなた子どもじゃないんだからそのぐらいわかるでしょう?」

「だ、だって……バスケ終わって汗臭かったから、ちゃっちゃとお風呂浴びてみんなのとこ行こうと思って……あせってたし」

「理由になりません」珠季が冷たい声で言った。

「だあって、あたしばっちり見られちゃったんだよっ? 被害者はあたしだよっ」

「見られたって、別にすっぱだかじゃなかったんでしょう?」

「だけどおっぱい」

「自分の責任なんだから、そのぐらい犬にかまれたと思ってあきらめなさい」

「うう……だって」ミサキは口惜しそうに下を向いた。

「それと、いいかげん投げていいものと悪いものの区別ぐらいつけられるようになりなさい。直撃したらどうなってたと思うの? 人死になんか出したら揉み消すの大変なんだからね」

 おいっ、揉み消すつもりかっ。

「まあ、やっちゃったものは仕方ないから……今度からは気をつけるのよ」

 珠季はそう言って大きなためいきをついた。 

「あ、うんわかった。……ごめんなさい」

 ミサキは素直にぺこりと頭を下げた。


「それと……珊瑚?」

「はいっ」

 ミサキの後ろ脇でコスプレ姿のまま正座させられていた珊瑚がびくっとして声を上げた。

「……この屋敷の世話は貴女に任せていたはずだけれど?」

「あ、でもお嬢さま、私はその」

「言い訳ができるところを見ると、おしおきが足りないようね?」

「ひいっ」

 珠季はつかつかと珊瑚に歩み寄った。

 そして珊瑚の前で跪くと、

 下を向いていた珊瑚のあごに指を当てて、くいっと上を向かせた。

「お客さまが入浴されたら入浴表示ぐらい確かめる。足りないものがないかどうか、呼ばれたらすぐに行ける位置で待機する。そのぐらいわかるわよね?」

「……は、はい」

 珊瑚は涙目になってぶるぶる震え、背中の羽根の鈴がちゃりちゃりと鳴った。

「あなたがちゃんとしていれば壁に穴は開かなかった。そうよね?」

「あの……でも……まさかマッサージチェアを人に投げる方がいるとは……。男性でも二人がかりでないと動かせませんし」

「だから『梅1』なんでしょう? ミサキが子どものころ庭で芝刈り機振り回して三階の窓割った話とかは聞いているのよね?」

 ぶっ。

 ま、マジですか?

「……は……はい」

「素直で正直な子は好きよ。どうしたら大好きなあなたがもっとお仕事に集中できるか、じっくりと考えてあげるからね」

「ひいいっ」


「ケンボーも」珠季がすっくと立ちあがり、僕に向き直って言った。「今日見たこと聞いたことは全部忘れること。それとも今ここで、代々伝わる記憶消去術をくらいたい? マスケット銃の方がお好みかしら?」

「あ……いや、そういうキワキワのこと言われなくても、何も見てないし聞いてないし」

「けっこう」

 満足そうな声とともに、珠季は僕の肩にポンと手を置いた。

「デリカシーのある男の子は嫌いじゃないわよ」

「ど……どうも」


 その背後、珠季の肩越しに

 地獄の番犬みたいな形相で僕を睨みつけているミサキと珊瑚の姿があった。 

 あーもうっ、好きにしてくださいっ!



        ▽        ▽        ▽



 翌日の昼休み。

 授業が終わってノートを片付けていると珍しいことにミサキが教室にやってきた。

「ちょっとケンボー」

 ミサキは出入り口のところから僕に向かって招き猫のようにくいくいと手招きをした。

「なに?」

 僕はよくわからないままミサキのところに移動した。

「ちょっと顔貸して」ミサキは少し顔を赤らめて、拗ねたような顔で言った。

 なんだこいつ?

