表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未完成人形の永久機関  作者: 桃姫
第1章 機械帝国編
6/15

06話:潜む陰

2話連続投稿なので注意をしてください。7/5に更新された2話目です。

 アオイとリヒトは、街を散歩していた。流石に、ララナの服を代用するだけでは足りなくなってきたのだ。だから、服や財布などの売っている店がある通りに来ていた。アオイの住む家から徒歩で5分から10分圏内にある。


「まずは、服だな」


 そう言って、アオイはリヒトに言った。リヒトは今、ララナのワンピースを着ていて、さらに麦わら帽子を被っている。帽子を被っているのは、燈火やシャリエから顔を隠すためである。


「はい……、でも、本当にいいんですか?買ってもらっちゃって」


 リヒトは無論のことながら、お金を持っていない。それ故に、必然的に、何かを買うには、アオイが奢るしかなくなるのだ。


「ああ、構わない。いつまでも同じ服の使いまわしはよく無いだろ?」


 衛生的にも、おしゃれと言う方面でも、とアオイは付け足す。その言葉に、リヒトは、目を輝かせて、店頭の服を物色し始める。アオイは、その様子を見ながら、ふと思う。


「俺に、そう言ったセンスがあればよかったんだが、いかんせん、服の好みとかは少しずれているらしいからな」


 それは、ララナに言われたものである。ララナも一般の価値観を持っているとは言えないのだが、それでもアオイよりマシだ、と言うくらいにアオイは酷い。そして、そんなことを呟いたアオイの腰元にトスンと軽い感触がある。


「先輩、こんにわ~!」


 アオイの後輩のミュウ・ラ・ヴァスティオンだった。ミュウがアオイの腰元に抱きつく様は、まるで年の離れた妹が兄にじゃれついているようだった。


「ミュウか?こんなところで何をしているんだ?」


 アオイが聞くが、当然のことながら、買い物に来ているのは明白だ。ミュウは、アオイに問い返す。


「わたしは買い物ですよ。逆に、アオイ先輩がこんなところに居る方が珍しいじゃないですか。ゴミや……じゃなくて機械廃材置き場にも行ってないみたいですし」


 一瞬、ゴミ山と言ってしまいそうになったミュウ。そして、ミュウの問いに、アオイは、一瞬、何て答えようか、と迷ったが、そのとき、先ほどまで考えていたことを思い出す。


「なあ、ミュウ。服選びとかできる方か?」


 答えが返ってこなかったことに、首を捻りながら、アオイに聞かれたことに対して、すんなりと答える。


「できるも何も、服を選ぶのにダメとかあるんですか?」


 センスのあるミュウならではの回答に、少しムッっとしながらもアオイは、ミュウに頼んでみる。


「じゃあ、服選び、手伝ってくれないか?」


 ミュウにそう言うアオイだが、その言い方だとアオイの服選びを手伝って欲しいと聞こえる。そして、そう受け取ったミュウは快く頷いた。


「ええ、構いませんよ!」


 にっこりと微笑むミュウに、「ありがとう」と言って、後ろを振り返る。そこには、服を眺めて、あれこれ考えるリヒトがいた。


「リヒト、一旦戻って来い」


 そう呼びかけると、「あ、はい」と言って、てくてくと戻ってきたリヒト。そのリヒトの登場に、ミュウの顔が固まった。


「え、あ、ああ、あの?ど、ドチラサマデショウカ?」


 動揺しすぎてミュウは、片言の発音になってしまう。アオイの側にいる女性関係は、ミュウが知る限り、レアとミュウだけだった。しかし、目の前には、アオイと親しげに話す女性の姿がある。動揺するのも無理は無い。


