07話:未完成人形
街外れの工場地域。そこには、大きな機械廃材置き場があった。アオイならではの人と隔離した場所である。ミュウには帰ってもらい、リヒトとアオイと燈火とシャリエの4人だけだ。
「念のために、戦闘体勢は取らせてもらうわ」
そう言って、手を前に出して、呪文を言の葉に乗せ唱えだす。詠唱と呼ばれる行為で、一般の魔法使いが使うかどうかは、流派、体系、系統によって異なる。燈火の使う【悠久聖典】に連なる魔術には、必須である。【悠久聖典】の碑文を読み上げることで発動するからだ。
「【悠久聖典第六節】
――劫火の章。
――転節。
全ての始まり、そして、終焉を告げる【原初の炎】。終息するは白炎。司るは、飛天姫。
【血染眼】と【死染眼】。重なり合う視界の先に【狂った聖女】は笑う。
七つの夜は、終わりを告げ、やがて来る別の孤児へと継ぐ時が来る。
天から熾んに降る炎の雨、――血炎雨。
さあ、身に纏え」
真っ赤な炎を纏い、自身の体も炎へと転換する大魔術。そして、シャリエもまた、いつでも魔法を放てるように構えを取る。それに対して、リヒトも、対抗するように行動する。
「――【神に背く者】、起動。……【愛の束縛】!」
伸縮する棘のように尖った突起を持つ鞭上の武器がリヒトの手に構築される。それを見て、燈火が言う。
「力場構築……。【黄金の果実】は、力場発生源でもあると言うの?流石は、【彼の物の人形】ね。チート級」
そんなことを言いながらも、燈火の【悠久聖典】の魔法も十分にチート級なのだが、それに燈火自身は気づいていないのだ。
「未完成とは言え、流石は、あの伝説の人形ね。クリアシリーズよりも強力だと言うのも頷けるわ」
クリアシリーズ。完成人形とも言われる、神遣者補助用人形のことである。1から9まで存在するクリアに対し、7機しか存在しないノン・クリア。しかし、その力の差は歴然な上に、使われていないノン・クリアは多くの機体が残っているが、クリアは、既に数機が大破している。
「でも、それでも、まだ、私の方が、……強いわよ」
燈火から殺気が滲み出る。しかし、その程度の殺気で気当たりするような軟弱な人間は、この場に居なかった。
「ふむぅ、まあ、そうだろうな。リヒトの大体の力は、定義上分かっている。それに対して、魔法、それも相当ハイレベルだと思われる魔法だから、どの位の強さか皆目検討もつかん。そして、今使ったと言うことは上まっているのは間違いないだろ?」
当てずっぽうだが、当たっているアオイの勘。そして、さらに、アオイは、燈火の足元に転がっている、変な物に目がいっていた。
「なあ、トーカ。お前の足元の、それ。この間の箱と同じものだよな」
その自然な声かけに、燈火は、足元を見た。すると、そこには、間違いなく、箱が転がっていた。その箱に、燈火が、青ざめる。
「んなっ……、『神殺しの器』……?!」
驚きで、目を見張る燈火。そして、アオイが、それを拾い上げた。その際に、燈火が発する熱が意外と熱かったので、少しビクッとなった。
「ほいで、これを、……リヒト、外部接続端子を出せ」
アオイの急な言葉にも、慌てず、外部接続端子を出したリヒト。胸の外部装甲がズレ、ケーブルが出る。
「それを繋げる」
実は、アオイがこの場所を選んだのには、人と距離をとるため以外に、あらかじめ監視カメラでこの箱を見つけていたから、と言うのもあった。珍しいタイプの箱で、赤外線を通さないので、赤外線投射ですぐに見つける事ができた。
