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color of days  作者: 久吉
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side red ~君とそうなりたいと願っているんだ~

 大学を卒業して就職したHANABUSA株式会社。

 社名は創業者の名前からとったというありきたりな理由だが、なぜ『英』ではなく、『はなぶさ』でもなく、『HANABUSA』なのかを入社前にもう少し考えるべきだったと、今の私は切に思う。


 かといって、よく考えていても就職難のこの時代に、特に資格もない私が内定を頂けたのはHANABUSA一社だけ。

 就職浪人は許さない、と家族からは強く言われていたので、他の道はなかったのだけど。



 私の仕事は、いわば秘書のようなものだ。いや、そんな格好いいものじゃないから、部活のマネージャーが一番近いかもしれない。

 課のみなさん―――といっても私以外に五人しかいないが―――のスケジュール管理をし、体調に気を配り、次の仕事で好成績を残せるよう課題の洗い出しを行う。

 時には課のみなさんの喧嘩を仲裁したり、小火を消して回ったり、しち面倒くさいこともやらねばならない。

 なぜなら、会社員だから。会社の歯車だから。それが嫌なら辞めるしかない。



「あぁ、つかれたぁ」

 きれいに巻かれた茶色の髪をなびかせながら、伊東桃香(いとうももか)さんが入ってきた。開襟シャツは第三までボタンが開けられていて、たわわな桃がのぞいている。メイク技術もあるのだろうが、大きいタレ目と小ぶりな鼻、ぽってりとした唇は官能の権化と言っても過言ではない。


「疲れた、じゃねぇだろ。あの程度でビビりやがって」

 舌打ちをしながら続いたのは、黒沢誠治(くろさわせいじ)さん。一度も染めたことはなさそうな真っ黒な短髪に、切れ長の一重の瞳は憎々しげに細められている。時代劇で剣客でもやっていそうな細身のイケメンだ。


「まあまあ、桃ちゃんだって精一杯やったんだから」

 にこにこと黒沢さんを諌めたのは課のムードメーカーである黄田和人(きだかずと)さん。色白のふくふくほっぺは、ついぷにぷにしたくなるような癒し系だ。男性なのに庇護欲をそそるというか、ヨシヨシしたくなるタイプ。年上の女性にもてるらしい。


「そうですよぉ! 静奈だってがんばりましたぁ!」

 拳を顔の横で二つ握ったのは、林静奈(はやししずな)さん。中学生にも見えるようなロリ顔でツインテールのブリッ…ゲホン。とても女子らしい人だ。女性にはすこぶる評判が悪いが、男性には一定の需要があるようだ。


「そうだな!! だが、次回に活かすべき反省点は多数ある!! 翠くんと作戦会議だ!!」

 どこぞの熱血教師もドン引きだ、という勢いで声を張り上げたのは、赤尾琉聖(あかおりゅうせい)さん。

 イタリア系のクォーターだそうで、天パの栗毛にヘーゼルの瞳。黙っていれば間違いなく洋画に出てきそうな美形だが、中身は暑苦しい脳筋野郎だ。



 ―――ちなみに、滝川翠(たきがわみどり)が私の名前。


「HANABUSAレンジャー作戦会議だ!」



 この会社の…というか、この課の採用基準は恐ろしいもので構成されている。

 一つ目は倫理感のテスト。二つ目は他人の利益のためどれだけ働けるかというテスト。

 そして何より重視されるのは、『名前のどこかに色が入っている』という、後天的な努力ではどうにもならない点だ。


 そもそも、我がHANABUSA株式会社に『特殊保安課』が設立されたのには深いわけがある。


 社長である(はなぶさ)氏は、無類のヒーロー好き。特にアメコミが好きで、『アメコミっぽいだろう!』という阿呆な理由で社名が『HANABUSA』になった逸話がある。

 それだけなら、良い年こいて特撮やヒーローが大好きなちょっと痛いおっさんくらいで済んだろう。

 だが、運悪く、日本政府が発表した『自警法』という法案がHANABUSA株式会社の運命を大きく変えた。


 自警法とは、その名の通り自分の身は自分で守れよ、ということだ。

 数年前銃刀法が改正されたことをきっかけに、日本の犯罪件数は爆発的に増加した。当たり前だろう。今までは“カッとなって殴った”で済んでいた傷害事件が、“カッとなって撃った”となれば殺人事件になってしまう。十分予測されていた結果とはいえ、一年も経たないうちに警察と自衛隊だけではどうにも対応しきれなくなった。