「あ、はい。リヒト・シィ・レファリスと言います。いつもアオイさんがお世話になっています」


 にこやかにはにかむリヒトに、まだ顔が固いが、挨拶をするミュウ。少し動きがカクカクしている。


「ミュウ・ラ・ヴァスティオンです」


 ミュウの名乗りに、リヒトが「え?」と少し意外そうな声を上げた。しかし、ミュウは、それよりも、先ほどのリヒトの名乗りがようやく脳まで届き、「ん?」と声を洩らす。


「あの、今、シィ・レファリスって言いました?と言うことは、アオイ先輩のお姉さんかなにかですか?」


 姉ならば、「アオイさん」などと言う表現はあまり使わないと思うのだが、ミュウは聞いてみた。すると、リヒトは、すぐに返す。


「いいえ、違いますけど?」


 その言葉に、ミュウはよく分からなくなった。しかし、そんなミュウに、今度はリヒトが問い返す。


「あの、失礼なことを聞きますが、あの(・・)ヴァスティオン家ですか?」


 その問いの真意が分からず、ミュウは困った顔をする。「あの」と言われても「どの?」としか返せない。


「いえ、何でもありません。気にしないでください。オレンジの髪と青色の瞳だとしたら、きっと、あの、ヴァスティオンなのでしょう」


 悟ったような言葉に、ミュウが、この人大丈夫か?と言う様な風にリヒトを見るが、リヒトはその視線に気づいていない。


「ミュウ。悪いがリヒトの面倒を頼む。服とか選ぶのを手伝ってくれ。ほら、リヒト。金は渡しておくから、この金額内で買いたいだけ買ってくれ」


 そう言って、ミュウにリヒトを押し付けたアオイは、街を進んでいく。ぽつんと取り残された初対面の二人は、どうしたらよいか分からず、暫し顔を見合わせるのだった。











 二人を置いて、街の店通りの端まで来たアオイは、その辺にあるクレープ屋の横に腰を下ろした。二人を置いてきたのは、勿論、女性の服選びが長いことをララナとの買い物の経験から分かっていたからである。だからこそ一人で、ゆっくりしているのだ。


「そこの人……。お一人?」


 小さな声で、アオイに話しかけてきたのは、隣にあるクレープ屋の屋台の店員だと思われる少女だった。


「何だ、幼女。俺は買わんぞ」


 幼女、とアオイが称したように、話しかけてきた店員は、幼い少女だった。アオイは、怪訝そうに、その少女を見ていた。


 (うるし)のような濡れ黒の髪。艶のあるその髪は、その黒さゆえに、全ての光を吸い込むように、視線すら吸い寄せる。感情のこもっていない、表情があまり見られない顔。しかし、顔立ちは、整っていて、パチリと見開かれた瞳は、大きかった。そして、短めに整えられた少し太めの眉。長く伸びた睫毛。腰元まである髪が風で揺れるたび、仄かに甘い香りが漂う。平たい胸と小さな身長。そのことから分かるとおり、少女なのだろう。色白の肌は、日焼けの跡がほとんどなく、とても白かった。そして、まるでルビーのような赤色の瞳。


 美少女と呼ぶに相応しい外見を持つ少女は、機械帝国(ララリース)の一般人とは、少し異なる雰囲気を放っていた。アオイはその事が怪訝だった。


「別に、買えと言った、覚えは、ない」


 抑揚のない、か細い声。その声に、アオイは、少女を見ながら少女に向って問いかけた。


「じゃあ、なんのようだ?」


 アオイの質問に、少女は、スッと何かを差し出した。アオイに見覚えのあるそれは、アオイの財布だった。


「ん?……?!俺の財布!」


 アオイが驚いているが、少女は、ただ、財布を差し出すだけ。アオイは、財布を受け取りながら、少女に聞く。


「何で、俺の財布を持ってるんだ?」


 その問いに対して、少女は、ただ、先ほど、アオイが歩いてきた道を指差して、こう言った。


「あの道はスリが多い。気をつけないと、スラれる。いつも、ワタシが、スリ返す、わけじゃない」


 どうやら、スラれたアオイの財布を、少女がスリ返してくれたらしい。アオイは、普通の少女にスリ返すなんて事ができるだろうか、と考えたが、スリが常習しているというこの通りにいれば自然とそう言ったことも身につくのかもしれない、と思い直す。


「ありがとな」


 アオイの礼に、少女は、少し、頬を朱に染めてそっぽを向いて、アオイに言葉を返した。


「別に、礼を言われることでは、ない」


 その少女は、それだけ言うと、その場を去ろうとする。アオイは、思わず引き止めた。なぜ、引き止めたのかは自分でも分からなかったが、引き止めた。


「待ってくれ」


 アオイに引き止められ、少女は、「何?」とアオイの方へ振り返った。黒い髪がバサッと揺れ、その一瞬、彼女の瞳が黄金に見えた気がした。しかし、気がつけば、元の紅い瞳だった。


(気のせい、か?)


