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未完成人形の永久機関  作者: 桃姫
第1章 機械帝国編
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02話:機械帝国

 孤独大陸(ゼノス)。世界にある大陸の中で、唯一距離が離れている大陸。そのため、他の大陸との交流は少なく、孤独大陸などと呼ばれるようになったのだ。その大陸は、さほど大きくない。そのため、国が三つだけで、さらに山がその三国を分かつ状態で聳えているので、国同士の交流も少なく、発展する分野も種族の特徴も、習慣も、文化も全然違うと言う事が特徴の大陸だ。


 その中の一つこそ、機械帝国(ララリース)と呼ばれる国である。科学技術が大いに発展したこの国では、魔造人形と呼ばれる存在が、危険な仕事などを担当することで人民の負担が少ない国である。そう言った面だけ見ればいい国なのだろう。そして、魔造人形が要とも言えるこの国では、機械技術師の育成に力を注ぎ込んでいる。有能な技術師の誕生は、魔造人形技術の発展を意味するからだ。


 そんな帝国に住まう青年、アオイ・シィ・レファリス。黒いボサボサの髪と黒曜石の如く漆黒の瞳が特徴と言える国立機械技術師育成学園に通う学生である。歳は21歳。将来の夢は、最高の機械技術師になることである。


 そして、アオイが拾った女性は、アオイの放った言葉にきょとんとして固まっていた。「ラグってんのか?」とアオイが思うほどに固まった。それから5秒ほどして、女性は、口を開いた。


「あの、リヒトとは、一体、誰のことですか?」


 パチクリと瞬きをしてから首を傾げてアオイに問う。その際に、金色の髪がバサァと揺れる。その髪は、ライトの光で眩く、輝いていた。


「あんただよ。あんたの内部データの中にあったファイルに、『名称はこれを開いている、君に決めてもらいたい』と書かれていたのでな。俺の独断と偏見で決めさせてもらった」


 その言葉に、またも停止する彼女……いや、リヒト。リヒトは、暫し固まっていたが、柔和な笑みを浮かべ、頬を染めてアオイに礼を言う。


「ありがとうございます!私なんかに、名前を付けてくださるなんて……。リヒト……『光』ですか。とても、いい名前です」


 頬を染めるなんて言うこともできるのか、と驚くアオイ。人形が、「頬を朱に染めた」のだ。普通はありえない機能だろう。


「いや、構わないさ。一緒に暮らすんだ。名前も無しじゃ不便だろ?」


 そう言って笑うアオイを見て、リヒトは、機体(からだ)の奥が締め付けられるような不思議な感覚に囚われた。


「さて、と。じゃあ、着替えを持ってきてやるから、ちょっとここにいてくれ」


 アオイがそう言って、歩き出したところで、リヒトは自分が裸であると言うことに気づいたのだった。リヒトのコンピュータ(あたま)が真っ白になる。


 そして、アオイが部屋を出てエレベーターではなく、階段で上へと登り始めた頃、大きな悲鳴が上がった。


「きゃあああ!」


 恥ずかしさのあまりリヒトは悲鳴を上げてしまったのだった。そんなことは露知らず、アオイは、階段を登る。そして、1分と掛からず階段を登り終え、階段のすぐ側にある自室へと入る。しかし、そこで、自分の部屋には、彼女が着られそうな衣服が無いことに気づいた。アオイの部屋に在るのは、制服の予備が数着と作業着が2着。あとは適当なジャージだけだが、いずれもリヒトにはきついだろう。主に胸元が、だ。


「どうするか……。知り合いに借りるか?しかし、女の知り合いなんてミュウくらいしか」


 そこまで言って、ミュウの体型を思い出し、アオイの服よりも着られる可能性が薄いことに気づいてしまった。


「と、なると、あいつの服か」


 そう思い、この家の家主である女性を頭に思い浮かべて、「そう言えば、あいつの胸は、リヒトよりもでかかったか」と思い出す。滅多に会う事がない家主の顔は徐々にうろ覚えになりつつある。そんなことを当人に言ったら何と言われるか、想像するのも恐ろしいことだ。


「まあ、あいつも着てないし、この家にあるのを勝手に拝借しても問題は無いだろう」


 そう言って、滅多に行かない二階へと登るアオイ。二階は家主の部屋と空き部屋だけだから、アオイは滅多に足を踏み入れる事が無い。


 二階の突き当たりの部屋。その扉を開けると、様々な服が吊るされたハンガーラックが目に付く。ドレスの数々。ハンガーに雑に吊るされているのは、高級そうなドレスだった。他にも宝石が置かれていたり、煌びやかな装飾品があったりと、何処と無く高貴な雰囲気がある。