 そこで立案されたのが、自警法だ。


 自警法では、町内会、学校、会社、あらゆるコミュニティで自警のシステムを構築・運営するよう定められている。一定以上の実績を残せば、国から補助金も出してくれる。


 町内会レベルだとかけられる費用も限られているので、せいぜいが見回りを当番でやるくらいだが、企業レベルになると多額の費用を使い兵器を開発したり、傭兵軍団を雇ったりするのが一般的だ。

 武力が高い企業がある地域は、おのずと治安がよくなり、住民からの支持も得られる。武力が低い企業は、下手をすると武装した住民に襲われ、会社自体を乗っ取られる恐れもあった。


 そういうわけで、HANABUSA株式会社も時代の流れに乗って自警システムを構築・運営していくことになったのだ。


 そのとき、英社長は気づいてしまった。

 今こそ、大好きなヒーローを自分の手で産み出すときだと。


 他社の自警システムは、物騒なものが多く、スタイリッシュとは言い難い。筋骨隆々のおっさんが防弾チョッキや迷彩服に身を包み、ライフルやバズーカを持って歩く。当然目つきも猛禽類のようで、どっちが悪人だかわかったものじゃない。


 今こそ! 女性に黄色い悲鳴をあげさせるような、子どもたちを興奮させるような、中年男性が少年の日を思い出せるような、ヒーローが必要だ!!


 そんな使命感にかられた英社長は、数年分の純益を投資して、ヒーロースーツや兵器の開発、人材確保に勤しんだ。道楽でしかなかった趣味が、堂々と会社の金を使ってできるのだ。夢中にならないわけがない。

 寝食を惜しんで奔走した社長の努力が実り、およそ2年足らずで武器と装備品の開発が終わり、名前に色を持つ5人のメンバーが揃った。そこへのこのこ就職活動に現れたのが私だ。


「君、面倒見はいい方?」

 リクルートスーツに身を包んでガチガチに緊張した私に、英社長はだしぬけに訊いた。


「は、はい。年の離れたきょうだいがおりますので、良い方だと思います」

「…社長、保安課はこれ以上」

 私の答えに眉をひそめた副社長が、小さめの声で社長を諌める。

 私、何かまずいこと言ったかな? どうしよう。ここを落ちたら通算100社目だ。


「何を言うか。後方支援なくしてヒーローはありえない!」

 副社長の諫言に、英社長は明らかにムッとして大きな声を出した。


 は? ヒーロー?