 アオイがそんなことを思う中、少女は、アオイに怪訝そうな顔で、と言うよりも雰囲気で、アオイに問う。なお、表情は乏しく、無表情に近い。


「用事でも、ある?」


 少女の言葉に、アオイは、何を言えばいいのか分からなくなり、言葉に詰まる。引き止めた理由は自分でも分かっていないのだから仕方が無い。


「いや、用は無いんだが……」


 そう言って、困るアオイに、少女は、こう言った。


「変な人」


 そう言って、笑った(・・・)のだ。その可憐な笑みに、アオイは目を奪われた。思わず、見入ってしまうほどの愛くるしい笑みだった。


「ワタシ、ナナ・ヤツギ・メーヤ」


 そう言って少女、ナナは、アオイの元を去る。と言っても、すぐ横の屋台に戻るだけなのだが。














 ナナ・ヤツギ・メーヤと言う少女には、少し特殊な事情があった。それ故に、機械帝国(ララリース)で、クレープ屋のアルバイトをしているのだ。彼女の出身は、隣の国である暗隠王国(アサルス)である。


 暗隠王国(アサルス)機械帝国(ララリース)魔法王国(マリーア)と言う、孤独大陸(ゼノス)にある三国である。機械帝国(ララリース)魔法王国(マリーア)は、名前から分かるとおりで、機械帝国(ララリース)が機械の国、魔法王国(マリーア)が魔法の国と言うことである。では、暗隠王国(アサルス)とは、と言うのは、国の実態がどこにも知られていないため、国外の人間には、不明である。


 ナナ・ヤツギ・メーヤは、知人であるギル・アーデルハイトとともに機械帝国(ララリース)へとやって来た。


 そして、やって来て数日のある日、ギル・アーデルハイツは、ナナに向って、静かに語りかける。


「ナナ。我々は、可及的速やかにあることを為さねばならない」


 黒い帽子を目深に被り、帽子の縁から、出ているのは、緩やかにカールの掛かった銀髪。雰囲気は、落ち着きのある青年だろう。黒いロングコートにより体格は分からないし、顔も整っているのだろうが、帽子でいまいち判別できない。手には、黒川の手袋をはめており、ロングブーツで足の太さも分からない。全身を黒で包んだ黒尽くめの謎の人物、と言う風貌だろう。


「任務?」


 ナナの答えに、ギルは、首を横に振った。最優先事項である任務よりも優先することとはなんだろうか、と考える。


「分からないか?ならば言おう!」


 堂々と、まるで「バァン!」とでも効果音がつきそうなほどの勢いで、ナナに向って答える。


「金銭を得なくてはならない!なぜならば、我々の所持金は、僅かしかないからだ!当分、大きく動く事が無いから、ホテルを借りるにしろ、借家にしろ、金は掛かる。いくらあっても足りないくらいだ」


 なんとも情け無い、と思いながら、ナナは、今いるホテルの一室から外を見た。するとそこには、一台の屋台が出ていた。クレープ屋である。


「ん」


 ナナが屋台を指差すと、ギルは、ナナが何を指しているのか、窓の外を覗いた。そして、看板の文字を読み上げる。


「クレープか」


 ギルの呟きに、ナナが、きょとんと首を傾げた。ギルは、せめて分からないという表情を作りながら首を傾げろ、と文句を言いたくなった。


「くれぇぷ?」


 クレープを知らないナナに、ギルが、仕方ない、とクレープを買ってきてやることにした。金が無いのに。


 下までいって、戻ってくるのに数分。ギルは、一つだけクレープを持って帰ってきた。一つしかないのは、金銭的問題である。


「ほら」


 差し出されたクレープを見て、警戒するような目で、暫し、観察する。薄い生地。のった白いクリーム。半分にカットされた苺が巻かれた記事の隙間から顔を覗かせている。さらに、その苺とクリームの上にかかる苺ジャムソースがいい塩梅で、とても美味しそうに見える。


