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未完成人形の永久機関  作者: 桃姫
第2章 帝国内部編
11/15

11話:激情の青色

 現れた二人。ギルとメーヤと対峙しながら、リヒトはアオイを庇うように立っていた。あの大きな音だ。暫くすれば人が来るだろう、と思い、ドアの方を見るが、誰かがやってくる気配はない。【天球の瞳(ユナオン)】で見ても誰もいない。


「さぁて、時間は5分ってところかしらぁ?」


 メーヤがそんなことを言った。その5分が何を意味しているのか、それは、ギルがあっけなく明かしてくれた。


「そうだな。ヴァルヴァディア公爵が来るまで5分か」


 現在、学園で教鞭をとっているヴァル子ことルシルフ・レイラ・キリュー・メリアル・フォン・ヴァルヴァディア=ディスタディア。「赫紅(かくべに)忍者(アサシン)」と謳われる三番人(ケルベロス)の一人。


「だから、とっとと片をつけよう」


 そう言って、ギルは、無数の星型の鉄の塊を投げた。それは所謂、手裏剣である。リヒトは、【愛の束縛(プロスティチュート)】を呼ぶ。


「――【神に背く者(ミナリア)】、起動。……【愛の束縛(プロスティチュート)】!」


 そして、迫り来る手裏剣を【愛の束縛(プロスティチュート)】で弾き飛ばした。そのまま、【愛の束縛(プロスティチュート)】でギルを攻撃するが、するりと避けられる。


手裏剣(しゅりけん)……、ニンジャですか?」


 リヒトが聞いた。ニンジャ、(しの)ぶ者。密偵、索敵、暗殺を得意とする者たちのことだ。


「手裏剣を知っているのか?」


 ギルが眉を顰めて聞いた。暗隠王国(アサルス)にしかない手裏剣や苦無(くない)は、普通、他国の人間は知らないのだ。


「え?ニンジャの使う武器じゃないんですか?手裏剣や苦無、忍刀とか」


 リヒトには一般的な知識として備わっている。無論、燈火が見ても、「今時忍者とか、時代じゃないわよ」とか言うに決まっている。


「ぐっ」


 事前に武器を知られていると言うのは、不利を意味する。特に、忍者にとって暗器を知られていることはかなり不利だ。思わず後ろに下がり距離をとるギル。その腕には、指輪のようなものがしてあり、それを見て、リヒトが声を上げる。


角手(かくて)ですね!本物は初めて見ました」


 所謂、メリケンサックに近い形で使用する。ただし、メリケンサックは、殴打する力を強めるためのものであり、角手は、付いている突起物で攻撃を与えるものである。


暗隠王国(アサルス)に精通するとは……」


 そのギルの驚きに対して、リヒトは、「いえ」と冷や汗をかきながら鞭を構えた。そして、ギルに言う。


「この暗器は、私が知る別の地域(にほん)でもあったものですから」


 リヒトが言った場所は、燈火の故郷でもある地域である。その言葉に驚愕を受けたのは、ギルだけだった。メーヤは、無論、驚いていない。


「ん~、まあ、忍者は、そこそこ知れてると思うわよ~?伊賀(いが)とか甲賀(こうが)とか」


 メーヤの発言に、ギルとララナは、何それ、と思い顔を歪めていた。アオイは、頭を抑えて蹲っていた。


「イガ?コウガ?なにそれ?」


 ララナの言葉に、メーヤが、てへっと舌を出して、片目を瞑り、デコに手を当てる。やっちゃった、と言うポーズだ。


「失言失言。今の無しね。それにしても、いくつか、【彼の物(かみ)】関連とは戦ったけれど、人形は初めてね~。化け物とか、【彼の物を破壊せし者(ラシオン)】以来かしらぁ?」