 耳慣れないことばにポカンとする私へ向き直った社長は、高らかに宣言した。


「君ならば、私の夢を託せそうだ! どうかよろしく頼む」


 ―――こうして、私の悪夢の社会人生活が幕を開けた。




「今日の決め台詞に関して、まずは検討したい」

 ヘーゼルの瞳をぎらぎらと燃えたぎらせて、赤尾さんが声を張った。


 この会議室は決して広いわけじゃない。端の私から端の赤尾さんまで五メートルもない。そんな中で声を張る必要はないと思う。

 耳栓を引き出しに置いてきてしまったことを悔いたがもう遅い。


「大体、ピンク! なんなんだ、あの欲にまみれた決め台詞は!」

「リュウちゃん、ピンクとか呼ばないでくれるぅ? なんか卑猥な感じがするじゃなーい」

 卑猥な感じを出したくなければ、とりあえずボタンをしめたらいいと思う。


「今日の決め台詞って、あれだよね? 一攫千金! だっけ?」

「そぉそぉ。昨日素敵なバッグ見つけちゃったのよぉ」

 黄田さんの問いに桃香さんはにっこり笑う。隙なく塗られたつややかな唇が魅力的な弧を描いた。

 それを見た黒沢さんは忌々しげに舌打ちする。


「お前、強い願望ってそれしかねぇのかよ」

 そういう黒沢さんの今日の決め台詞は“因果応報”だ。それが願望って、誰かに恨みでもあるのだろうか。


「そんなの勝手でしょぉ。静奈の嘘くさい“世界平和”よりも威力があるじゃない」

「嘘くさいとか言わないでください! 静奈はちょっと心がか弱いだけです!」


 HANABUSAレンジャーの決め技は、本人の願望の強さによって威力が変わる。

 とてもおなかが空いているときに『焼肉定食!』と叫ぶと威力100だとすると、満腹時に同じ技を使っても威力は50ほどしか出せない。

 つまりはそのときの本人の魂の叫びが、そのまま攻撃になるということだ。赤尾さんは私欲にまみれたことを非難しているが、貪欲なほど攻撃力は上がるので仕方なかろう。


 ちなみに、『焼肉定食』はいいが、『焼肉食べたい』では技が発動しない。技の名前は四字熟語(っぽいものも可)に限るのだ。これは、英社長の趣味だそうだ。


 ぎゃいぎゃいと女性陣が声を上げ噛みつき合う。昔からロリ娘と色気姐さんは相性が悪いと相場が決まっているが、この二人もやっぱり仲が悪い。いつものことなので、他のメンバーは気にする風もない。

 私はといえば、パソコンに向き合って、議事録づくりだ。要約してしまうと内容があまりになさすぎるので、とりあえず一字一句書洩らさず記録している。


 バカバカしい、電気代とカロリーの無駄だと思っても、表情に出してはならない。

 なぜなら社会人だから。会社の歯車だから。嫌なら辞めて再び職を求めてさすらわねばならない。


「翠くんはどう思う?」

 急に赤尾さんに話しかけられて、ビクッとしてしまう。


「どう…と言われましても…。本人の願望は周囲にはいかんともしがたいですし、興味の幅を広げるくらいしか打つ手はないと思われますが」

 我ながらまだるっこしいしゃべり方だが、この人たちと慣れあうのは死んでも嫌なので、必死に壁を作るためには仕方がない。頭の固いつまらないまじめっこだと思ってもらうためには、努力を惜しまないのだ。


 私の答えに赤尾さんはポンと手を打った。


「なるほど! 一理あるな。ではこれより普段しないことに各自挑戦! 三日後に報告会を行うこととする!」





 興味の幅を広げるために、普段しないことに取り組む、のはわかった。

 だがこれはどういうことなのだ。


 作戦会議の翌日の土曜日、なぜか私は赤尾さんに呼び出された。

 待ち合わせ場所に行くと、ぴったりとしたシャツとジーンズを身につけた赤尾さんが数人の女性に囲まれていた。


「あの! これにサインしてください!」

「私も! 握手もしてもらえませんか?!」

 女の子たちが差し出すのは、赤尾さんのブロマイドだ。

 これは、わが社の広報課が作っているもので、一枚五百円。赤尾さんのものだけで年間三万枚近く売れるものだ。アイドルのブロマイドさえ売れなくなった時代に、恐ろしいほどの利益を生んでいる。

 中でも露出が高いものが人気で、赤尾さんの場合は上半身を脱ぐと売り上げが一万枚増えると言われている。


 確かに赤尾さんはイケメンだ。映画俳優かアイドル歌手と言われたら頷ける容姿をしているが、中身がマジでうざい。熱血で世話好きで人の都合なんて考えてもくれない。本人が単純なつくりなので、人の機微にももちろん気づきはしない。典型的な脳筋バカなのだ。