「ン……」


 ナナは、クレープを一口。するとぱぁあ、と顔が和らいだ。その表情に、ギルが、一瞬、驚きのあまり、停止した。


「……何?」


 その様子に、ナナは、訝しげにギルを見る。ギルは、少し慌てたように、ナナの顔を覗きこんだ。


「いや、お前、今、笑ったか?」


 その言葉に、ナナは、自分の顔に手を当てる、いつもとなんら変わりの無い、普通の顔。無表情、鉄仮面と称される顔だった。


「?」


 やはり笑ってないのでは、と首を傾げるナナ。しかし、ギルは、内心で、あれやこれやと考えていた。


(何故、あの『ナナ』が感情を持ち始めているんだ……。これは『ナナ』に人格がシフトし始めたということか?)


 そんな風に考えながら、懐から、一枚の紙を取り出した。その紙が「吉」と出るか、「凶」と出るか。


「ほらよ」


 そう言って渡したのは、「バイト募集」と書かれたクレープ屋のチラシだった。それを受け取ったナナは、ギルの顔を見上げる。


「……仕事?」


 そう聞くナナに対して、ギルは、肩を竦めて、珍しく、目深に被った帽子を取り、笑顔で笑いかける。


「仕事じゃないから、やるもやらないも自由さ」


 その言葉にナナは、妙な顔をした。いつも、ギルは口を開けば「任務」と言っていた。それなのに、今日はどうしたことだろうか。任務はない、自由だと言う。何かおかしなものでも口にしたのでは、と一瞬心配したが、その程度でどうにかなるようには、修行していないな、と思い直した。


「罠、か、何か?」


 そんな風に問いかけるナナに、「疑り深いな……」とギルは頬を引きつらせた。まあ、疑り深い性格になるよう言い聞かせたのもギルなのだが。


「違う。金も稼げるし、自由時間もでできる、一石二鳥だろ?任務上、まだ、情報収集の段階だ。そんなに目立つわけにもいかないのだからな。動くのは一人でいいだろう?」


 そう言って、ナナの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。









 それから暫くクレープ屋で働くナナだが、そこで学んだことといえば、クレープの作り方とスリがでることだけだった。スリは、そこそこ技術の高いスリだが、ナナにとってはスリ返すことなど造作もなかった。


「ん……?また、スリ?」


 スリが目をつけたのは、少しボーっとした青年だった。まあ、その青年とはアオイのことなのだが。


「あ、……スッた」


 スリが財布を抜いたのを確認すると、ナナは、なんとなく、そのスリにぶつかった。トンと軽くぶつかっただけだ。


「おっとすみません」


 スリは、柔和な笑みを浮かべて足取り軽やかに通りから去って行った。財布を抜き取られたことにも気づかずに。と、言っても、ナナはスリ返したときに、丁度同じくらいの重さの紙の束(クレープ屋の広告の印刷する前の白紙の紙)を入れておいたのだ。


「……無能」


 スリに向って、そう吐き捨てて、ナナは、先ほどの青年のもとへ、てくてくと歩いていく。


「そこの人……。お一人?」


 そう聞いたナナ。無用心すぎるから、誰か連れて歩いた方がいいと言うナナなりの助言である。


「何だ、幼女。俺は買わんぞ」


 無愛想にそう言ったアオイ。ナナは、一瞬、どうして店員だと分かったのだろうか、と思ったが、クレープ屋の名前が入ったエプロンをつけていたのだから当然か、と思い直す。


「別に、買えと言った、覚えは、ない」


 いつもの調子でナナは、アオイに向ってそう言った。ナナの言葉に、アオイは、訝しげに顔をしかめる。


「じゃあ、なんのようだ?」


 アオイの質問に、ナナは、懐にしまっていた財布を、アオイに向けて差し出した。あまりにも無駄の無い動作だったので、急に財布をスッと出したように見えただろう。


「ん?……?!俺の財布!」


 アオイが驚いているが、ナナは、まっすぐに財布を差し出すだけだ。アオイは、何で?と思っているような表情をしながらも、財布を受け取った。


「何で、俺の財布を持ってるんだ?」


 そう問うアオイに対して、ナナは、先ほど、スリが通った道を指差しながら、こう言った。


「あの道はスリが多い。気をつけないと、スラれる。いつも、ワタシが、スリ返す、わけじゃない」


 そう忠告するのだった。しかし、普通の人間は、そう忠告したところで、実際にスラれたところを自覚したわけではないので信じることは無い。ナナもそれは知っていた。しかし、アオイの返答は、ナナにとって予想外だった。