「ま、待ちなさいっ!それはっ……」
燈火の静止の言葉。しかし、それは遅かった。リヒトの周囲に渦が巻くように、どす黒い力場が構築される。
「――終極神装。モード【終焉の少女】」
そして、リヒトの姿は変わる。それは、ある種の完成だった。未完成から完成へと変わる瞬間と言ってもよかった。
「まさか、本当にっ……、本当に【神造人形】へと至ったの……?」
神の造った人形。だからこそ、これほどの力を有する。それこそ、神に近い力。
「黒っ?!」
燈火が素っ頓狂な声を上げた。それは、リヒトの姿が、変わっていったからだ。そして、その見覚えのある姿に声を上げた。
力場が収束し、物体を構築する。それは、【愛の束縛】と同じだ。しかし、その変化は、黒い力場が、体にまとわりつくように実体を持った。その姿は、かの第五楽曲魔境神奏――第五典神醒存在。【炎中で眠る姫騎士】と謳われた、堕ちた戦乙女。その鎧に酷似した、漆黒の鎧。全身に鎖のように編みこまれた鎖帷子。その上にアーマープレート。腹部の部分はなく胸元に胸の形に沿って銀の装飾付きで装着されている。腕の籠手も黒い。ただし肩や腕は鎖帷子がむき出しである。腰も三枚の草摺がついている。太ももや脛辺りは、鎖帷子がむき出しである。足は、黒い鉄靴。頭は、むき出しである。
アオイは、防御面は大丈夫なのか、と心配するが、無論心配は無い。力場によって構築されている。その収束された力場は、常に周囲に薄く力場を張っているので、ちょっとやそっとの攻撃は通らない。
「ま、まさか。あの……」
燈火が驚いているが、リヒトには、この力が何なのか分かっていた。ノン・クリシリーズのために造られた3つの外部ブースター。その中の一つ、「神殺しの器」。終焉の少女の力をその機体に体現する。
「黒騎士っ」
燈火の言葉。黒騎士。燈火の知る黒騎士は、リヒトと同じく「終焉の少女」の力をその身に宿した伝説の騎士のことである。
「黒き力場……。魔性の種族と言うことですか?」
シャリエの言葉に、燈火が、歯軋りをしながら、苦々しい表情で、リヒトを見ながら言った。
「漆黒の惨殺剣、黒魔の剣騎士、天城より堕ちた騎士王、闇に塗れた剣主、忌憚の騎士。そんな風に呼ばれた騎士の力と同じものを感じるわ」
その称号を持つ騎士こそ、「黒騎士」だ。しかし、あくまで、現在のリヒトとは似て異なる存在である。
「【哀の反発】起動」
ブォオンと言う微かな振動音と共に、リヒトの手の甲……籠手から指にかけて、鋭く研ぎ澄まされた刃のような爪が構築されていた。
「ゲェっ!ヴァイブレーション・ネイル?!」
燈火の下品な叫びと共に、言った言葉。ヴァイブレーション・ネイルはその名前の通り、振動する爪である。振動が最高潮に達すると、金属同士の摩擦熱から黄金に輝く爪。名前を【哀の反発】。
「全身黒装備でVN装備とか……」
唖然とする燈火だが、それは、燈火ならではの、いつもの理由なので、別段、リヒトに慄いているわけではない。
「まさか、こんな相手と戦うことになるとはね……」
そんな風に、焦りを見せる燈火。そして、呪文を唱える。まるで詠うように、声高らかに。
「炎魔来たりて――縛炎の、
火炎逆巻く――業龍の地、
紫炎、燈炎、桜炎――色とりどりの炎、
集約する冥府の王へ――届け、
太陽の弓は――吾が手のもとへ……
冥界太陽王の弓!」