 だが、ブロマイドを嬉々として買うような女性は、赤尾さんの中身には興味はないのだろう。

 引き締まった身体や、整った甘いマスクや、ヒーロースーツに身を包んで華麗に技を決める姿が好きなのだ。



 赤尾さんはにこやかにサインや写真撮影に応じている。こういった休日のファンサービスも特殊保安課の業務に含まれる。

 ちなみに休日業務に熱心なのは赤尾さんと静奈さん。大体が出掛けると囲まれるらしい。


「応援ありがとう! いつも励ましてもらっている!」

 キラーンと効果音がつきそうな笑顔に、きゃあ! と悲鳴が上がった。


 ……そろそろ帰ってもいいだろうか。平日録りためたドラマを見てゴロゴロしたい。ラグをそろそろ洗いたいし、自家製チャーシューも仕込みたい。

 まだ真っ昼間だが、いっそメイクを落としてパジャマに着替えてしまおうか。先週買って開けていないゲームに手をつけてもいいな。



「翠くん!!」


 よし、と決めて回れ右したところ、バカでかい声で名前を呼ばれた。

 チッ、気づかれたか。


 ゆっくり振り返ると慌てたような顔の赤尾さんと、誰アレ? 的な怪訝な顔のファンの皆様。


 うわー。マジ勘弁。私はただの同僚なんです、下の名前で呼ばれてるのは、グリーンと呼ばない代わりに渋々許可してるゆえなんです。


 ものすごい勢いで言い訳が頭の中を駆け巡るが、足早に近づいてきた赤尾さんに気をとられ、口を開くことはかなわなかった。


「翠くん、待たせて済まない。行こうか」

「……っ!」

 にっこり笑った赤尾さんは、思わずドキッとするくらい優しい瞳を向けてきた。

 こんな風に男の人に見つめられたことなんて、いつぶりだろうか。

 顔が熱い。


 一瞬フリーズした隙に私の手をとり、赤尾さんは颯爽と歩き出す。

 後方で不満げな女性たちの声が聞こえたが、赤尾さんの足は予想以上に速く、次第に喧騒に紛れてしまった。




「あの、どうしてこんなことになっているのでしょうか。説明していただけませんか?」


 手を引かれるまま映画を見て、ショッピングモールを冷やかし、ひと休みしよう、と入ったカフェでのことだ。


 赤尾さんは眉をひそめて何かを差し出してきた。


「慣れない靴を履いてきたからだろう。使うといい」

 手元の絆創膏を見て、カッと頬が熱くなる。


 靴擦れがバレてる…!


 今日の私はシフォンのブラウスに小花柄のスカート、おろしたばかりのサンダルを履いている。

 普段はパンツにぺたんこ靴ばかりの私を赤尾さんは知らないだろうが、気合いを入れてやってきたのを見透かされたような気がしたのだ。


「……ありがとうございます、ってそうじゃなくて! どうして休日に赤尾さんと遊ばなければならないのですか!」


 ああ、それか、と赤尾さんはカップをソーサーへ置く。


「俺は社会人になってからデートをしたことがない。ずっと仕事ばかりで、それを疑問に思ったこともなかったからだ。だが、翠くんが昨日の作戦会議で言ったように、興味の幅を広げるためにはたくさんの経験をしなければならない」


 興味の幅。

 しなければならない。


「……これもその一つということですか」


 昨夜誘われたときに、認めたくはないけど、確実に膨らんだ気持ちが急速にしぼんでいくのがわかった。

 赤尾さんは仕事のために私に声をかけたに過ぎない。そりゃそうだよね。それ以外にこんなイケメンが普通(・・)のOLである私を誘う理由なんてあるわけない。


 納得すると同時に行き場のない怒りが込み上げてくる。


「だったら、さっきのファンの子でも誘えばいいじゃないですか! 私はただの後方支援員ですよ。こんな風に連れ回されるのは迷惑です」


 しまった、言い過ぎた、と思ったときにはことばは口からこぼれた後だった。

 ヘーゼルの瞳が悲しげに曇り、対して唇は笑みを形作った。


「……済まない。俺が楽しければ、君も楽しんでくれるのではと思っていた。思い上がりだったな」


 ―――ちょっと、そんな顔しないでよ。私がいじめたみたいじゃない。

 いつもみたいに、脳筋バカな感じで大声出せばいいじゃない。


「私だって…!」


 ガシャーーーン!!