「普通の服があまり無いな……。まあ、適当に見繕うか」


 無難な白色のワンピースを選ぶ。下着も適当に選ぶ。そして、それを持って再び地下へと戻っていく。










 地下へ戻ると、リヒトがなにやらボロ布をまとって、頭を抱えていた。その光景を見てアオイは、思わず問うた。


「何やってるんだ?」


 その言葉に、虚ろな目をしたリヒトが顔を上げた。そして、リヒトは、恥ずかしそうにこう言った。


「もう、お嫁に行けません……」


 お前は機械のくせにお嫁に行く気だったのか、と思わないでもないアオイだったが、その言葉は、言わずに飲み込んだ。


「とりあえず、これを着ろ」


 そう言って取ってきた下着と衣服を差し出した。差し出された物を見て、リヒトは少々、目を丸くした。


「女装癖でもおありですか?」


 最初に来た質問がそれであったのだからアオイは、思わず脱力して転びそうになった。そしてアオイは怒鳴る。


「ねぇよ!ここの家主のモンだ!いいから着ろ!」


 怒鳴りながら、服を着るのを急かさせる。リヒトは、アオイが自分の方を見ていないのを確認してから、着替え始める。そして、思ったことを口にする。


「そう言えば、まだ、お名前を伺っていませんでしたね」


 確かにアオイはここまで、リヒトに対して一度も名前を名乗っていなかった。それを思い出し、アオイは、リヒトに名前を名乗る。


「俺は、アオイ・シィ・レファリス。機械技術師を目指している」


 そっぽを向いたまま自己紹介をしたアオイ。アオイの名前を知ったリヒトは、頬を染める。


「アオイさん、ですね……」


 そうアオイの名前を覚えこむように呟いた。そして、服を着終えたリヒトは、アオイの名前を呼ぶ。


「アオイさん」


「ん?何だ?」


 その言葉にすぐさま反応したアオイは、振り返って動きが止まった。そこに居たのは、まるで純白の天使のような女性だったからだ。先ほどのボロ布から純白のワンピースに変わっただけで、さらに天使のように見える。


「どうですか……、に、似合ってますか?」


 少し頬を染めながら、恥ずかしげにアオイに問うリヒト。アオイもまた、頬を染めていた。可憐で美しい、そんなリヒトに。頭の中で、リヒトが人間ではないと言うことを理解しているにも関わらず、それでも可憐だと感じてしまうのだ。


「あ、ああ。似合ってる」


 少し上ずった声で、返事をするアオイ。アオイに似合っていると言われてリヒトは、満面の笑みを浮かべて喜んだ。


「ありがとうございます」


 リヒトは、光のように眩い笑顔でアオイにお礼を言うのであった。











 アオイは、リヒトとともに、地下の工房から上の居住スペースへ上がってくると、ある人物に連絡を入れようと電話を取った。そして、その人物への直通の回線を開く。その人物には、直通の回線以外で連絡を入れると断られたり、連絡がつかなかったりする方が多いからだ。


「あ、もしもし。俺だ」


 アオイの電話越しの言葉に対して、電話の向こうの人物が怪訝そうに眉を顰めたのがよく分かった。


『あのね、この直通回線に連絡入れてくるのはあんたくらいだから、誰かってのは、流石に分かるけど、せめて名前くらい言いなさいよね……』


 頭に手を当て、溜息をつきながら電話でアオイに文句を言う女性。その女性に対してアオイは、返事を返す。


「俺は、無駄なことはしない主義なんだ」


 アオイの言葉に、「嘘ね」と思うものの、それを口にしない女性。言っても無駄なことは過去の経験からよく理解しているのだ。


「それよりも、お前の服を拝借させてもらったが構わないだろ?」


 アオイがそのことを言うと、電話の向こうの女性は、「は?」と思わず声を洩らした。この電話の向こうの人物こそ、この家の家主である。


『あんた、まさか……。いえ、女装癖と決め付けるのは早いわね』


 その言葉に、アオイは、思わず顔をしかめた。そして、怒鳴るように電話の相手に言い放つ。


「だから、何でどいつもこいつも俺を女装癖にしたがるんだよ」


 その言葉から、やはり女装ではないと分かった家主は、考え方を変える。そして、それで導き出した答えが、――。


『っ、あ、あんた、まさか……!い、いくらあたしのことを好きだからって、服で発散するのはどうかと思うわよ?』


 酷い勘違いだった。そんなことは微塵も考えていないのに、そんなことを言われたアオイは溜息をついた。


「あのな……。お前って奴は」


 そうアオイが言ったのと同時くらいだっただろうか、電話の向こうでガタリと言う音がしたのは。


『え、あ、いえ、違うわよ!ちょっ、お、お父様、いえ、公務の最中に電話をしていたのは事実ですけど!け、っけっして、逢引などでは……!』


 いろいろと酷いことになっているな、と思いながら、アオイは、電話の向こうの女性に用件を伝える。


「あ、そうだ。ララナ、この家、住人がもう一人増えるのと、蒼魔石(サファイア)が無くなったから追加補充頼むわ」


 その用件に、電話の向こうで父親と話していた彼女も、父親との会話がどうでも良くなるくらい驚いた。


『なっ……?!ひ、一人増えるって、どう言う……、あ、いえ、お、お父様、電話で会話など、って、は、いや、え、蒼魔石(サファイア)が無くなったって、一体何に使ったのよ!って、あ、すみません、お父様。いえ、あの、その』


 アオイの言葉に反応するたび、父親に「会話中に電話するとは何事だ!」と怒られ、「電話中に別の誰かと会話するのはマナー違反じゃないの?」とは返せない彼女は、謝ったり慌てたりと大忙しだ。