 そう言って、メーヤも構えを取る。黄金の瞳が妖しく輝きを放つ。二ィと八重歯のように鋭い歯が目立つ。


「まだ夜じゃないから、本気ではいけないけど、5分で片をつけられるかしらぁ?」


 ブワッ、とメーヤの周りを黄金の波動が包もうとした。その瞬間、何かが喚起されたように、別の方向でも波動が生まれる。


「かあ、さん……」


 ドクンとアオイの心音が響く。響くはずがないのに、周囲に聞こえるほど大きく鳴った、様に聞こえた。


「うわぁあああああああああああああ!」


 アオイの周囲が歪む。まるで、全てが砕けるように。空間が捩れる。そして、アオイの中に、力場が生まれる。【蒼き力場】が。


「っ……【蒼刻(そうこく)】?!三神の一柱(あおば)の力?」


 メーヤが思わず言った。アオイは止まらない。アオイの内部に形成された【蒼き力場】は、リヒトの黒い力場を遥かに凌駕するほどの発生量だった。


「あぁあああああああああああ!」


 アオイの悲痛な叫びだけが城内に木魂する。そして、アオイの【蒼き力場】がアオイの髪を、瞳を……全てを「蒼色」へと染め上げる。大空のように透けた遥かなる「蒼」に。大海の鮮やかな深い「蒼」に。果てしない、「蒼」に。


 そう、アオイの母であるアオヨと同じ、蒼髪蒼眼の姿へと変わったのだ。魂の叫び、慟哭の蒼……、激情の蒼色へと。


「無事?!」


 そのタイミングでヴァル子が室内に乱入してくる。そして、アオイの【蒼き力場】に眼を丸くした。驚異的な波動を感じて、ヴァル子はよろめいた。


「なっ。これって、アオヨと同じ……」


 アオイの周囲を取り巻く蒼色の波動。その力の奔流。それは、魂の叫びである。「蒼き刃の一族」と謳われた、アオイの祖先から繋がる大いなる力。


 体内中に【蒼き力場】を形成し、通常の自分の力場を、累乗し、蓄積、放出する力である。それにより、体中を【蒼き力場】を通った力場が駆け巡り、髪の色、瞳の色を蒼色に染め上げる。そして、蓄積、放出された力場は、通常の数千倍を越える。それは即ち、数段階解放する「上位変身(クラスアップ)」を越えている。超越せし者。それこそ、神にのみ許された領域だ。


「ほぇ~、これがマジもんの【蒼刻】なのねぇ~。ガチは初めてよ」


 メーヤがその様子を観察していた。そして、メーヤは、密かに心の中で思ったことをまとめる。


(なるほどぉ、三神(さんしん)とは言いえて妙ね~。前に三神の一柱(あまつき)と戦った時は、唄姫(うたひめ)の力に、これに並ぶものなんていないよぉ~とか言ってたけど、そ~ゆ~こと。まっ、だとしたら、他のは、【蒼刻】も『上位変身』もしないでこれに匹敵するとかゆ~化けモンだけどねぇ~)


 この三神とは、【彼の物】とは、完全に別物である。同じ神へ至った者でも、その過程が異なる。それ故に、敢えて言わせて貰うならば、三神は、「神ではない」のだ。本当の神である【彼の物】と、独力で神へと至った「三神」では、性質が違う上に、「三神」は神とは言いがたいのである。本来、神が持つはずのない性質も受け継いでいることからよく分かる。