燈火の手元に現れる焔の弓。熾しく燃ゆる灼熱の炎で形成された弓は、そこに存在するだけで、高熱を放ち、燈火の足元の廃機械を熔かしていく。全身が炎になっている今の燈火だから持っていられるのだ。それ以外で、この弓を持てるとしたら、それは、もはや人ではないのかもしれない。
「さて、と、話し合いも何も無いでしょうけど、一応、聞くわ。戦う?」
戦うか、ではなく、戦おうだろ、と思うような燈火の問い。リヒトは、右腕に装備された【哀の反発】を動かしながら笑う。
「戦いたい、の間違いでは?こちらには、戦う気は毛頭ありませんよ」
そう言いながらもリヒトは、戦うように構えを取っていた。右腕を引いた状態で、いつでも前に出して全てを壊せるように。
「あんたも大概じゃない」
燈火の言葉に、リヒトは、顔を赤くしながらアオイを見て、慌てて否定の言葉を矢継ぎ早に言った。
「ち、違いますよ!あ、アオイさん!こ、これは、なぜか機体が勝手に!」
その様子を見た燈火が、リヒトの往生際の悪い言い訳に、怒鳴るようにしてから、アオイに言い訳を始めた。
「ちょっ、あんた、往生際悪っ!ち、違うのよ。べ、別に、私、戦いが好きとかじゃないから!」
そんな風に言い訳をする様子を見たアオイは、少し笑いながら、二人に向って答えを返す。
「別にあんたらが、戦闘狂でも俺は一向に構わんのだが」
ホリックとは、他の言葉の後ろについて一語になる「中毒」や「狂」と言う意味にする言葉だ。バトルホリックと言えば、戦闘中毒者、ワーカーホリックと言えば、仕事中毒者、となるわけだ。
「え、そ、そう?じゃあ、素直に言うけど、昔から、私って仕事と練習試合だけを生き甲斐にしてきたから、……その、戦闘は好きなのよ」
頬を染め、恍惚とした表情で、うっとりする燈火。今までで一番女らしい顔と言えよう。言っていることは、女らしさ皆無なのだが。
「まあ、俺も機械狂なのは自覚しているしな」
アオイは、そう言った。確かにアオイは、機械の類が大好きである。だが、だとしたら、宝の山でもあるここで戦闘をするのはあまりよくないことなのでは、となる。しかし、アオイは、別に今足元に転がっている廃機械はどうでもよかった。なぜならば、ここに転がっているのは、最先端技術によって造られて廃棄されたものだからだ。最新のものなら、その辺の電器屋にでも行けばいいのだ。
「それにしても、お前ら、今から戦おうってのに随分と仲がいいんだな」
そんな風に笑ったアオイの顔に、二人は、胸がキュンとなる。頬を朱に染めて、アオイを見た。
「お嬢、恋心を発情させる前に仕事を終わらせてください」
シャリエの言葉に、燈火が嫌そうな顔をして、溜息をついた。そして、再び呪文を詠唱する。
「生じて爆ぜろ――炎月
堕ちて感じろ――地獄の炎
魔法融合――闇夜逆巻く業火の剣!」
そして、魔法で出した黒炎の剣を焔弓に番う。魔法の剣を矢として放つつもりなのだろう。
「射て、放て――業炎の弓矢!」
そして、さらに、その弓と、矢である剣に術式的付与を加える。それにより、威力と速度を増す弓矢の完成だ。
「いくら硬い内部装甲をしていたって貫通する絶対の矢よ!」
そう言って、燈火が炎の剣を矢として放った。近距離からの狙いを定めた正確な一撃。轟々と唸るように空気を切って、リヒトへと迫る。
リヒトは、矢を見た瞬間に、脳内にシミュレートが浮かび上がる。弾道予測。しかし、リヒトの【天球の瞳】が捉えきれないほどの速度で迫る矢に、予測が間に合わない。だから、リヒトは、最大限に力場を高め、右腕を矢に向って突き出す。
――ギュリィイン!