 しかし、そんな彼女の様子を知った上で、そんなことはどうでもいいと言わんばかりにアオイは電話を切った。


『ちょっ、これ、どうすれば……、あ、あんたからも言い訳を……』


 と言ったところで電話が切れ、彼女が内心で「アオイィイイ!」と叫んだのは言うまでもない。


「さて、連絡は入れた。許可は取ったようなもんだな」


 アオイがそう呟くとリヒトが、アオイの方を見て、少し不安そうな顔をしていた。本当の人間のように。


「あ、あの、今のでいいんでしょうか……。と言うより、だ、大丈夫なのでしょうか?電話も途中でしたし」


 リヒトの言葉に、アオイは、少し考えるようにしてから、あっけらかんとした態度で言った。


「いいんじゃね、あいつだし」


 その信頼感に、リヒトはもやもやしないでもなかったが、それよりも、「あいつだし」の意味が気になった。


「それは、いったいどう言う意味ですか?」


 リヒトの質問に対して、アオイは、曖昧に誤魔化すばかりで、その質問に対して答えを返さない。


「まあ、その、何だ。あいつの個人情報は明かせないんだよ。誰にも」


 そう言ってから、話を逸らすように、別の話を始めるアオイ。電気をつけて、自分の部屋に入りながらリヒトに聞いた。


「そう言えば、リヒトはどこから来たんだ?」


 急に振られた話題に、リヒトは少々戸惑うような表情を見せた。しかし、話題を変えるチャンスと見たアオイは、軽く追求する。


「そもそも、何で腕や脚があんなふうになっていたんだ?上に乗っていたのは、大して重くなかったはずだ。それなのにあそこまで粉々に、しかも内部だけ。誰かが意図的にそうしたように。まるで生け捕りにでもしようとしたみたいな」


 アオイの言葉に、リヒトは押し黙る。アオイの言っていたことは、的を射ていたようで、何も言えなくなってしまったのだ。


「あれは……」


 何か良い言い訳はないだろうか、とリヒトが考えようとするがそれよりも先にアオイが言葉を繋げた。


「それに、煤けていたのも気になる。まるで炎に炙られたかのような」


 更なる追求にリヒトはたじろいだ。躱すことのできない質問にリヒトは、どうしようもなく、少しずつ、言葉を口にする。


「私は、追われています……。おそらく、とても強い魔法使いに……」


 魔法使い。一般的な言い方をするならば「魔術師」や「魔導師」と呼ばれる存在だ。無論、アオイもその存在は知っている。


「魔法使い……?魔術師か?魔法王国(マリーア)の人間が、あんたを……」


 魔法王国(マリーア)は、孤独大陸(ゼノス)の一国である。魔法が盛んな魔法王国(マリーア)では、様々な魔術師が栄華を誇っているが、あまり交流のない機械帝国(ララリース)までは、さほど知れ渡っていない。つまり、情報はないも同じなのだ。だから、どのような魔術師が、リヒトを攻撃していたのかは、アオイには微塵も分からない。


魔法王国(マリーア)……?いえ、烈火(あちら)の人間だとは思うのですが……」


 あちらってどちらだよ、と思わなくもないアオイだったが、そこの追求は、しないでおくことにした。


「まあ、その辺はどうでも良いか」


 そう言って一息つく。そして、何気なく、時計に目をやると、もう、夜遅い……と言うより朝だった。


「もうこんな時間か」


 明日も……いや、今日も学校なのにな、などと呟くアオイ。それを見て、リヒトが何気なく聞いた。


「え?アオイさんって学生なんですか?ど、どう見ても20歳くらいですけど……。あ、す、すみません。ろ、浪人を2、3回しちゃったんですよね」


 失礼な勘違いだな、とアオイがリヒトを睨む。しかし、睨まれたことで、ますます浪人説が強くなってしまったようで、リヒトが申し訳なさそうな顔をした。仕方なしに、アオイは、国立機械技術師育成学園の概要に関して話す。


「俺の通う国立機械技術師育成学園は、一般教養を学んだ後に、入りたい奴だけが入る学校なんだ。最短で4年。単位が取れなければ何年でも。通って、学んで、機械技術師を目指すための学園なんだよ」


 アオイの説明に、リヒトは、納得したように「なるほど……」と呟いてから、「ようするに」と、まとめる。


「大学みたいなものですね」


 まさしくその通り、的を射た説明である。その説明に、アオイが「ああ、そんなところだ」と頷いた。


「朝の講義は何時からなんですか?大学だから、遅かったり、速かったり、時間まちまちですよね。こんな時間まで起きてても、あまり気にしていないから今日は遅いんですか?」


 そう問うリヒトに、アオイは、時計を見てから、「う~ん」と唸り、授業開始までの残りの時間を教える。


「3時間もないな」


 つまり、今から寝ても3時間も寝られないと言うことだ。中途半端に寝るのは、正直微妙なので、アオイは、寝るつもりは無い。


「ど、どうするんですか?」


 少し慌てたように問うリヒトに対して、アオイは、別段、考えた様子もなく、あっけらかんと言った。


「講義は寝る時間だ。だから、今寝なくても構わない」


 実際、アオイは、今まで、夜遅くまで拾った物を修理していたり、調べごとをしたり、と徹夜など日常茶飯事だった。だから、今まで、講義で起きていることの方が少なかった。


「講義は、寝るって、テストとかどうするんですか?あ、もしかして、テストの点数は高い方だとか……」


 リヒトの夢見がちな発言に、アオイは、溜息をついて、肩を竦めながら、答えを返した。


「0点」


「え?」


 アオイの発言の意味が、理解できず、一瞬停止するリヒト。そんな様子を見ていながら、アオイは発言を続けた。


「今まで受けてきたテストは全て0点だ」


 リヒトは、驚愕に人間のように、目を丸くした。流石に驚きなのだ。全て0点と言う、ある意味凄い点数に。


「当然のことながら、俺は、テストも全て寝て、白紙で提出している。名前すら書いていないからな。点数がつくはずも無い」


 飄々と言ってのけるアオイは、ある意味達観していると言えた。しかし、0点を取り続けているのなら単位を取れているはずがない、と言うことが気になってリヒトは質問をする。