 視線が泳いでいるぞ。

「だからなに?」

「だから顔貸せって」

「どうせいまから離れに行くんだろ? だったら一緒に行こうよ」

「それがやだから来てるんじゃんっ。ああもうっ、いいっ、こっちこいっ!」

「おわっ!」

 ミサキがいきなり僕の手首をつかみ、ぐいっと引いてずんずんと廊下を歩き始めた。

「ちょっと待てっ、おいっ、一人で歩けるからそんな引っ張るなっ」

「うるさいっ! 目立つから静かにしてよっ!」

 いや、女の子に手を引っ張られてぐんぐん引きずられてる方がよっぽど目立つんじゃ?


 ミサキは廊下を早歩きで抜け、階段を三段飛ばしで駆け上がって(人を引っ張ってすることじゃない、死ぬかと思った)屋上に出た。

 太陽が眩しい。

 ミサキは屋上のすみっこにまで僕を引っ張っていって、ようやく手を放してくれた。


「なっ、なんだよいきなりっ。話があるなら口で言えよっ」

 だけどミサキは何も言わずに、僕の顔をギロリと睨んだ。

 顔が赤くて涙目だった。

 な、なに?

 僕またなにかやりました?

「はい」

 ミサキは片手に持っていた、可愛いバンダナに包まれた箱状のものを僕の目の前に差し出した。

「な、なに?」

「だからはいっ」

 ミサキは包みを僕の眼前に突きつけた。

「だからなに?」

「弁当っ。いいから受け取りなよっ!」


 は?


 あのえと、

 弁当?

 ミサキが僕に?

 なんで?

 僕はわけがわからないまま、ミサキの手から弁当を受け取った。


「あ、えーと、ありがとう。だけどどうして?」

「……きのう、家に帰って珠季んちでのこと話したら兄貴に怒られて」ミサキは顔を赤くして視線をそらせながら言った。「じ、自分の不注意なんだから、ケ、ケンボーも一応仲間なんだから、怒ってないで、な、仲良くしなきゃだめだって」

 そこまで言って、ミサキはすうっと身体を移動させ、僕に背を向けて金網になったフェンスに手を掛けた。

 制服姿のミサキの向こうに飛鳥家の森の緑と澄み切った青空が広がっていた。

「だからその……兄貴が、仲直りのしるしに、べ、べべべ、弁当作って持ってけって。……んで、ちゃんと謝れって」

 そ、そうなんですか。

「あのだから……ごめん。こんどからもっと……ちゃんとしたもの投げるから」

 おいっ、おまえまだ僕にものを投げるつもりかっ。

 だけどおにいさんに怒られたからって、不本意だろうけれどこうやって弁当作って謝りにくるなんて、バカ素直なところがあるんだなこいつ。てか子ども?

「いやあの、こっちこそ、あの……」

 僕は『ごめん』と言いかけて、昨日の珠季との約束を思い出した。

「あ、あの、でも、昨日なんかあったっけ? ほら、僕、ケンボーって呼ばれてるぐらいだから物忘れが激しくてさ、あは、あはは」


 ミサキは、きっと僕を睨んだが、すぐに大きなためいきをついた。

「まあ、それはそういうことでいいよ。とにかくあたし、これで筋通したからね」

「あ、ああ」

「ちゃんと謝ったし弁当も渡した。これでちゃら。いいよねっ?」

 ミサキはそう言って、びしっと僕を指差した。

「う、うん」

「そいじゃあたし、離れに行くから。ケンボーは一人で弁当食ってなよ」そう言いながらミサキはくるりと踵を返した。

「あ、あのだけど、僕も離れに」

「あのさ、そういうの珠季の前とかで食べられたらあたしが恥ずかしいのわかんないかな?」

 あ、恥ずかしいんだそっちは。

「いいから一人で食べてよ。弁当箱は明日教室で返してくれたらいいから。放課後も離れに持ってきちゃだめだよ、茜とか目ざといんだからさ。洗わなくていいから机の中にでも隠しといて。わかった?」