まるで、何かが弾けるように奇怪な音を立てながらせめぎ合う。爪と矢。振動する爪が、炎でできた矢とぶつかり合う。キリキリと音を立て、危うい【哀の反発】。リヒトは、状況を打開するために、音声認識で自分に命令を下す。
「【黄金の果実】……過剰力場発生!!」
リヒトの周囲が揺れだす。リヒトの機体内にある【黄金の果実】が眩く輝きながら、力場を大量に生成する。それは、普通の心臓機関……動力源、魔力炉、魔造機関には不可能な行い。
「この大量の力場……っ!ま、まさか……。【黄金の果実】は、まさかっ、【永久機関】だとでも言うの?!」
その燈火の驚き。永久機関。絶対に不可能とされるものの一つだ。何の補給をも必要としない永遠に動き続ける機関。物にエネルギーを与えて、与えたエネルギー以上になったらば、それは質量保存の法則に反する。さらに、熱の第一法則にも反し、さらには、魔力運用論にも反するそれは、即ち、物理法則を無視した物だ。
そう、神でなければ創ることのできない物。それを積んでいるが故に、彼女らは、封印・破棄されたのだった。
「上位変身っ!」
そして、リヒトが力場を完全に解放する。クラスアップとは、普段封じている力を解放して数十倍の力を……本来の力を出せるようにするものである。
「独立保守機構の奴らと同じクラスアップ?!」
シャリエが驚嘆の言葉を発する。燈火の心中も同様だ。リヒトは、一歩踏み出すと、それだけで、周囲に暴風が吹き荒れたように揺れた。
「まずっ?!」
そう思った燈火は、別のものを矢として撃ち出すことにした。よって、呪文を唱えだした。
「太陽より――煌々
眩き天明――燦々
紅の陽は、剣となりて――我が手に
紅炎軌道!」
燈火の手元に美しい紅の炎で模られた聖なる剣が生み出された。そして、それの対唱となる詠唱をする。
「地獄より――兢々
暗き地冥――炎々
黒の焔は、剣となりて――我が手に
黒焔煉獄!」
そして、告げる。
「魔法融合――地獄に咲く黒き花!!!」
禍々しくも神々しい、赫黒の花を象った刀身が果てしなく長い炎の剣。それを、弓に番う。
「射て、放て――業炎の弓矢!」
術式的付与と共に、空間を呑むように、広範囲に広がりながら剣は矢となって空を駆け抜ける。
「【哀の反発】!!」
黒き刃の爪が、炎を喰ってかかる。刃の振動と共に、力場を放ち、炎を侵蝕しながら切り裂いていく。
――キュォオンン
そして、【哀の反発】が黄金の煌きを放ちながら、炎の矢を弾き切った。リヒトの纏う甲冑、黒騎士の姿のところどころに金色の光が伝染していく。
黄金と漆黒、二つの色をその身に顕現させたリヒト。この黄金は、【黄金の果実】の固有力場であり、【神殺しの器】の発生させる黒い力場と反応しあい、交じり合う。それにより、金と黒の鎧が生まれたのだった。
「ぬぐっ、これを破られると、ちょっときついんだけど……」
半歩下がり気味に、燈火が、慄いた。そう、今のは、燈火の持てる全ての魔法の中でも、かなり上位の魔法である。
「でも、まあ、そっちも随分と疲弊しているみたいじゃない?」
そう言って、ほくそえむ燈火。燈火は魔力の使いすぎで割りと体力的にもきついのか、肩で息をしている。
魔力。それは、精神力と体力から生まれる力である。燈火にしてみれば、精神力から生まれるのが純魔力、体力から生まれるのが「気」であり、それらの総称を魔力と呼んでいるのだが、それに関しては、ひとまず割愛させてもらう。
燈火は、まだシャリエと言う戦力が残っている。一方リヒトは、アオイだけ。機械弄り専門のアオイは戦力にならないだろう。
「まだ、です……。まだ、」
リヒトは、黄金の力場で対抗しようとしている。どちらも必死だった。そして、燈火が、呪文を詠唱する。
「燈――夜。
旭――朝。
昏――夕。
明――黎明。
煌――昼。
輪廻する陽を――。
正転する世界――。
原初は――『炎』。
終焉も――『炎』。
全ては炎が形成する。
よって、締めくくろう――永久火」
それは、誰かの言葉を代弁するような呪文だった。それが誰か、と言うのは、燈火でも知らない。永久日天理と言う女性の名前を。
「まさか、無窮の永久日が造った魔術ですか?!」