「で、では、アオイさんは、まだ1年生、と言うことになるんですか?」


 リヒトの質問に、アオイは、質問の意図を少々考えてから、単位と進級のことか、と理解して答える。


「いや、もうじき4年生だな」


 もうじき、と言うのは、あと一ヶ月もすれば、進級だからだ。アオイは、少し非凡な方法で進級をしているのだ。


「あ、きちんと進級はなされているんですね」


 リヒトの意外そうな言葉に、アオイは、「俺は一体どう思われてるんだ」と思ったが、口にはしなかった。


「でも、アオイさん。授業中に寝ているんでしたら、お友達は……、あ、いえ、すみません」


 何故か申し訳なさそうに、「聞いてはいけないことを聞いてしまいました」と顔を伏せるリヒトに、アオイは、聞く前に自己完結しないでほしい、と切実に願うのだった。


「まあ、確かに友達は少ないがな」


 アオイの言葉に、リヒトは、目を見開いて、確認するようにアオイに聞くのだった。


「え?いるんですか?!」


 驚きのあまり、少し大きな声で問うリヒト。それに対して、アオイは、苛立ちを顔に出して、リヒトに聞いた。


「あんたは、俺をなんだと思っているんだ?」


 アオイの言葉に、「あははは」と微苦笑を浮かべるリヒト。そんなリヒトに対して、アオイは深い溜息をついたのだった。









 それから数時間、アオイは、リヒトに家の中を案内し、彼女に一室を貸し与えて、家事手伝いを任せたところで、学園に行くのに丁度良い頃合になった。昨日から着たままの制服を整えて、アオイは、鞄を持って、外へ向かう。電動リアカーを学園についでに返そうかと思ったが、朝の人通りの多い時間帯に、電動リアカーは迷惑なのでやめておくことにした。


――ピンポーン


 そんな時、昔懐かしいチャイム音が鳴った。チャイムと言うか、インターフォンは、玄関の前の呼び鈴を押すことで、音が鳴って来客を知らせる物だ。現在は、チャイムを鳴らすと、家の住人、登録順番の優先度が高い方へ、AR投影で玄関のカメラからの映像を映す事ができる。そして、アオイのもとに現れた映像に映っていたのは、アオイの数少ない友人の一人だった。


「迎えに来たのか?」


 そう思いながら、向かっていた玄関からそのまま外へ出ようとする。そこに、リヒトがやってくる。


「お客様ですか?」


 リヒトの問いに、アオイは、頷いた。そして、玄関のドアを開ける。すると、いつの間に門の内側に侵入していたのか、アオイの友人がすぐそこに居た。


「ん?レア。お前、何やってるんだ?」


 アオイの問いに対して、レアと呼ばれたアオイの友人は、申し訳なさそうに頭を掻いた。そして、アオイに弁解をする。


「いや、いつも、迎えに来ると、すぐ出てくるのに、今日は少し遅かったから気になってね。まあ、無事で安心したよ」


 そう言って笑うレアに対して、アオイは「相変わらず心配性だな」と苦笑した。そして、アオイの後ろから様子を窺っているリヒトに気がついたレアは、アオイに問う。


「もしかして、彼女がこの家の?」


 アオイと仲の良いレアは、彼がこの家を借りて住んでいることを知っていた。だから、「この家の主かい?」と言う意味を込めて聞いたのだ。それを汲み取ったアオイは、首を横に振った。


「いや、リヒトは昨日拾った。ここの家主は、もっと傍若無人な奴だよ」


 そう言って肩を竦めるアオイ。それに対して、レアは、少々苦笑気味に、アオイに思ったことを言った。


「いや~、それにしても男同士の友情だ、と言って、何でも打ち明けてきたけれど、知らないことはまだまだあるものだね」


 レアの言葉に、アオイが、笑った。そして、レアも笑う。何か通じるものがあったのだろう。リヒトだけは、目を丸くしていたが。


「そりゃそうだろう。所詮他人だ。誰かが、その人間の全てを知ることなんて、不可能なんだよ」


 そう言ってレアの頭を撫でるリヒト。アオイとレアの身長差は、ミュウとアオイくらいある。つまりは、レアの身長も150センチの後半くらいであるのだ。


「もう、頭を撫でるのは勘弁してくれよ……。男が男の頭を撫でるのは少しおかしいと思わないのかい?その逆も然り。男に頭を撫でられて嬉しい男もいないんだ」


 しかし、アオイは、さらさらとしたレアの髪を撫でるのをやめていない。艶のある紫色の髪をアオイは、軽く撫でる。


「別に構わないだろ?」


 アオイの言葉に、むっとするレア。そしてレアがアオイに対して文句を言おうとする。しかし、そんな二人を見て、レアが声を出すより先にリヒトが大きな声を上げた。


「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 リヒトのそんな声に、アオイは、レアの頭から思わず手を離し、訝しげにリヒトを見た。レアも同様に、リヒトを見る。