「ありがとな」


 その返しが意外だった所為か、ナナは、心の奥が不意に温かくなった。今までに感じたことの無い、不思議な感覚。その感覚に、不思議だと思いながら、ナナは、アオイに向って言った。


「別に、礼を言われることでは、ない」


 それは、ナナの言おうとした言葉ではなかった。ナナは、「ん」といつもの如く返すつもりだったのだ。何で、そんなことを言ってしまったのだろうか、と思いながら、ナナは、クレープ屋の方へと向っていく。


「待ってくれ」


 まるで、その言葉を待っていたかのように、ナナは、自然と振り返る。自分の中の、「ナナ」ではない、何かが、心の奥で燻っているような気がしながら。トクン、トクンと速まる心臓と、煌く黄金の輝きを自覚しながら、アオイの方へと振り返ったのだった。


「用事でも、ある?」


 全てを抑え込むように、呑み込むように、平常を保ちながら、「ナナ」を取り戻していく。そして、いつもの平淡な口調で、そう聞いた。


「いや、用は無いんだが……」


 アオイは、そう言って、頬をかく。本当に何の用も無いようだった。そして、その仕草に、ナナは再び「ナナ」でなくなりそうになる。


「変な人」


 そして、「ナナ」でない、「メーヤ」と言う存在は、そうやって、笑みを浮かべるのだった。


「ワタシ、ナナ・ヤツギ・メーヤ」


 そう言って、愛くるしい笑みを浮かべ、ナナは、……メーヤは、その場を去る。










 メーヤは、ギルと対面していた。その金色の瞳が、ギルを捉え、柔ら気な笑みを浮かべていた。普段のナナのそれとは違うそれに、ギルは、対面した瞬間に、ナナではないことに気づいた。


「まさか、お前が、こんなにも速く表層に出てくるとはな……。それほどの事があったと言うことか?」


 ギルの言葉に、メーヤは、ニタリと笑いながら、黄金の瞳で、目深に被った帽子の奥を見据えた。


「相変わらず男臭い喋り方よね~、嫌になっちゃうわ」


 メーヤのふざけた口調に、ギルは、「うっ」と呻いた。今、メーヤが明言したように、ギルは、れっきとした女性である。それは名前からも窺うことができるだろう。ギル・アーデルハイトのアーデルハイトは女性名であり、愛称は「ハイジ」である。ハイジと言えば、何となく分かるものがあるだろうが、そのハイジは、アーデルハイトの短縮形であり、アーデルハイトが本名である。


「ふん、別に、誰に迷惑が掛かるわけでもないだろう」


 そう言って、メーヤを睨む。そんなギルの様子に、メーヤは、けたけたと笑って、そして、ギルを見る。


「それでぇ?何があったか、だったわね」


  メーヤは、漆黒の髪をくるくると弄りながら、自分の身にあったことを考える。そして、ただ一つ、気になる存在を思い出す。


「おそらくだけど、彼に出会ったことが、引き金じゃないの?」


 彼、とは、無論アオイのことであった。当然、メーヤは、アオイの名前を知らないので、固有名詞は出なかった。


「彼?誰のことだ?」


 ギルの問いかけに、メーヤは、アオイのおおよその外見的特徴を伝えた。すると、ギルは、奇妙な顔をした。


「もしかして、アオイ・シィ・レファリスか……?」


 言ったように、メーヤは、アオイの名前を知らない。しかし、ギルは、知っていた。ギルは、ナナがクレープ屋で働いているうちは、任務の調査に出ていた。そして、その過程で浮かび上がった人物こそ、アオイなのだ。