「まあ、この暴走は、すぐ収まるわよぉ~。【蒼刻】は魂の力だから~、蒼色は残っちゃうでしょ~けど、すぐに気を失って、この奔流は消えるわよぉ」


 メーヤは知っていたのだ。そして、リヒトは、この世界(こちら)の出身であるメーヤが何故、そんなことを知っているのかを疑問に思った。


「貴方、何者なんです?」


 その言葉に、メーヤは、不敵に微笑んだ。クスリと、そして、結ったポニーテイルを解きながら、リヒトに言う。


「ナナ・ヤツギ・メーヤ。明るき夜にして、既に明けたはずの【七夜(ななや)】を継ぐ者よ」


 解けた髪をかき上げながらメーヤはそう言った。間違いなく、そう言ったのだった。それを聞いた、リヒトの反応は、機械とは思えないくらいに焦ったものだった。


「七、夜……。でも、それはっ……。七人の七天によって解放されたはず……」


 そう、七人の七天。【七夜】と対になる【七天】だ。そして、七つの夜は明けた。それは間違いようのない事実だった。燈火に聞いても、それに関しては頷くだろう。


「これは、任務失敗でしょ?」


 メーヤは、ギルに言った。ギルは、渋々頷いた。まさか、こんな形で邪魔が入るとは思っていなかったのだろう。


「引かせてもらう」


 ばっ、と煙幕を張って、ギルは、メーヤと共に、窓から逃げる。敗れた窓とヴァル子が開けて入ってきた扉から、煙はすぐに薄まって消えたが、辺りには、既に二人の姿はなかった。


「アオイさん!アオイさん!大丈夫ですか?!」


 リヒトがアオイに呼びかける。既に、彼の周囲に渦巻いていた力の奔流は、既に消え去り、彼の母と面影の重なる、蒼色の髪をした常態で地面に伏せていた。その懐かしい姿に、ヴァル子は、どこか暖かい気持ちになった。


「あら、これは……?何かあったのですか?」


 偶然通りかかったネーナが、ふと、床に倒れるアオイに眼を遣った。その瞬間、ネーナが固まった。その瞳が動揺に揺れる。


「アオヨ、ちゃん……?」

















 その後、リヒトとララナが、ヴァル子とネーナに、何が起きたのか、一連の流れを説明する。すると、ヴァル子とネーナは、なんとなく、アオイの覚醒の理由が分かってしまった。


「もしかして、……いや、でも……。無くは無いのかしら?」


 ヴァル子の言葉に、ネーナは、こくりと頷いた。なんとなく、予感はあったのだ。そして、一人、帰ってくる。それが、アオイの覚醒の引き鉄になったのだろう。


「一緒に暮らしていたのだとしたら、関係が深くてもおかしくわないものね……」


 ネーナもそう言った。まるで、二人には全て分かっているようで、ララナは、あまり良い気分ではなかった。


「何なのよ、その関係が深いって……」


 ララナの何気ない呟きに、ネーナがニッコリ微笑んだ。そして、リヒトも見る。ララナとリヒトを見ながら言う。


「う~ん、最も危険な、貴方達のライバル、かしら?」


 妖しく笑う母親に、ララナは、そこはかとない不安を抱いたと言う。



















 アオイは、ぼんやりと考えていた。明晰夢(めいせきむ)なのだろう。意識がはっきりしていて、夢を見ているのだと分かったまま、夢を見ている。そして、夢の中の光景に目を向けた。


 そこには、蒼い髪をした子どもと、茶髪の中学生くらいの少女がいた。二人は、とても楽しそうに笑っている……のだろう。少なくとも子どもは笑っていた。しかし、アオイは、どうしても茶髪の少女の顔が、靄が掛かっているように見えないのだ。


 アオイは、分かっていた。蒼い髪の少年がアオイ自身であることを、理解していたのだ。そして、かつてのアオイは、その少女といろいろと遊んでいたようだ。


 機械を弄りながら、少女にものを食べさせてもらっていたり、一緒に風呂に入っていたり、とどうやら、本当に仲睦まじかったのだろう。


 時折、少女が黒板に字を書いて、それをパソコン(ノート)打ち込み(かきうつし)ながら、何かを教わっている様子も映る。おそらく勉強をしていたのだろう。まあ、九割寝ているのだが。どうやら、一教科を除いて全て寝ているらしい。唯一の受けている授業の無い様に関しては、アオイには、靄が掛かって見えて、分からない。