リヒトの驚愕の声。そう、その魔法は、無窮の永久日……、零と無窮の生みの親、朱野宮煉羅の造った魔術は、それ単体で破壊兵器と化す最悪の術として有名なのだ。
「力場全解放。【汚しき身体】を周囲で構築。力場の4分の1を【汚しき身体】へ接続」
リヒトの体を闇が呑み込む。それは、魔法ではない。少なくともアオイは、そう思った。あの闇は、見ていていいものではない、と思ったのだ。それと同時に、体の奥で、何かが芽生えるような、いや、蘇るような感覚を覚えた。
(蒼き血潮は、世界を救う……)
そんな誰の言葉だったかも分からない、おそらくアオイが子供の頃に聞いたのであろう言葉を思い出す。アオイは、時折、思い出すのだ。もはや、なくしてしまったと思っていた8歳以前の記憶を。
「火炎よ――。
業火よ――。
猛火よ――。
天火よ――。
今、撃ち放たん」
そして、リヒトが【永久火】を撃つ。輝く光球。それは、白い炎、と言うより透明な炎だった。
その瞬間、アオイの目にも、何かが流れるような、伝わるような様子が見えた。燈火の腕……いや、違う。胸の奥から、体中に伝わり、それを腕へと集約しているような、そして、腕から押し出しているような。
「……魔力は、……、人体の奥、魂、……『こころ』が生み出す力。……魔法は、……構築。調を刻み……、思いを描く……、奇跡の……力」
アオイは、ポツリ、ポツリと思い出していた。誰に言われたのかも思い出せない言葉を。その人は、蒼い髪をしていたことだけは覚えている。そのとても綺麗な……うろ覚えの顔も。
「召喚。【穢れし天使】の成れの果て……」
そしてリヒトも何かをした。アオイには、魔力の流れが分かっても、未収束の力場は視覚的に捕らえる事ができない。今、リヒトは、天使を構築しているのだ。
天使の構築、と言っても、本物の天使を構築しているわけではない。なぜならば、本物の天使など、構築することは不可能だからだ。だから、今構築しているのは、偽者……、いや、偽者と言う表現はおかしいだろうか。ある種本物、と言えなくも無い天使だ。尤も堕天使なのだが。
「借りますよ、ドライ……。【飛翔部位】……。【黒翼の堕天】!」
前に、燈火が話していた【銀翼の堕天】。それと対を成すコピー。劣化版【銀翼の堕天】、【黒翼の堕天】。本来の【飛翔部位】を持つノン・クリア・ドライ……3番目の未完成人形が持つ【銀翼の堕天】を力場構築で再現したものが【黒翼の堕天】だ。
【飛翔部位】の名の通り、空を飛ぶことのできるパーツだ。
これらは、神造人形の中でも未完成人形7体がそれぞれ一つずつオリジナルを持っているものなのだ。例えば、リヒトならば、【永久機関】の【黄金の果実】。他のものは、劣化の【半永久機関】である【生命の果実】を装備している。
このように、7体それぞれ全てオリジナルで持つのは別なものだ。なお、それらも【生命の果実】以外は、力場で構築する。動力部が力場によって構築されていて、それが力場を生み出す、などと言うことは不可能だからだ。それだと、最初に力場で【生命の果実】を造ったのは誰なんだ、となる。理論上不可能。起動させてから、自分で【生命の果実】を造らせて、本物を抜くと言うことも不可能ではないが合理的とは言えないだろう。
さて、この状況で、リヒトは、何故「飛翔」を選んだのだろうか。ただ、飛ぶだけで、攻撃が避けられるとは思えない。
「擡げ」
燈火のその一言だけで、透明な炎は、上昇し、火柱を構築する。それは、飛んで逃げても無駄、と言いたいのだろう。少なくともアオイはそう判断した。
「いいえ、この翼は逃げるためのものではないんですよ」
不敵に微笑むリヒト。まるで、勝利を確信しているかのような笑み。燈火は、その笑みに酷い悪寒を覚えた。状況では、圧倒的に有利にいるはずなのに、なぜか、恐怖した。目の前の神造人形と言う「未知」に慄いた。
まだ、自分の知らない何かを隠し持っているのではないか、それは、私の力すら、遥かに凌駕する恐ろしいものなのではないか、次々にそんなことが頭を過ぎる。
「広がれ」
燈火は慌てて、透明な炎をリヒトへと向わせる。それも避けられないように広範囲に広げながらだ。
「【黒翼の堕天】!!」