「知ってるの?」


 メーヤの問いかけに対して、ギルは、神妙な面持ちで、口を二、三度へ開閉してから、言い難そうに言った。


「今回探りを入れていた、奴と連絡を取っていたであろう人物の名前がアオイ・シィ・レファリス。一般回線とは別の回線と思しき物を使っていたが、何とかたどり着いた奴への手掛かりを持っていそうな人物なんだ。写真も苦労して手に入れた」


 そう言って、ギルは、写真をメーヤに見せる。メーヤは、目を見開いた。そう、その写真に写っていたのがアオイだったからだ。


「ええ、この人よ……、これも合縁奇縁ってやつかしらね?」


 メーヤは、そう言って微笑み、静かに、「ナナ」の奥深くへと潜っていった。ナナとメーヤ。二対一体。その名前が体現する通りの人物なのだ。かつての残滓を孕んだ、黄金の瞳を持つ一族なのだ。
















 アオイはぼんやりと、リヒトとミュウが待つであろう店の近くへと戻ってきた。どうしても、先ほどのナナの笑みが忘れられずにいるアオイだが、それでもぼんやりとリヒトに会いにきたのだ。無論、スリに会わないように少し警戒しながら。


「あ、アオイさ~ん」


 リヒトの嬉しそうな声がして、アオイは、そちらを振り向いた。すると、リヒトとミュウと、そして、見知らぬ女性が一緒にいた。見知らぬ女性を怪訝そうに見ながら、アオイは、近づいていった。すると、女性が目を細める。


 警戒や嘲笑とは別の、懐かしさ、そして、眩しさに目を細めたように見えた。そして、女性が、ボソリと呟いた。


「……驚いたわ。本当にあの子にそっくり」


 そんな声は、誰にも届かなかった。そして、アオイが合流すると、ミュウが、女性のことを紹介する。


「先輩、こちら、うちの学園の生物学講師のシルフ先生です」


 ミュウの説明を受け、微笑むシルフ講師。そして、シルフは、笑いながら、自己紹介をする。


「ルシルフ・レイラ・キリュー・ヴァルヴァディアよ。ヴァスティオンさんからは、シルフと呼ばれているけれど、好きに呼んで頂戴」


 そう言うシルフ講師。本名を「ルシルフ・レイラ・キリュー・メリアル・フォン・ヴァルヴァディア=ディスタディア」と言う。国立機械技術師育成学園と言う、機械の専門学園で、生物関係の講師に仕事があるのか、と言うと、勿論ある。機械で、動物、果ては人間の動きを再現する分野の機械工学では、生物学は、重要になってくる。それ故に、彼女のような人間も学園で仕事をしているのだ。ちなみに、アオイは、一度も彼女の講義を受けたことは無い。寝ていたから記憶に無いのではなく、完全に受けていないだけだ。彼女の授業を受けるためには、生物学の講習を受けるか、生物型ロボット研究の研究室に入る以外にないからだ。ミュウは、一度、生物学の講義を受けているため、面識がある。


 その外見で一番目立つのは、美しい血塗れ色の髪。紅より暗い、ダーククリムゾンの髪色は、まさしく赫紅(かくべに)。生徒達でのニックネームは、「赫紅の美姫(びき)」である。さらに、その血塗れた暗い髪色の中で、輝きを放つように光る薄紅の瞳も人目を惹く。背の高さは、アオイよりも高く、普通の成人男性と同じか、それ以上だろう。浅黒い肌は、その妖艶さを際立たせていた。美人な年上の女性と言う表現がこれほどまでにしっくり来る人は、他に居るだろうか、と思わせるくらいに美しい人。赤と黒。その二つをイメージカラーにするに相応しい。


「じゃあ、ヴァル子と呼ばせてもらう」


 そう言ったアオイの言葉に、シルフ講師……ヴァル子は、動揺する。それを見て、ミュウが「失礼すぎ!」と思ったが、ヴァル子の動揺は、いつの間にか、笑みに変わっていた。


(ふふっ、こんなところまで、あなたに似ているのね。『青蒼(せいそう)の侍女』……)