「ふふっ、アオイは、この授業だけは、まともに受けてくれるわよね、ほんとに」


 少女は、そう言って、歳不相応な微笑みで、アオイの頭を撫でた……気がした。やはりアオイには見えない。


「うん、だって、楽しいもん」


 そんな風に笑顔で答える。満面の笑みだった。今のアオイからは想像できないくらい、明るく柔らかな笑み。


「あら、他の授業も面白いのに……」


 そう言いながらも少女は、アオイの頭を優しく撫でた。その少女は、優しかった。アオイと長い時間を過ごしていた。それこそ、生まれた時から、7歳くらいまでだ。


「うふふっ。はぁ、でも、ほんとにアオヨちゃんは……。いつもいつも」


 少女は、この場にいないアオヨに対して、文句を言いたげだった。それでも、少女は、アオイの面倒を見ていた。アオヨに押し付けられただけなのに、アオイに対しては、全く文句を言わずに、愛でる。まるで弟や息子を見るように。


「そうだ、アオイ。私は、もうじき、ここから出て行くことになるのよ」


 少女のその言葉に、幼いアオイは、言葉を失った。その瞳に、涙を浮かばせ、今にも泣きそうになっていた。


「ああ、ほら、泣かないで……。大丈夫よ……。絶対にいつか、戻ってくるから」


 そうやって微笑みながら、アオイの頬に少女が手を当てた。柔らかくて温かい、いつもの手だった。


「……ほんと?」


 幼いアオイが、泣きそうな声で、少女に聞いた。少女は、ニッコリと微笑んだ。そして、アオイに優しい声で言う。


「うん。約束するわ」


 それから、しばしば、間を空けて、考えるような仕草を見せてから、少女は、アオイに言った。


「じゃあ、もし、私が帰ってくるまで、きちんと待って、待ってる間に勉強をして、機械も造ったり直したりできるようになってたら、あのときのお願い、聞いてあげてもいいよ」


 その言葉に、幼いアオイは、パァと笑顔になった。今のアオイには、何のことだか、さっぱり分からないが、何かお願いをしていて、一回は拒否されていたらしい。


「え?!ほんと!やった!」


 相当嬉しいことなのだろう。幼いアオイは、小躍りするように喜んだ。それでも少女がいなくなってしまうことは事実だ。喜べたのは最初だけで、悲しい気持ちが徐々に戻りだす。


「ねぇ、どのくらいで、戻ってくるの?」


 そんなことを聞く。少女は、困ったような顔をした……のだろう。相変わらず見えはしないは、アオイにはそれが理解できた。


「う~んと、そうね……。10年くらい、かな」


 それは酷く曖昧で確証も無い、そんなものだった。少女は、本当に、10年後に戻ってこられるとは思っていない。


(まあ、10年もしたら、アオイも心変わり、してるわよね。寂しいけど)


 そんな風に考えていたのだ。そんなところで、夢が覚める。そんなことを感じ取るアオイ。















 眼が覚めた。そこは、かなり格式の高い部屋だった。どこかの姫や王女、その側近ぐらいが住む部屋だろうか。何故女性に限定したかと言うと、部屋の内装が女性向けだったからだ。


「どこだ?」


 アオイは、寝ぼけ眼で、辺りを見回しながら、この部屋の中の、懐かしい匂いを嗅ぐ。鼻腔に流れ込んでくるのは、あの茶髪の少女の匂いであった。おぼろげな記憶だが、それは間違いないだろう。少なくとも、アオイは、そう確信していた。