「え?ちょっ、ちょっと待ってください?えっと」


 考えがまとまらずリヒトがしどろもどろになる。そんな様子に、「一体なんなんだ?」とアオイが思う。レアは、何かを思いついたように手を打った。


「ああ、自己紹介がまだだったね」


 ニッコリと笑うレア。その笑顔に、「え?あ、は、はあ」とリヒトが頷いた。そして、レアが自己紹介を始める。


「僕は、レア・ユン・ノヴァ。アオイとは同級生だ。友達をさせてもらっているよ」


 それに対して、アオイが「友達をさせてもらっている、ってどうなんだ、その表現」と思った。


「あ、わ、私は、ノン・ク……じゃない。リヒト。リヒト・シィ・レファリスです」


 リヒトは、誤って「ノン・クリア・アインツ」と名乗りそうになってから、「リヒト」と言い直し、苗字等が決まっていないので、「アオイ」のを借りて名乗ったのだ。


「って、そうじゃなくて、え?れ、レアさんって男の方なんですか?」


 そして、リヒトは、問おうと思っていたことをようやく言えた。そう、レアが「男」なのか、と言う質問だ。


 リヒトがそう問うのも無理はない。レアは、男性と言うよりも女子と言う表現が正しい小柄な体躯。菫のような薄紫色の髪は、腰元へ届くのではないか、と言うくらいに長い。そして、その髪は、傍から見ても分かるくらいにさらさらと風に揺れていた。枝毛一本ない綺麗な髪。さらに、透けるように白い肌。パッチリと大きく開かれた目。瞳は蒼色をしていて、宝石のように光っていた。そして、その瞳を際立たせるように天へと長く伸びる睫毛。林檎のように赤い唇と頬。唇は、リップでも塗ってあるのではないかと言うくらいに潤っている。そして、極めつけは、女子の制服を着た、その姿だった。


 誰がどう見ても少女にしか見えない。なのに、アオイやレアは、男と言う事が当たり前と言う風に話していたのだ。リヒトが目を丸くしていたのも無理はない。


「ん?……ああ、そう言うことか。そう言えば、初見で僕を男だと理解したのは、アオイだけだったからね、無理もない」


 レアはそう言って、アオイの方を見た。一方アオイは、偶然見抜いただけだったんだがな、と肩を竦めた。しかし、リヒトは信じられなかった。レアが男であると言うのは、それほどまでに信じがたいのだ。

 だから、少々力を使うことにした。それは、彼女に元々備わっている機能の一つ。


「――【天球の瞳(ユナオン)】起動。生体データの確認……。…………男性だと確認しました」


 少し沈んだ声で、小さく呟いたリヒト。そう、彼女の目をで、レアが男であることを確認したのだった。と言うことならば、間違いなくレアは男であるのだ。


「な、何故、女性の格好をなさっているのですか?」


 リヒトの質問に、レアは、少々、微苦笑を浮かべて、言うか言うまいか、少し迷いつつも、答えることにした。無論、この件について、アオイは既に知っていることだ。


「ほら、僕ってばこんな声しているでしょ?」


 そう言うレアの声は、まるで少女のように高い声だった。一般的に男性は、第二次性徴と同時に発声器官が成長して、声の高さが変化する。しかし、稀に声が全く変化しないような場合もある。その多くが、身長などもあまり伸びない、成長が大きく起こらない場合であると言われている。


 それ故に、レアは、声も高く、身長も低いのだ。もしくは、身長が低いから声が高いのだ。どちらとも言えず、どちらとも言えない。


「そして、身長も低かったし、筋肉も全然ないから、腕も脚も細いんだ。指も長くてね。昔から女の子みたいだね、何て言われて、僕は、それはもう反発して男っぽくなろうと必死に頑張ったよ。身長を延ばそうとぶら下がり機を買ったり、筋肉をつけようと筋トレしたり。でも、結果は惨敗。全然男っぽくならなかったんだ。そんな時、僕は思った。

 『別に女っぽい見た目でも、僕自身が男であろうとするならば、それで良いんじゃないか』ってね。それ以来、男っぽくする必要の無くなった僕は、どうせなら似合う服を着るのが一番何じゃないかな、って、この様に女の子の服を着るようになったんだよ」


 そう言って笑うレア。人のコンプレックスに対する意識と言うのは、過剰だと言っても過言ではない。人が抱くコンプレックスと言うのは、他の誰にも分からない、その人だけのものである。だから、こそ、そのコンプレックスを解消しようと躍起になるのだ。そして、結局のところ、どこまで突き詰めていっても、それが治ることはない。だから、レアのように、どこかで妥協点を見つけて、自分のコンプレックスと折り合いを付けていくしかないのである。