黒い翼が……羽の一枚一枚構築される。その翼は、三対六枚。まるで、天使の翼のように荘厳に、バサリと広がる。しかし、天使とは違い、その羽の色は、真っ黒だった。漆黒の羽。
そして、その羽は、燈火を目掛けて、飛んだ。羽が、矢のように鋭く撃ちだされたのだ。燈火は、自分の前面に透明な炎で結界を作る。
羽は、透明な炎に当たると蒸発した。熔けてドロドロになるのではなく、気体へと変わったのだ。と言うのは、アオイの視感であり、実際は、当たった瞬間、元の未収束力場へと返ったのだが。
「飛ぶだけじゃなくても、その程度で、【永久火】は破れないわよ!」
燈火の台詞。そして、アオイは、気づいた。先ほどから魔力を見ていたお蔭だろう、シャリエが魔法を使おうとしている様子が目に入ったのだ。
「リヒト、シャリエが魔法を使おうとしている」
そう、アオイが言ったのと、シャリエが呪文を唱えて、撃ちだしたのは同時だっただろう。
「捻って貫け――螺雷」
電撃がリヒトへ向って飛んだ。それをアオイの声を聞いて咄嗟に飛んで避けたリヒト。そして、シャリエとリヒト、燈火はアオイを見る。何故、魔法が予期できたのか、分からなかったからだ。
「アオイさん!どうして魔法を」
あるいは、リヒトなら【天球の瞳】で魔法の兆候を予知できたのかもしれない。しかし、一般人である、それも機械帝国の人間であるアオイが「魔法」を感知し、あまつさえ、予知したのだ。感知ならば、そこそこ勘がよければ、発射された後に分かる人もいるかもしれない。だが、アオイは、シャリエが魔法を放つと同時に、それも呪文を唱えると同時に言ったのだ。燈火には、衝撃的だった。確かに、体内の魔力の波動を感知できれば、そう言うことも可能なのかも知れないが、そんなことができるのは、燈火が知る中でも一握りの「怪物」みたいな奴らだけ。
「ん?ああ、別に。何か見えた」
アオイは、あっさりとそう言ってのけた。それこそ天性の「化物」だ、と燈火は震撼する。しかし、アオイは、アオイで、何故分かったのかを自分の頭の中で問答していた。
(魔力を見る力……。そう言えば、昔、どこかで聞いた事があったような……。誰から聞いたんだ?ララナか?いや、ララナは魔法に関しては、素人だ。むしろ魔造人形関連のおかげで俺の方が詳しいはず。
そもそも、魔力については誰に教わった……。どことなく、覚えの有る……。蒼と紅と茶……。なんだろう、つい最近、見たような……)
暫く考えに耽る。どの位だっただろうか。アオイにとっては数分、実際はものの数秒。それでもアオイは、思い出せない。思い出せそうで思い出せない。
(何だろうか。どこかで、何かが引っかかっている。そう、この引っ掛かり……。俺が、機械弄りを始めた頃にも……)
いくら考えても答えは出ない。そう思っていながらも、思考をグルグルとめぐらせて、一つ、どこかで何かの可能性にたどり着く。
(そう言えば、ヴァル子。あいつ、どこかで……。それに『アオヨ』と言う名前……)
しかし、その思い出しそうになったものはすぐに引っ込んでしまう。何故、こんなにも思い出せないものなのだろうか、とアオイが物思いに耽る。
「魔眼かなにか?」
燈火がそう言った。アオイには、魔眼と言うものが何か分からなかったので「さあ」と肩を竦めるだけ。
「魔眼ってのは、相手を見るだけで死の線が見えたり、寿命を見れたり、魔力を吸い取ったり、物体の構造を読み取ったりする系の奴よ。まあ、どれも実際には見た事がないんだけどね」
燈火は、そう言って笑う。されど戦闘の構えを崩していない。未だに、目線はリヒトに向いたままだし、彼女は結界の中にいる。リヒトもそうだ。未だに、羽ばたいて空を飛んでいる。
「いや、そう言う特殊な体質だと言うことは、家族から聞いた覚えが無いな」
無論、家族とは、ララナのことである。8歳以降、身寄りの無かったアオイを引き取った女性の娘であるララナとは、兄妹のようなものだ、とアオイは思っているが、実際はそうではない。それに、ララナの母はアオイのことを知っていても、父は知らない。女性は、アオイを隠して育てた。ララナの家……つまり、現在アオイが暮らしている場所には、ララナの父は行かないので隠して育てるには丁度よかっただろう。