「あれは、誰なんだろうな」


 まだ、髪の蒼い自分。幼い、自分と共に暮らしていた茶髪で優しい、あの少女。そんなことを考えながら、アオイは、鏡を見た。

 そして、動きが止まった。


「んなっ……」


 いつもの黒髪はどこへやら、アオイの髪も瞳も、「蒼」に染まっていたのだ。そう、子供の頃と寸分たがわぬ、あの「蒼」に。


「あら、起きたかしら?」


 アオイが自分の姿に驚いていると、そこに、ヴァル子が入室してきた。ノックも呼び掛けもなかったのは、マナー違反ではなかろうか。


「ヴァル子?」


 アオイの声。アオイは、鏡から目を離さなかったが、声でヴァル子だと判断したのだ。ヴァル子は、微苦笑を浮かべながら、アオイに近づいていく。


「この部屋はね、」


 突然、ヴァル子が語りだす。何の話だ、とアオイが、眉根を寄せる。しかし、ヴァル子は気にした様子もなく、話を続ける。


「かつて、『氷帝大賢者(アイス・プリースト)』が住んでいた部屋なのよ」


 そう言った。アオイは、言葉の意味が理解できずに、一瞬、思考が停止した。魔法王国の「大賢者(プリースト)」ともあろうものが、機械帝国(てきこく)の城に住んでいた、などと言われても信じられないだろう。


「その名前は、『レイーナ・ミルディア』。『黄土(おうど)魔女(まじょ)』と、この国では呼ばれていたわね」


 ヴァル子の懐かしげな声。ただ、アオイは、頭を抱えていた。頭痛がアオイを襲う。激痛だ。まるで脳を直接揺さぶられるかのような痛みに、アオイは何とか耐えた。そして、思い出す。


「し、師匠(ししょー)……?」


 そう。そうだ、とアオイは、封じられた記憶の封を、徐々に解いていく。思い出していくのだ。最愛の師匠のことを。アオイが、――の約束をした、女性のことを。

 そして、何故忘れてしまっていたのかを思い出そうとするが、そこは思い出せない。徐々に靄が晴れていくように、記憶が戻っていく。


「あら、思い出したの?」


 ヴァル子がそう言う。その言葉に対して、アオイは違和感を覚えた。アオイの記憶には、完全にヴァル子と言う存在がない。だから、彼女の、アオイがレイーナを知っていたであろうことを知っていたようなヴァル子の口ぶりが変に感じたのだ。


「何で、俺と師匠の関係を知っていたんだ?」


 だから、アオイはそう聞いた。気になったのだ。まるで、よく知っているかのような、ヴァル子の口ぶりが。


「貴方のお母さんと、お師匠さんとは、親しくさせてもらっていたからよ。まあ、生まれた貴方の顔も知らなかったわけだけど」


 肩を竦め、やれやれと言った表情でアオイに言った。アオイは、自分の母と師匠の知り合いだと言うヴァル子になんだか違和感を覚えながらも、もうひとつ聞いた。


「なあ、確か、リヒトとトーカの戦った時、暴走を止めるのに、魔法を使っていたよな?あれ、どう言う系統の魔法なんだ?さっき思い出した魔法の記憶の中には、あんなんなかったんだが……」


 その問いに、若干頬を引きつらせるヴァル子。あまり聞かれたくないことだったからだ。まあ、尤も、聞かれることも覚悟していたのだが。


「あれは、魔法とは違って……、いえ、違うくわないわね?まあ、詠唱連結式(がっしょう)って言う、魔法と同じ概念の別のプロセスで動作するものだと思ってもらえればいいわ」


 アルハザードに存在する魔法は、詠唱連結式(がっしょう)の他にも存在するが、ヴァル子が、自身の師から教わったのは、詠唱連結式だけだった。

 詠唱連結式とは、その名の通り、複数の詠唱を連結し、使うものであり、その最大の特徴とも言えるのが、他人の詠唱とも連結できるという点である。だからこそ、合唱と呼ばれるのだ。複数の人間の詠唱(うた)を合わせ、一つにするのだから。


「違うプロセスと言うよりは、魔法の意味自体違う、別物だと思うが」


 この世界の魔法と詠唱連結式は、根本的に、別のものである。この世界の魔法における、魔法発動の条件には、呪文を口に出すことは含まれないし、魔力を直接変質させるのではなく、外界の形にあてはめて変質させるのだ。それゆえに、イメージ出来うる四つの魔法しか存在しないのである。