 そして、妥協ができる人間とできない人間は大きく違う。「妥協は逃げだ」、なんて思うかもしれない、だけれど、「妥協は一つの行動である」のだ。


 それは、いつしかアオイがレアに対して言ったことである。そして、アオイの言葉は、こう続く。


 妥協をせずに、「コンプレックスと戦っている」と主張する意地っ張りよりも、「妥協をして折り合いをつけた」奴の方がよっぽど大人だ、と。なぜならば、いつか、コンプレックスと折り合いをつけなくては、それは一生ついて回るのだ。自分の中で、それが存在し続ける。だとしたら、それよりも、きっぱりと「妥協」した方がよっぽど楽で、いつか、皆、それに気づく。だから、それに気づいた時に「妥協」すればいいのだ。「しないで戦う」などと言っているのは、我侭な子供で、そして、自分を貶めているだけなのだ。


 そう言って、哲学者を気取ったようにアオイは、レアに対して語った。レアは、その言葉に涙を零したのだった。散々、「逃げるのか?」、「腰抜けめ」、「戦わないなんて男じゃない」などと言われ続けたのに、それを肯定されたから。


 だから、レアは思う。では、目の前に居る、このリヒトと言う女性は、どのような反応をするのだろうか、と。今までの人間と同じく「逃げた」と言われるのか、それとも、アオイと同じく「肯定」してくれるのか。レアは、リヒトの反応を窺った。それに対して、リヒトは、微笑んだ。それは、嘲笑ではなく、肯定の笑い。


「すごい、ですね。そんな風に、折り合いを付けられるなんて……。私は、今まで、コンプレックスを、簡単に吹っ切った人を見た事がないですよ」


 そう、そして、リヒトはレアのことを「すごい」と言った。それは、アオイと同じく、レアを肯定する存在だったのだ。


「な、言っただろ?」


 少し驚いているレアに対して、アオイが、にやりと笑って、そう言った。そして、言葉を続ける。


「妥協は『逃げ』じゃなくて『行動の一つ』だって。それを理解できる奴も世の中にはちゃんといるって、な」


 アオイの言葉に、涙が出そうになるレア。ここに来て、レアはようやく悟ったのだ。目の前の「リヒト」と言う女性の名前の意味に。


(本当に太陽の光の様に暖かい微笑みをする人だ……)


 そう思いながら、レアは、涙を堪えて、笑顔を見せるのだった。優しい、柔らかな笑顔を――。









 アオイとレアは、通学路を走っていた。リヒトの紹介や、レアの話をしているうちに、みるみる時間が経っていたらしく、始業までギリギリと言う時間になってしまったのだった。レアは走りながらアオイに怒鳴る。


「もう、アオイの所為でギリギリじゃないか!」


 しかし、レアの怒りに対して、アオイは、飄々とした態度で、軽く急ぎながら、レアに言い返した。


「お前だってリヒトと話し込んでただろ?」


 その言葉に、返す言葉もないレアは、押し黙る。急いで学園に向かっているので、間に合わないことは無いくらいのペースだ。


「このまま遅刻したら、責任とってくれよ」


 レアは、そんな風に言いながら、走っていく。その際に、アオイは、さほど走っていたわけでもなかったので、レアの方が前に出てしまう。何気なくアオイが視線を向けると、レアのスカートが足を踏め出すたびに揺れて軽く捲れていた。


「……」


 アオイは、思わずチラリと見える白い太ももを凝視してしまった。カモシカのように綺麗な脚と言うのが、褒め言葉に入るかどうかは、よく分からないが、綺麗な脚だった。ちなみに、カモシカのような、と言う場合のカモシカは、レイヨウのことであり、カモシカ単体を指していたわけではない上に、現在では、カモシカはレイヨウに分類されていない。


「ん?どうかしたのかい?」


 レアは、アオイの視線に気づかずに、アオイにどうかしたのか、と問うが、アオイは、視線を固定したまま、レアに答える。


「なんでもない」


 その言葉に、少し不思議に思いながらもレアは、前を向いて同じペースで走り出す。そして、ようやく校門前までたどり着いた頃には、周りにそれなりに学生が歩いていた。


「ふぅ、ここまで来れば余裕だね」


 レアの言葉に、アオイが「ああ」、と頷いた。レアは、走るのをやめて、アオイの横を歩き出した。アオイは、少しがっかりしている節があるが、それで良いのか、アオイ。


「あっ、先輩だ!おはようございます」


 そして、アオイを見つけるなり駆け寄ってくる小柄な少女。レアと同じくらいの身長の彼女は、歳としては、立派な女性だろうが、見た目は少女だ。


「ミュウ」


 アオイは、短くその名前を呼んだ。ミュウは、「はい」と人懐っこい笑みで、アオイに返事をする。そして、横にいる、レアに気づき、アオイに見えないように、レアに嫌そうな顔をする。レアとミュウは仲が悪いのだ。正確には、ミュウが一方的にレアを嫌っている。


「やあ、ヴァスティオンさん」


 レアは、ニッコリと笑って、ミュウに挨拶をする。それに対してミュウは、嫌そうな顔でレアに挨拶する。


「どうもノヴァ先輩」


 犬猿の仲と言うか、似た者同士と言うか。二人は、見合っている。警戒していると言うか、邪魔者視していると言うか。


「ミュウもレアも相変わらず仲がいいな」


 欠伸をしながらそんなことを言う辺り、アオイの目はどうかしているのではないだろうか。レアもミュウもそう思った。


「アオイ……。君は時折、とても凄い人物だと思うよ……、ある意味でね」


 レアがそう呟きながら溜息をついた。ミュウも同感だったようで、同じように溜息をついた。その様子をみて、アオイが一言。


「やっぱり仲が良いじゃないか」










 教室に入ると、講義が始まる寸前だった。レアとアオイは、空いている前の方の席に仕方なく座った。講義の時間になると、前の方に座る人間と、後ろの方に据わる人間がいる。大学に関しては、前に座る方が学業的には楽だ、と言われることが多い。黒板がよく見える上に、講師の声がよく聞こえ、講師に顔を覚えてもらいやすいからだ。そう言う理由もあり、アオイは、普段は一番後ろの席に陣取っている。


