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菫 「ひとつ気になることがありましてね」
亜紀 「なんでしょう」
菫 「一応私も十年近く、探偵で飯を食っていますから。ここに男と女がいたとする」
亜紀 「はい」
菫 「二人は愛し合っていたが、そこに第三の女があらわれて、男を奪って行ったとする」
亜紀 「その先は、言われなくてもわかる気がします。女は男を恨むか、それとも第三の女を恨むか、というのでしょう」
菫 「わたしの経験上、圧倒的に後者のケースが多いのです。もちろん男も憎い。けれど、あの女のほうが、もっと憎い。それこそ……」
亜紀 「アヤめたいほどに」
菫 (鳴り始めた電話をとって)「こちら、田中菫探偵事務所。はい? うちは蕎麦屋じゃありませんが。その店の蕎麦なら、盛りよりかけをお勧めしますがね。もちろん葱は少なめで」(電話を切って)「新たな情報が入りました」
亜紀 「間違い電話じゃなかったんですか」
菫 「暗号連絡です。盗聴は日常茶飯事の業界なもので。あまりお耳に入れたくない情報かもしれませんが」
亜紀 「構いません。仰ってください」
菫 「あなたの元恋人と、いわゆる第三の女性との、婚約が成立したようです」
亜紀 「そうですか」
菫 「まだお続けになりますか」
亜紀 「え」
菫 「この無益なゲームを。それよりも……」
亜紀 「いくつまでいきましたっけ」
菫 「17です」
亜紀 「駅のホームで背中を押すというのは、何番めでしたか」
菫 (書類に目をやり)「ナンバー・ナイン」
亜紀 「その九番めの方法について、少し掘り下げて考えてみたいと思います」
菫 「これまで挙げた中で、最も楽な方法といえますか」
亜紀 「こう、どんと押すだけですものね」
菫 「その気になれば、だれにでもできますよ。ただ、」
亜紀 「遺体は凄惨を極めますね」
菫 「それでもあなたは、ナンバーナインを選べますか?」
亜紀 「そもそも彼は、基本的にホームの前列には、並ばない人でした」
菫 「何らかのポリシーでも?」
亜紀 「おそらく、他人の頭をおさえて、じぶんだけ得をするような行為が、嫌いだったのだと思います」
菫 「優先席が空いていても……」
亜紀 「決して座ろうとしませんでした」
菫 「ドアの前に立つときは?」
亜紀 「必ず窓のほうを向いていました。込んでいるのに、内側を向いて立つ人の気持ちが、まったくわからないと、聞いた覚えがあります」
菫 「できた人だ。なのに、あなたを捨てて重役の娘を選んだ」
菫 「失礼。口が過ぎたようです」
亜紀 「構いません。彼は電車が大好きで、マニアというほどではありませんが、休日にはただ電車に乗るために、出かけるようなところがありました」
菫 「山手線を何週もするタイプですね」
亜紀 「それ、学生の頃は、よくやっていたようです。休日に、読みたい本を一冊持って、高田馬場からふらりと乗って」
菫 「彼は早稲田でしたね」
亜紀 「よく調べていらっしゃいます。だからもし彼をアヤめるならば、駅のホームがよいかと思いまして」
菫 「いくら電車好きでも、轢死は望まないのでは?」
亜紀 「電車の中で、アヤめる方法はございますか」
菫 「オリエント急行にでも乗るのならともかく、日本のせせこましい電車ではね。刺殺オンリーでしょう」
亜紀 「でも、あまり電車の中で刺した話は、聞きませんね」
菫 「計画的に行うにせよ、激情に駆られるにせよ、殺人には不向きな場所ですから。Xの悲劇は起こりにくい」
亜紀 「では18番めの方法を」
菫 (種類を見て)「動物を使った殺人になりますが」
亜紀 「興味深いですね。でも……(スマホを確認して)私、そろそろお暇しなければなりません」
菫 「そうですか」
亜紀 「夜分におじゃましました。また電話させていただきます」
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亜紀 「タツミくん、いるの?」
辰美 「ああ」
亜紀 「なんだ、やっぱりいたんだ」
辰美 「亜紀が望むなら、オレはいつでも傍にいるさ」
亜紀 「彼、婚約したんだって」
辰美 「そうかい」
亜紀 「そのてのニュースって、いつも電話かメールで届くのね」
辰美 「そうかい」
亜紀 「なぜだろう。わたしちっとも悲しくなかったし、まして涙なんか、少しも出なかった」
辰美 「忘れようとしているんじゃないか」
亜紀 「そうかしら。ちょっと考えられないけど」
辰美 「どんなに抵抗しても、忘れてゆくものだよ」
亜紀 「でも私、タツミくんのこと忘れないよ」
辰美 「あの時も、電話だったのかな」
亜紀 「電話だったわ。まだ携帯電話が、そこまで普及していなくて。家の電話にお母さんが出て、それからお父さんの車で病院に駆けつけて」
辰美 「夜だったよね」
亜紀 「夜だった。そしてあのときも……彼から別れのメールが来たときも、窓の外は暗かった」
辰美 「電車の中で?」
亜紀 「そう。郊外に近づいて、だいぶ人も降りて、それでもまばらに席が埋まっている電車の中で、大声で泣いたわ。四、五人が、逃げ出して、車両を替えたっけ」
辰美 「だれも慰めようとしなかったの?」
亜紀 「携帯握りしめて、突然、大声で泣き出した女に? ひたすら不気味だったと思うわ。私自身のことだけど」
辰美 「ろくなメッセージを運んでこないのに、何でそんなものを持ち続けるのさ」
亜紀 「きっと……」
辰美 「きっと?」
亜紀 「これはパンドラの匣なのよ。つらいメッセージにあふれていても、希望にしがみつかずにはいられない」
辰美 (ギターを弾きはじめる)
亜紀 「やっぱりタツミくんのギターはいいわね」(歌う)