 しかし、詠唱連結式は、呪文を口にして、初めて魔法として発現できるのだ。しかも、呪文で形を作る上に、魔力そのものを変質させるので、口で唱えられれば、どんな空想上のものでもできる。しかし、元がない分、消費する魔力は大きいし、この世界の魔法使いからは、真似しようとしても、直接変質させられないので、真似ることはできない。


「言い得て妙ね。そんな塩梅だわ。魔法と言う同じ名前でも、意味も形式も、形すら違う。それが世界の隔たりだ、と私の師が言っていたわ……」


 【暗き闇に浮かぶ夜の真珠】と謳われた女性。もっと、俗っぽいあだ名で呼ぶならば、【夜の女王】。彼女と共に道を歩めた人間は、一人しかいないと言われるほど、人間との関わりの少ない人間だったと言われている。そして、その一人とは、ヴァル子のことではない。【唄姫(うたひめ)】と呼ばれた、女性である。メーヤもその人のことを知っている。戦ったことがあるからである。


「師?」


 アオイが短い言葉で問いかけると、ヴァル子は、「ふふっ」と笑って、アオイに、師匠の思い出を語る。


「そう、師よ。まあ、気難しくて、怒りんぼで、厳しくて、でも最強の師だったわね。真っ黒な、夜の空のような透けるような真っ黒な髪と、深淵みたいな漆黒の瞳が特徴の女だったわね。喧嘩別れしたけど」


 肩を竦め、理不尽な師匠の振舞いを思い出すヴァル子。数多の思い出が、脳裏を掠め、そして、嫌な気持ちになった。


「ほんと、腕は立つけど、頭が固い、ヤな女だったわ……」


 かつて、とある世界を支配するのでは、と恐れられた【夜の女王】だったが、彼女も、後の【氷の世代】に負け、隠居して月に住まうと言う。


「大人なんてそんなもんだろ?まあ、あんたも大人だが」


 アオイの痛烈な一言に、ヴァル子は苦笑せざるを得なかった。言いえて妙だ、と思いながらも、子供に諭される……アオイも成人と言う意味では大人だが、自分よりも大分、年下の人間と言う意味では子供である……、そんな状況が気恥ずかしくて少し赤面する。


「それにしても、俺は、何故、記憶喪失なんかになっていたんだ?」


 そう、アオイが思い出せたのは、生まれてからのレイーナに関する記憶のみ。アオヨやリリオの記憶、そして、レイーナがいなくなってから、8歳で記憶喪失になるまでの1年程の記憶はいまだ蘇っていない。


「あら、その辺は、思い出せないの?じゃあ、アオヨがどうなったかも?」


 ヴァル子の問いかけに対して、アオイは、溜息をついた。そして、ベッドに手をかけ、ふちに寄り掛かるように座った。


「ああ。両親の記憶はまだ曖昧だな。師匠(ししょー)の記憶だけは戻った」


 そう言いながら、スンスンと、部屋の匂いを嗅いだ。芳しい、レイーナの香りが漂う。もう、出て行って10年以上経つにも関わらず、いまだに匂うのだ。


「何やってるのよ?」


 ヴァル子に問われる。すると、アオイは本格的に、ベッドの上の掛け布団を手に取り、その匂いを嗅いだ。


「何、布団の香り嗅いでんのよ?」


 ヴァル子が引き気味でアオイに言うが、アオイは、掛け布団のもう片方の端をヴァル子に差し出した。ヴァル子は渋々受け取ると、スンスンと嗅ぐ。


「微妙にレイーナさんの匂いがするわね……」


 ヴァル子も、レイーナの匂いを嗅ぎ取ったらしい。しかし、アオイほど敏感ではないようだ。


「ふむ、だから嗅いでいた」


 アオイの言葉に、ヴァル子は、唖然とした。そして、心の中で、口をポカーンとあけ、思う。


(この子、変態っ?!)