 しかし、今日は、後ろの席が全部埋まっていたので、仕方なくレアと一緒に前の席に座ったのだ。


「ほぉ~、今日は珍しく前の席に座っているのね。アオ」


 教卓の脇に座っていた女性が微笑みながら、そう言った。その女性は、国立機械技術師育成学園一般教育講師の一人で、国史の講師、エリミネ・セルト・イルシリアだ。


 イルシリアは、少々特殊な家柄に生まれた。それ故に、一般で名乗っている名前は、エリミネ・セルトである。まるで血で染まったように(あか)い髪。全ての始まりである炎の様に(あか)の瞳。抜群のプロポーション。その胸の大きさで言えば、リヒトに匹敵するほどだろう。突き出た尻。それこそ適度に肉のついた体、と言う表現が正しい。

 美人ではあるが、それよりも妖しい雰囲気が漂っていて、艶かしいので、近づき難い。また、機械帝国(ララリース)では、紅の髪と言うのは珍しく、滅多にいないと言われている。


「ああ、レアの所為で遅れたからな。席が無かった」


 アオイがイルシリアにそう言った。その言葉に、隣に座っていたレアが憤慨して、アオイに文句を言う。


「何言ってるんだよ!主にアオイの所為だったじゃないか!」


 レアの文句に、アオイが今朝の通学中と同じように「お前もリヒトと話し込んでいたじゃないか」と言おうとしたが、イルシリアに遮られてしまう。


「あら、夫婦の営みでもしてたのかしら?」


 その言葉に、アオイとレアどころか、教室にいた全員にどよめきが走る。何度も言うようだが、レアは男である。なので「婦」と言うのは間違っている……ツッコむところはそこなのだろうか。


「してないです!」


 年上相手なので敬語で否定するレア。それに対して、イルシリアは、「え~」と残念そうな声を出した。


「迎えに言ったらいきなり襲われてあ~んなことやこ~んなことをしたんじゃないの?」


 イルシリアの言葉に、「またか」とアオイは、肩を竦めた。アオイは、この講師に目を付けられているのか、時折、からかいのネタにされる。


「レアは、男だ、と言うのは何度目だろうか……。いや、もはや、言わないで女として通した方が良いんじゃなかろうか」


 アオイは、そんなことを呟きだした。それを聞いたレアがゾッとする。女扱いは慣れているが、アオイにまでそんなことを言われたら流石に堪らない。


「もう……。じゅ、授業の時間ですよ。せ、先生、授業をしましょう!」


 レアは、話を変えるためにそう言って、イルシリアに授業の開始を促した。それにより、イルシリアは、溜息をついて、泣く泣くと言った感じで授業を始める。


「じゃ、授業始めるわよ~、って、早速寝ようとしないの、アオ!」


 イルシリアが授業を始めた瞬間に、机に伏せて眠ろうとするアオイに対して、怒鳴った。アオイは、欠伸をしながら言う。


「授業を受ける必要性が無い」


 その言葉にイルシリアが、眉根を寄せて、アオイに言葉をかける。


「それでテストの成績がよければいいのよ。でもテストも受けないでしょ?」


 イルシリアの尤もな言葉に、対してもアオイは、飄々としていた。そして、アオイは、言葉を返す。


「きちんと進級している。問題はない」


 そう、アオイは、きちんと進級しているのだ。授業を受けていない上に、テストも0点なのに。


「むぅ~確かに。けれど、アオ。貴方が、ララ……」


 イルシリアが何かを言いかけたとき、学園中に「ビィイイー!」とアラートが鳴り響いた。


「なっ、何事?!」


 イルシリアが、確認しようと、学園全土に巡らされているネットワークを確認した瞬間、凄い勢いで画面の内容が勢いよく書き換わっていく。所謂、ハッキングと言うやつだ。


「これは、……どこのハッカーだよ!」


 アオイの小さな叫び。この学園のネットワーク内の巡回システム上、異常を感知したらアラートが鳴るが、対処はしない。そして、アオイが見る限り、書き換えの速度から、一流のハッカーでもなければ不可能な速度だ。しかし、一流のハッカーが、学園のネットワークを書き換えて何をしようと言うのか、そして、そんな凄腕ハッカーがいるなら、既に国のお抱えになっているはずだ、とアオイは推測する。そんな中、イルシリアだけは、どうやってハッキングしているかの目星がついた。


(魔法によるハッキング……。それも相当凄腕の……。こんな真似ができるなんて……一体)


 呆然とするイルシリアに対し、アオイは、突然、思いついたように各席においてある共通ノートパソコンを開いた。無論、全て学内のネットワークに接続されているため、そのパソコンもハッキングを受けている。


(何をする気?)