 楽しかったのに、と続けようとしたことばは、ガラスが割れる音と怒号に掻き消された。


「おら!! 全員命が惜しけりゃ伏せろ!」

 言葉尻にかぶせて、パンパンと二発銃声が響く。甲高い音を立てて蛍光灯が割れ、悲鳴が上がった。


 足音荒く割れた自動ドアから入ってきたのは、覆面を被った数人の男たちだった。

 手には思い思いの武器を持ち、口元には嫌らしい笑みが浮かんでいる。


 私と赤尾さんは周囲の客に合わせて伏せる振りをしながら、狭いテーブルの下で顔を見合わせた。

 赤尾さんはもちろん、私だって特殊保安課の人間だ。こういう場面は嫌というほど遭遇しているし、赤尾さんたちが戦う様子は毎回モニターしているので慣れている。


「どうやら、強盗集団のようだな。この店には自警システムがないのを見込んで押し入ったか」

「…どうしますか」

「俺だけでもやるしかないだろうな。…ここでじっとしていてくれ」

 言いながら、赤尾さんは胸元のポケットから社員証を出した。


 これがHANABUSAレンジャーが変身するときのアイテムだ。ちなみに私の社員証は普通のバッヂだ。後方支援員は非戦闘員なので、スーツは必要ないし。


 赤尾さんが社員証にそっと口づけると、彼の全身がまばゆい光に包まれた。


 ―――何度見ても、この光には慣れない。

 そして、絶対に誰にも言うつもりはないけど、どうしてかこのときはいつもドキドキしてしまう。

 何かが始まるような、とても素敵なことが現れるような、高揚感だ。


「そこまでだ!」


 高らかに響き渡る制止の声にそろそろと目を開けると、赤尾さんは、すでに深紅のスーツに身を包んでいた。身体にぴったりと張りついた特殊素材のスーツは、本当に着る人を選ぶ。赤尾さんは鍛え上げた身体をしているので、色々な意味で見ごたえがある。そりゃあブロマイドも三万枚売れるだろう。


「あぁん? 何だてめぇ」

 一際身体の大きな男が、睨み付ける。立ち位置から見ると、こいつがボスのようだ。

 赤尾さんが男の誰何に名乗りをあげる前に、すっとんきょうな声が他から上がった。


「あ! こいつ、HANABUSAレンジャーだぜ!」

 一人の男が赤尾さんの姿を見て思い出したようだ。この辺では自警システムを持っている企業は少なくはないが、こんな真っ赤なぴたぴたスーツを着ているのはウチだけだ。知名度が高いと喜んでいいのか、恥ずかしいと悲しむべきなのか。


「ハッ! レンジャーだかなんだか知らねぇけどよっ!」

 最後まで言い終わらないうちに、男が引き金を引いた。

 バチィッ! と音を立てて特殊スーツが銃弾を弾く。


 わが社の特殊スーツはウン億かけて作った、まさに着るシェルター。銃弾はもちろん、地雷を踏んだって象に踏まれたって着ている人に傷一つ作らない。


 ただ、痛みはそれなりにあるらしい。

 あれだけ盛大な音がしたから、結構痛いと思う。

 いつもはモニター越しだから、撃たれたな、くらいしか思っていなかった自分がいかにのんきだったかわかる。

 あれは痛い。見てるだけで痛い。


「…効かんな。この程度」

 たが赤尾さんは、挑発するかのように涼しげな声で笑った。


 覆面ごしにも、撃った男の顔が忌々しげに歪むのがわかる。

 と、そのとき赤尾さんの後ろから長い金属の棒を持った男が襲ってきた。


「危ない!」


 ガン! とタライか何かがへこんだような鈍い音を立てて棒が折れた。


「くっそ! どんだけ硬ぇんだよ!」

 折れた棒を投げ捨てる男の視線と、思わず叫んだ私の視線が絡み合った。


 ―――あ、まずい。


「翠くん! 逃げるんだ!」


 赤尾さんが叫んだときには遅かった。立ち上がり逃げようとした私の足を男が鷲掴みにしている。


「ちょっと! 離してよ!!」

「バカか! 離すわけねぇだろう。ちょうどいい、人質になってもらおうか」


 そのままずるずるとテーブルの下から、騒動の中心まで引きずり出される。


 立たせようとか、抱きかかえようとか、そういう発想はないのか!


 私はそんな事態ではないと頭のどこかではわかりながら、スカートがめくれるのを必死におさえた。こんな衆人環視の中でパンツ丸見えとか何プレイだ。


「彼女を離せ」

「あーん? 聞こえねぇなぁ」


 唸るように男に言う赤尾さんに、嘲りが返る。

 ボスらしき男が、引きずられてきた私の襟首を掴み無理矢理立たせる。


 あっ! ブラウスがビリッていった!

 8900円もしたのに!