 別に、アオイは匂いに性的な興奮を覚えるというわけではなく、レイーナの香りを嗅いでいると安心するから、と言う理由で嗅いでいるにすぎないのだが。

 いわゆる、母の匂いと言うやつだろう。アオヨよりも一緒にいた女性であるレイーナ。育ての親とでも言うべきだろう。


「なかなかに、貴方も個性的よね……?アオヨに似て」


 それは暗にアオヨが変態と言っているのではなかろうか。まあ、アオヨも変態だったのだが。……それは暗にアオイが変態であると言うことを肯定しているのではないだろうか。


「そんなことはないが?」


 アオイは無自覚であった。ふと、アオイは、窓の外を見た。それがなぜであったかは、誰にもわからないだろう。ただ、外を見ただけなのだ。


「ん?どうかしたかしら?」


 ヴァル子が思わずアオイに聞くが、アオイは答えなかった。その窓には、アオイにだけ分かるメッセージがあったのだ。


「なるほど……」


 アオイは、頷いた。そして、ベッドの下へと潜り込むように動き出す。もぞもぞと動くその様子に、ヴァル子は思わず叫んだ。


「キモっ!」


 そんな言葉も気にせず、アオイは、ベッドの下を漁ったのだった。すると、ベッドの下からは、オレンジ色の箱が出てきた。相変わらず、箱は、接合部など存在しない不思議なものである。


「何、それ?何でそこにあるって?」


 ヴァル子の問いに、アオイは窓ガラスを指差す。そう、窓の外ではなく、窓ガラス。無論、ヴァル子には、おかしな点は見つけられない。


「魔力で文字が書いてあるんだよ。ベッドの下に隠しものって」


 それは、アオイに向けられたメッセージではなかった。アオヨか、はたまた、レイーナ自身か、そのどちらに向けられたものかは定かではないが、これはレイーナが置いたものである。


「これは、少々厄介な代物かもしれないんだよな」


 その少々厄介の意味を、アオイは体感していた。黒い鎧を纏ったリヒトだ。あの時は、うまく制御できていたからいいものの、それがうまくいかなくなったとき、どんなことが起きるのか、アオイには予想がつかない。しかし、少なくとも、危険があることは確かである。


「とりあえずは、3つとも、俺が金庫で保管しておくとしよう」


 ちなみにだが、あの後、リヒトに接続していた「神殺しの器(カタストロフィー)」は、「神救の器(ドーン)」をしまっていた金庫の中にしまった。そして、3つ目の箱を今手に入れたので、それも金庫の中にしまっておこうと思ったのだ。


「まあ、それが何かは知らないけど、とりあえず、起きたのなら外へ出ましょう。いつまでもこの部屋にいてもすることないでしょ?」


 ヴァル子の言葉に、アオイがきょとんとする。アオイにはやることはたくさんあった。布団の匂いを嗅いで、部屋を漁ることだ。


「あ、まさか、部屋を漁ったり、さっきみたく布団の匂いを嗅いだりしようとしてたんじゃ……」


 冗談と皮肉の混じったヴァル子の言葉に、アオイは口を噤んだ。その反応で、冗談だと思って口にしたヴァル子の顔から笑みが消える。


「まさか、貴方、本当に……?」


 ごくりと唾を飲み込んだヴァル子。こいつ、マジか、と言う視線でアオイを見ていた。それに対して、アオイは平然としていた。


「別に構わんだろ?」


 アオイの言葉に、頭が痛むヴァル子は、こめかみを親指と人差し指で押さえながら、やっとの思いで声を出した。


「あのね……、レイーナさんは近々ここに帰ってくるのよ?そんな部屋で、変なことするとか……」


 ヴァル子の言葉に、言っている意味がわからない、とアオイは首をかしげた。アオイにはやましい気持ちは微塵もない。


「何を言っている。俺はただ、師匠(ししょー)の匂いに安らぎを感じたいだけだ」


 そう弁明するもヴァル子は信じていない。しかし、齢7の子供と40過ぎのレイーナが特殊な関係になったともヴァル子には思えなかった。まあ、現に、特殊な関係なのだが、そういった意味ではなく、恋仲のような関係、と言うことである。歳の差30歳以上。なんとも犯罪チックなのだろうか。