 アオイの行動にイルシリアが眉を顰めるが、アオイは、そんな様子を気にせず、目にも留まらぬ速度でホログラムキーボードを叩く。


「侵蝕率を確認。もう半分を過ぎているな。ここから巻き返すのは、一台じゃ難しいか……っ」


 アオイの言葉に、イルシリアは戦慄を受けた。イルシリアは理解した。この状況でアオイがしようとしていることについて。皆が驚きと不安で前のモニターを注視したり、友達と何事だと騒いだりする中、彼だけは、行動に出たのだ。


(まさか、アオ……。このネットワークの回線に割り込んで、制御を奪い返す気?無理よ!相手は、魔法。人間業じゃ、絶対に……)


 イルシリアがそんなことを思っている間に、アオイは、隣の席のレアに、小声で呼びかけた。


「悪い、レア」


 その声に、前のモニターを食い入るように見ていたレアが、ハッと我に帰って、アオイの方を向く。


「た、大変なことになってるみたいだね……。どうしたんだい、アオイ」


 少し震えるような声でレアは、アオイに聞いた。この状況で、呼びかけるからには、何か話があるのだろう、とレアは思った。アオイは、この様な状況で、意味もなく話しかけないのは、経験で分かっていたからだ。


「ああ、そのパソコンを貸してもらいたい」


 アオイの言葉に、レアは、顔を訝しげに歪めた。可愛らしい顔が、疑念に満ちた顔に変わった。


「何でだい?君には、君のパソコンがあるだろう?」


 レアは、アオイに聞いた。すると、アオイは、あっけらかんとした態度で言った。


「ハッキングし返す。相手がクラッカーだった場合、掌握されてクラックされる前に追い出さないときつい。一台のパソコンで両立はメモリや容量、演算速度の関係上厳しい。俺のパソコンでハックし、もう一つで防衛プログラムを構築したいんだ」


 その言葉に、レアは、目を丸くして、耳を疑った。いくら、アオイでもそんなことができるはずが無い。そう思ったからだ。授業を真面目に受けて、コンピュータ方面……情報特化の生徒ならまだしも、たかだか一凡人が、それも授業もまともに受けていない彼が、そんなことをできるとは、レアにはどうしても思えなかったからだ。


「できるのかい?」


 そんなレアの問いに対して、アオイは、不敵に笑って、一言だけ。


「上等じゃねぇか」


 その目は、アオイが機械廃材置き場に居る時の、機械を相手にしている時の、危機とした目だった。

 そして、レアのパソコンを半ば奪いとって、再び侵蝕率を確認する。もう、八割がた掌握された事がわかった。どんな凄腕ハッカーだろうと、ここから巻き返すのは無理だ、と誰もが思う。そんな頃合で、アオイは、ハッキングす(うばいと)る。ネットワークの中枢を。相手のハッカーよりも先に。


「これは……。あいつかっ」


 その呟きの真意を知るのは、アオイだけだ。そして、アオイは、勢いよくキーボードの上で手を躍らせる。ホログラムキーボードなので音は鳴らない。だから誰も気づかない。


(これはっ……。制御を取り返している?)


 イルシリアは度肝を抜かれた。ありえない、と思ったからだ。たかだか、二台のパソコンで、ネットワークの中核に数秒で侵入し、防衛しながら制御を奪い返しているのだ。


「り……りす?」


 誰かが呟いた。それは、書き換えられていく画面が元に戻っていくの同時に、モニターに表示されたものだった。これがアオイなのか、と一瞬、レアとイルシリアがアオイに目を向けるが、アオイは、関係なさそうにパソコンを叩いていた。


「リリスってあれじゃねぇか?国家施設を次々にハッキングしては、『リリス』ってだけメッセージを残して消える凄腕ハッカー」


 クラスの誰かの言葉に、全員がざわついた。誰もが聞いたことのある噂だったからだ。そして、別の誰かが、更なる噂を呟く。


「でもリリスって、確か、皇帝のお抱えの技術師にハック返しされて引退したって聞いたぞ」


 そんな会話が繰り広げられている中、アオイは、ひたすらにキーボード上で指を動かしていた。


(まさか、アオが、『リリス』なの?)


 そんなことを考えるイルシリアだが、その考えは、次に呟いたアオイの言葉を聞いて違うと理解する。


「さすがは、『リリス』。相変わらず良い腕してやがる。想定よりも5分速く終わった」


 そんな風に呟いたアオイは、なぜかリリスを知っているようであり、即ち、リリスではないことを意味していた。


「アオ。貴方、一体……。いえ、要らぬ質問だったわね……」


 そう言って、イルシリアは、意味深に呟いた。そう、イルシリアは知っているのだ。アオイの秘密を一つ。


(そう、ララナ・ララリースの眷属、アオイ・シィ・レファリス。貴方には、……)


 イルシリアは、そんなことを考えながら、この事件の顛末を心の奥へとしまいこむのだった。いろいろな思惑を秘めながら。

 そして、アオイもまた、少し考える。


(あのハッキングコードの中にあった探しているであろうデータ。『NC』。それって、まさか……)


 いろいろな謎を残しながら、この事件は、幕を閉じる。三時間分の講義が、警察の介入で潰れたが、その間、アオイは、寝続けたと言う。

次話:06/21 (土) 00:00 更新予定(予約済み)

>次々話:06/28 (土) 00:00 更新予定(予約済み)


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