その話はひとまず置いておくとして、そう、そのような特殊な目を持っているとは、アオイは一度も言われた事がなかった。
「ふぅん、まあ、2対1だと思っていたことは、詫びなきゃね。十分2対2だったわ」
そう言う燈火。つまり、アオイを戦力としてみていなかったと自白したようなものだが、アオイ自身も戦力では無いと思っていたので別に文句は言わなかった。
「貫け」
燈火が言う。透明な炎が、鋭い槍を形成して、リヒト目掛けて突っ込む。翼を操ってかろうじて避けるが、リヒトは左下の翼を失った。翼が、5枚と不恰好になる。
「ぐっ」
そして、不恰好になるだけではすまない。6枚だとバランスが取れていたものが、5枚になってバランスが崩れる。左側だけ2枚の羽で支えなくてはならないので、どうしても左に傾く。
「折り返せ」
そして、通過した透明な炎が戻ってくる。空気を焼きながら。そう、【永久火】は永遠の炎。真空でも燃え続ける。炎の焼いたところが、真空になろうが、燃え続けるのだ。そして、全て焼き尽くすため、蒸発して消える。それ故に、煙も発生しない。
「【哀の反発】!【愛の束縛】!」
全てを切り裂く漆黒にして黄金の刃に、赤と黒で形成された棘の鞭を巻きつける。そして、それで透明な炎に対抗する。
「ハァア!」
貫通する勢いで迫る炎の槍に、リヒトは、【愛の束縛】を巻きつけた【哀の反発】を叩きつける。
――キュイィイイン!
そんな甲高い音と共に、魔力と力場が衝突した。魔力の壁と力場の壁、その衝突点で奇妙な力が生まれるかのように白い光が生まれている。
「穿って巡れ――電天」
さらにそこにシャリエが魔法を放り込んだ。いや、正確には、リヒト目掛けて撃ったはずの魔法は、そこへと軌道を変えたのだ。
「馬鹿っ!」
燈火の声。そう、魔力と力場の均衡が崩れる。魔力と力場、1:1を築いていたその関係が、シャリエの魔法で1.2:1へと崩れる。僅かそれだけ。されどそれだけ。膨大な力は、釣り合っていれば、均衡していれば、何かが起こることは無い。ただし、その均衡が崩れた時に、起こる被害はどうなるか分からない。
そして、魔力も力場も、その場から全て吸い取って、何かが起ころうとした。まずい、とその場の誰もが思ったそのとき、何かが起こった。
「【調和せよ】【回復の調】【七天の鐘の音】【空間の調律】!」
アオイとリヒトは、どこかで聞いたような声に、息を呑んだ。力場と魔力の波が一瞬で消えたからだ。燈火も何と言っていいか分からず戸惑っていた。いや、それだけではない。
(今の魔法……、この世界の魔法ではないわね……。確か、アルハザードの連中が使っていた詠唱連結式だったかしら、でも誰が……)
全てを消し去る事ができたのには、秘術が絡んでいるのだろう、と燈火は納得した。そして、リヒトへと向き直った。
「この勝負、私の負けでいいわ。貴方の破壊は諦めるわ」
肩を竦める燈火に、リヒトは、目を見開いた。そして、聞く。
「いいんですか?」
その言葉に、燈火は、「ふふっ」と笑った。少し不気味に感じたリヒトがビクッとなる。そして、炎やら、刃やら、羽やらでボロボロになった機械廃材置き場を見ながら燈火が言った。
「あくまで、貴方の破壊をやめるだけであって、貴方の妹機である他のノン・クリアシリーズを諦めるわけじゃないわ。それと、あ、あっちは諦めるわけじゃないんだからねっ!」
そう言って、アオイを指差す燈火。人を指差すな。指を差されたアオイは、きょとんとしている。
「ほんとにあくまで諦めるわけじゃないんだからね!」
そう言って、燈火は、シャリエをつれて姿を消してしまった。何はともあれ、終わったな、とアオイは一息ついた。
「しかし、最後のあれ、たぶん」
「ええ、そうですね」
アオイの横に来ながら言うリヒト。二人には、最後の魔法を放った主の予想がついていた。
「明日にでも学園で礼を言うべきかな」
そう言って、アオイとリヒトも帰路へつくのだった。
次話:07/19 (土) 00:00 更新予定(予約済み)
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