「まあ、レイーナさんも、真面目だったから、変なことはないでしょうけれど……」


 人の第一印象と言うか、先入観と言うか、思い出補正と言うか、そう言ったものの恐ろしさを、改めて思い知るだろう。


「そもそも、アオイ君は、レイーナさんとは、どんな日々を送っていたのよ?」


 ヴァル子が、アオイに聞いてみた、聞かなくていいことを。アオイは、少し考えてから、簡単に話す。


「う~ん、俺と師匠(ししょー)は、そうだな……。親子、とは違うし、姉弟、とも違うな。師弟って言うのも、妙にしっくりこない。先生と生徒……って言うのが一番しっくり来るか」


 師匠と呼んでおきながら、師弟がしっくり来ない、と言うのだからおかしなものだ。まあ、一緒に風呂に入る師弟がいるか、と言われれば、あまりいないから師弟とは言いがたいが。


 いや、一緒に風呂に入る教師と生徒もいないと思うが……。


「ふぅん?まあ、いいわ。それで、具体的にどんな生活だったのよ?」


 深入りすヴァル子。他人の家の話に、あまり深く首を突っ込まない方が身のためだと言うのだが……。


「そうだな。俺の記憶に残っている限りだと、勉強とか、遊びとか……」


 ここまでは普通ね、とヴァル子が頷いている。うんうんと微笑ましい光景を頭の中に浮かべているのだ。


「後は、風呂入ったり、寝たりだな」


 それを聞いた瞬間に、ヴァル子の脳内がピンクに染まる。微笑ましい光景が、一気にピンクの危ない光景に変わったのだ。その前の勉強や遊びも、ヴァル子の脳内で勝手に、「夜の」勉強や、「夜の」遊びに変換される。


 実際はそんなことなどないのだが。ないというのは、ヴァル子の妄想の話であり、アオイとレイーナの日々は事実である。


「マジで?!」


 ヴァル子が叫んだ。その叫び声に、アオイは、びっくりした。何を驚いているんだ、と言う顔でヴァル子を見る。


「マジだが?」


 即答されたヴァル子は、しばし呆然として口をあけたままになる。あごが外れたんじゃないかと思うくらいだ。


「一体、何がどうなったら、そんな奇怪なことが起こるのよ?!レイーナさんに何が起きたのよ?!」


 自分の知っているレイーナとはかけ離れすぎていて、理解が追いつかないヴァル子。


「そんなことを言われたってな……」


 そう言ってから、アオイは、ふと思い出す。約束のことを。「私が帰ってくるまで、きちんと待って、待ってる間に勉強をして、機械も造ったり直したりできるようになってたら、あのときのお願い、聞いてあげてもいいよ」と言う約束。

 記憶を失ったが、きちんと待っていた。勉強もした。機械も造れるし、リヒトの様な人形すら直せるようになった。

 アオイは、きちんと条件を満たしているのだ。


「ふふっ」


 思わず、妙な笑みがこぼれた。師匠との再会に心が躍るのだろう。


 そう、このとき、アオイは、気づいていなかった。いや、知らなかった。今、この場にいないリヒトたちに何が起こっているのか。

 そして、そのことにより、師匠との再会が延びることなどアオイは、まったく知る由もない。

次話:08/16 (土) 00:00 更新予定

>次々話:08/23 (土) 00:00 更新予定

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