「……わ、わかりました」


 まったくもう、なんなんだあいつ。

 僕がぶつくさ言いながら弁当をぶら下げて教室に戻ると、

 ぶっ。

 黒板にでっかい相合傘、その下に「有森」「シヴァ」の文字が書かれていた。

 ちゅ、中学生かおまえらっ。


 僕は遠巻きに見る連中を尻目に、平静を装って黒板に書かれた文字を黙って消した。

 そして自分の席に戻り、弁当を広げたところで梶原が声をかけてきた。

「おーお、手作り弁当かあ」

「そっ、そんなんじゃないよ」僕はなるべく梶原に視線を合わさないようにして言った。

「なんで? それ、どこから見ても手作り弁当にしか見えねーんだけど?」

「うっ、うるさいなっ。おまえに関係ないだろ?」

「有森くん、奥手そうに見えてけっこう手が早いんだ」

 西田さんまで近寄ってきて僕に声をかけてきた。

 ああもうっ。

「だけど、相手がまさかあの袖原さんとはねえ」

「意外だよなあ」

 西田さんと梶原が腕を組んでうんうんと頷いた。

「あれ? 二人とも知ってるのミサキのこと?」

「有名だもん、体育祭の女神にして学園の破壊神って」西田さんが言った。

「あいつ確か中学のとき、ハンドボールの授業で体育教師のあばら折ったんだよな?」梶原が言った。

「わたしはサッカーのシュート外して銅像をこなごなにしたって聞いたけど?」

「ああ、あと跳び箱とハードルと朝礼台と」

「学園祭の入場ゲートも倒壊させたよね? それと音楽室のティンパニ投げて壊して」

「ちげーよ、ティンパニは叩いて壊したんだよ。投げたのはオルガン」

「保健室のベッドと窓枠破壊したのもあの子よね?」

「理科室爆破したのは一回二回じゃないよな?」

「うん。だってあの子、地下室の掃除してて粉塵爆発させるぐらいだもの」

「体育倉庫の壁抜いたのも確かあいつだったよな?」

「そうそう。それと体力測定の時、握力計握り潰したって噂だけど?」

「ソフトボール投げの測定で表通りまで投げちゃって大事故になりかけたんだろ?」

「あの子球技得意だもん。野球部のエースだった田村さん、場外ホームラン打たれて引退に追い込まれたのよね?」

「キャッチャーの森下さんも手首折ったんだよな確か?」

「折られたの柔道部の名波主将じゃなかったかしら? 腕相撲かなんかやって」


 な、なんと言うか、

 どこまでがほんとかわからないけれどミサキだったら十分有り得るよな。


「で、どうなの?」西田さんが僕に向かって聞いた。

「なにが?」

「そういう子を彼女にした感想」

 ぶっ。

「あの子、改造されてて空飛んだりミサイル発射できるってうわさ、ほんと?」

「あ、はは。たぶんできないんじゃないかな」

 あぶないんじゃないかなそういうウワサ、いろんな意味で。

「だけどどうやって知り合ったの袖原さんと?」

「あ、まあちょっと。ていうか、ただの友だちだし」

 僕は笑ってごまかした。

 この学校何が起こるかわかんないから劇団のこととかべらべら喋らない方がいいよな。

「ただの友だちが手作りのお弁当を教室にまで持ってきてくれるわけ?」

「あ、まあ、ちょっとわけありで」

「ふうん。まあいいわ。それよりせっかくのお弁当なんだから食べてあげたら? お昼休み終わっちゃうわよ」

「あ、うん」

 僕は素直に弁当箱を開いた。


 鳥のから揚げ、卵焼き、ミニハンバーグ、タコウンイナー、キンピラ、お漬物、トマトサラダ……冷食ばっかりかと思いきや、かなりまともだ。てか逆にかなり手が込んでいる。い、意外だ。味付け海苔のパックとソースまでちゃんとつけられてた。

 ど、毒でも入ってるんじゃないだろうな?

 僕はおそるおそるミニハンバーグを箸でとってかぶりついた。


 ん?


 うまい。



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