 そんな風に思いながら、アオイに向って笑みを浮かべながら、ヴァル子は、握手を求めるように手を差し出した。


「ヴァル子、ね、いいわ。よろしくね、アオイ君」


 まさか通るとは思っていなかったので、少し意外そうな顔をしたアオイだったが、すぐに不敵な笑みに変わる。


(予想外の事態にすぐに対応できるのは、父親似ね……。ほんとに、あの方に、そっくり。二人の子って感じだわ)


 懐かしい思いが溢れ出しそうになったヴァル子は、それを押し込める。そして、アオイが、ヴァル子の差し出した手を握った。


「ふむ、まあ、生物学は専攻する予定が無いからよろしくすることも無いが……」


 アオイは、数年前に既に生物学を受講して、それなりの知識を得ていた。ちなみに、そのときの専攻は、生物学の中でも人体学だ。


「そう?まあ、数年前に12の計画をしたとき、人体学をマスターしているなら、専攻する気がなくても当然かしらね」


 その言葉に、アオイが、警戒を色濃くする。そのことを知っているのは、ララナだけのはずだからだ。


「何者だ?」


 そのアオイの低い声に、ヴァル子は、微苦笑を浮かべた。そして、ひらひらと手を振って、問題ない、と示す。


「大丈夫。『黄浄(きじょう)の姫君』のことも知っている、城内でも数少ない人間の一人よ」


 黄浄の姫君とは、ララナ・ララリースのことである。黄浄の由来は、身につけているペンダントと頭に乗っけているティアラからである。その名前で呼んでいるのは、今となってはヴァル子くらいなものだが。


「ララナを知っている、だと?お前、まさか……」


 話についていけず置いてけぼりのミュウとリヒトを放置しながら、アオイは、思考を巡らせる。


(まさか、噂に聞く『赫紅の忍者(アサシン)』なのか……?俺も、ララナから噂に聞いた程度なんだが。だとしたら、こいつ……)


 そんなことを考えながら、警戒を解いた。アオイは、ヴァル子に対峙しながら、何気なしに、彼女が敵では無いことを理解していた。


「ふふっ、やっぱり似てるわね。アオヨに」


 ヴァル子は、そう言うと、懐かしそうに笑みを浮かべ、アオイの頭を軽く撫でてから、歩き出す。


「じゃあ、行かせてもらうわ。また、会いましょ」


 背を向けて軽く手を振るヴァル子。そんなヴァル子を見送ったミュウが口を開いた。少し唖然としていたが。


「あの、先輩。シルフ先生とは初対面では?」


 そのミュウの言葉に、アオイは、少し迷ってから、答えた。


「ふむ、どうやら、俺の家族の知り合いらしい」


 アオイの言う家族とは、ララナのことである。ヴァル子の言った「アオヨ」の名前に、アオイは覚えがなかったからだ。


「アオイさんのご家族のお知り合いって……?」


 リヒトが不思議そうな声を洩らす。それに対して、アオイは、リヒトの頭に手をぽんと乗せ、笑いながら、髪をぐしゃぐしゃと弄る。


「家主の、だ」


 誰の知り合いか、と言うのを言った。ちなみに、アオイがぐしゃぐしゃさせたのは、ヴァル子に頭を撫でられたのに腹が立っていたからでもある。


「それより、お前、帽子はどうした?せめて顔を隠さんと、あいつらに見つかるぞ」


 そんなことを言いながら、アオイは、今のリヒトの格好を見た。黒と白を基調にしたフリルの多いロリータファッションでまとめられた服装。このファッションには、帽子は似合わないだろう。せいぜい、小さな髪飾りのような帽子くらいだ。それだと顔を隠せない。


「まあ、似合っているからいいか。顔を隠すのももったいないしな……」


 そんなことを思わず呟いてしまうアオイ。そして、アオイは、ミュウの方を見た。そして、笑って言う。


「今日はアリガトな。おかげで、リヒトの服もバリエーションが増えた。俺はこっち方面、全然ダメでさ」


 そう言うと、ミュウは意外そうな声を洩らした。何故意外そうに思ったのか、と言うと、ミュウは、それを思ったままに言う。


「でも、今日、リヒトさんが着ていらした服は、高価なもので、センスもよかったと思いますけど?」


 その言葉に、アオイは、「ああ」と居心地悪そうに頬をかく。それから、暫し、間を置いて、説明する。


「その服は家主の服でな。リヒトは少々訳あって、服がなくなっちまったんだ」


 アオイの言い方が悪い。ミュウは、妙な誤解をしてしまう。それも2パターンほど想像してしまった。


「も、もしかして、女性の服を盗む泥棒とか……、それとも、アオイ先輩がその、……あんなことやこんなことをするときに、……あの、破いてしまったなんて……。だから、下着も……ストッキングも……」