「いいねぇ、こういうシチュエーション」

 男の獣臭い息が首筋にかかり、ぞっとする。

 私が身動ぎしたことに気づいた男はますます笑みを深めた。

 ゴリッ、とこめかみに冷たい何かが当てられる。


 ―――銃口だ。


「なあ? 姉ちゃんもぞくぞくするだろ」

「……ひっ!」

 ざわざわと男の手が顎から首筋を這い回る。ざらついた指に撫でられるそばから肌が粟立つのがわかった。


 ―――気持ち悪い!!


「やめろ!!」

 赤尾さんが憎々しげに叫ぶが、その場から動くことはかなわない。

 男の銃口が火を吹けば、私はひとたまりもないからだ。


「……翠くん」

「……」

 赤尾さんの声に含まれたものを、私は正確に読み取った。


 いつもいつもモニター越しに見てきたから。

 こういう場面で赤尾さんがどうするか、何度も見た。


 ―――赤尾さんなら大丈夫。


 音がしないように、そっと唾を飲み込む。


 ―――でも、私にできるだろうか?


 不安を込めて赤尾さんを見ると、微かに頷いてくれた。


 できるか、じゃない。

 やるしかない。


「なにレンジャーだか知らねぇけどよ。この姉ちゃんの頭の中身ぶちまけたくなかったら、裏からカネ持ってこい」

「……わかった」


 静かに頷いた赤尾さんが、足を引く。

 不審な動きをしないか、強盗たちの注意が一斉にそこへ向けられる。


 ―――今だ!!!


 襲ってくる衝撃に備えて強く目をつむり、護身用ネックレスに手をかけ、目一杯引いた。


「おい、何し…ってぇ!!」


 さすがHANABUSA開発の護身用ネックレス。ばちんっ! と派手な音を立てて火花が散った。スタンガン並の威力があるというのも誇大広告ではない。


 怯んだ男の腕から転がり出ながら、叫ぶ。


「赤尾さん! 今です!」

「くらえ! 比翼連理!!!」


 赤尾さんが指差し叫ぶと、そこから一直線に光の矢がほとばしり男を貫いた。


「ぐあぁあぁ!!!」


 熊のような叫びをあげてボスらしき男が倒れた。ぴくりとも動かないので、完全に気を失っているようだ。


「お、おい! マジかよ!」

「まずいぞ! 逃げろ!」


 赤尾さんの技を見た強盗たちの顔色が変わる。

 無理もない。いくら強盗たちがバズーカを持っていたって、指から光線が出るなんて反則だ。多額の自警費をつぎこんだHANABUSAだからできたことであり、決して一般的な攻撃ではない。敵うわけがないのだ。


 それなのに、まだ逃げられると思っていることに少し驚くが、赤尾さんも同じだったようだ。


「その心意気は評価するが…。逃がすわけにはいかない。覚悟してもらおう」


 ―――にやりと笑うその姿を、少しだけかっこいいと思ってしまったことは、墓まで持っていく次第だ。




 警察に強盗たちが連れていかれ、ざっと現場検証も終わった。

 普通ならもっとしつこく聞かれたり調書をとられたりするのだけど、自警システムで動いている私たちはそこまで求められることはない。名刺を出して、『HANABUSAの特殊保安課の者です』と言えばそれで終わりだ。


「……とんだデートになってしまったな」

「慣れているので、大丈夫です。…助けて下さってありがとうございます」


 ぺこり、と頭を下げると赤尾さんが眉を下げた。


「いや、怖い思いをさせてしまい済まない。保安課の者として失格だな」

「それを言ったら私も保安課なので。それに連行される前に踏んでやったので、もういいです」


 何を、とは言わなかったが、赤尾さんも見ていた光景を思い出したようで苦笑した。

 そして一度口を引き結び、躊躇いながら口を開く。


「もし…君さえよければまた…」


 ぴりりりりり!

 ちゃらちゃーちゃっちゃらー♪


 赤尾さんが何かを言いかけたところ、二台の携帯電話がけたたましく着信を告げた。

 ちなみに赤尾さんが電子音。私が某アニメのテーマ曲だ。


 見れば『HANABUSA株式会社』の通知が出ていた。休日出勤もざらにある保安課なので、呼び出しだろう。多分、赤尾さんにかかっている電話も同じ。


「はい、特殊保安課滝川です」


 同じく通話ボタンを押す赤尾さんの瞳が、こちらを見ながら切なげに揺れていたことも、さっきのアレにも、私は気づかない振りをした。




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