 アオイは、ミュウの妄想が激化する前に、誤解を解いておくことにした。しかし、本当のことを言うわけにもいかない。だから、誤魔化し程度に嘘をつく。


「違う!リヒトの服は、焦げていて着れらないんだよ」


 焦げていて着られないのは事実である。ボロ布は、雷やら炎やらで煤けて焦げて着ることは不可能になっていた。


「焦げっ?!ろ、蝋燭ですか?」


 何故蝋燭がこのタイミングで出てきたのかは、ミュウの威厳のためにも黙っておくべきなのだろうが、ミュウの普段の妄想に登場するからである。誰も黙っているとは言っていない。


「違う。そもそも、俺とリヒトが一緒に暮らすことになったのは、リヒトの家が火事になったからなんだ。だから、衣類も燃えてしまっていてな。唯一着ていた服も、煤けや焦げが酷くて使い物にならんってことだ」


 アオイの誤魔化すような言い訳。幸いにも、アオイもリヒトも、何故、一緒に暮らしているのか、どう言う関係なのかは、ミュウには話していなかった。だからこそ通じる言い訳。


「そ、そうだったんですか。なら、仕方が無いですね。しかし、それほどまで凄い事情があるとは、思っていませんでした」


 ミュウが納得する。それで、ホッと一息ついて、やっと問題が片付いた、と思った瞬間、アオイは、妙な視線に気づいた。


「――【天球の瞳(ユナオン)】起動。……先日のデータと一致」


 リヒトの呟くような言葉。アオイには【天球の瞳(ユナオン)】の……【彼の物を見通す者(ユナオン)】の力のコピーが何なのか理解できない。


「アオイさん!」


 そう、今、リヒトは、顔を隠せていない。だとしたら、気づかれた可能性がある。だからこそ、アオイは、リヒトに囁く。


「落ち着け」


 その言葉で、急速に落ち着きを取り戻す。そして、その視線の主を見る。どうやら、その視線は、ミュウとリヒトを捉えているようだった。


「トーカ、だったか?」


 アオイの言葉で、燈火が、「ひゃ、ひゃぅ」と妙な声を上げてしまう。そして、おずおずとアオイの前に姿を現した。


「こ、こないだぶりね」


 燈火の言葉に、アオイは、考える。この言葉の意味を。リヒトについてのことを含めて、考える。


(このこないだぶりは、俺に対して言っているのか、それともリヒトに言っているのか。おそらく、俺にだな。と言うか、リヒトに気づいていないだろうな。まあ、小奇麗になっているしな。腕や脚も砕いたなら、こんなところに居るはずない、と思うのか?)


 心を落ち着けるアオイ。そして、燈火に向って、こんな質問をしてみる。少し意地の悪い質問だ。


「探し人は見つかったのか?」


 にやりとでも言う表現がいいだろうか。そんな笑顔で、アオイは、燈火に聞いた。それに対して、燈火は、静かに首を横に振った。


「いいえ、見つかってないわ」


 肩を竦める燈火。そこに、シャリエが駆け寄ってくる。何事か、と燈火が見る。血相を変えたシャリエは、燈火よりも、その近場にいた、リヒトを見る。


「見つけた!ノン・クリア!」


 シャリエは、そう言った。その言葉に、燈火もリヒトを注視する。服装や、汚れが取れて分かりにくいが、紛うことなく、ノン・クリア・アインツだった。アオイが溜息をついて言う。


「場所を変えようか」

次話:07/12 (土) 00:00 更新予定(予約済み)

>次々話:07/19 (土) 00:00 更新予定(予約済み)

>>次々々話:07/26 (土) 00:00 更新予定(予約済み)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