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<登場人物>
田中 菫(探偵)
佐藤亜紀(依頼者)
日向辰美(助手)
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菫 「助手が出払っておりまして」
亜紀 「はあ」
菫 (時計を見て)「間もなく戻って来るとは思うんですが、なかなか戻らない場合もある」
亜紀 「難しい用件でも?」
菫 「難しい? いえ、ちょっとした使い走りですよ。頼んだ私自身、用件を忘れてしまうほどの、ね」
亜紀 「はあ」
菫 (書類を手にとり)「佐藤……亜紀さんでよろしいですか」
亜紀 「はい」
菫 「同姓同名の作家がおりますね」
亜紀 「存じ上げておりません。ミステリー作家ですか?」
菫 「歴史小説家だったような。なぜ、ミステリーだと?」
亜紀 「すみません。安直な連想でした」
菫 「謝ることはありませんよ。探偵なんて、酔狂な商売ですから。一般人にとってはもちろん。本人にとっても」
菫 「傘を持って出たのかな」
亜紀 「えっ」
菫 「助手ですよ。雨の音が、聞こえませんか」
亜紀 「気づきませんでした」
菫 「あなたが来られるときは?」
亜紀 「降ってなかったようです」
菫 「傘は?」
亜紀 「持ちません。午後の降水確率は、50パーセントでしたから」
菫 「興味深いですね。50パーセントでは、降らないほうにお賭けになる」
亜紀 「少なくとも、わたしはそうです」
菫 「もし止まないようでしたら、(視線で示して)ここの傘を一本、お持ちになるといい」
亜紀 「でも」
菫 「ご心配には及びません。お客が忘れて行ったものですから」
亜紀 「なおさら気が引けます」
菫 「いいんですよ。探偵事務所を二度訪れる客なんて、めったにおりませんから」
菫 (再び書類に目を落とし、溜め息をつく)
亜紀 「住所氏名に偽りはありません。身分証をお見せしましょうか」
菫 「免許証ですか」
亜紀 「いえ、パスポートを。ここへ来る前に、ちょうど窓口に立ち寄ったので」
菫 「拝見するには及びませんが。ご旅行でも?」
亜紀 「いわゆる、高飛びです」
菫 「真顔でジョークを仰るタイプのようで」
亜紀 「ジョークでも、からかっているつもりもありません。依頼のほうは、引き受けてくださるのでしょうか」
菫 「ほかの同業者を回られましたか?」
亜紀 「ここが50軒めです」
菫 「まさか」
亜紀 「本当は五軒めです」
菫 「どこも引き受けてはくれなかった?」
亜紀 「丁重に断られたのが二軒。病院を紹介されたのが一軒」
菫 「残りの一軒は?」
亜紀 「塩をまかれました」
菫 「まあそんなところでしょう。ここはベーカー街ではありませんからね。いやひょっとすると、これは古今東西、前代未聞の依頼になるかもしれない」
亜紀 「そこまで大袈裟なものでしょうか」
菫 「探偵に泥棒を依頼する者がおりますか?」
亜紀 「いないでしょうね」
菫 「あなたの依頼は、それと同じか、あるいはさらに、50歩先を進んでいる」
亜紀 「ほんとうに、殺めてほしいというのではありません」
菫 「アヤめる、とは古風な言い回しですね。これ(書類)には、はっきり『殺害』と書かれていますが」
亜紀 「書類には、はっきり書くべきかと」
菫 「別れた恋人をサツ……いえ、アヤめるための、50の方法を考えてほしい、と」
亜紀 「はい」
菫 「はっきり申し上げて、理解に苦しむご依頼です」
亜紀 「塩をまきたくなる気持ちが、わからないでもありません」
菫 「だいじょうぶですよ。それくらい自覚がある以上、少なくともあなたは、狂ってはいない」
菫 「助手がなかなか戻りませんね」
亜紀 「不都合がおありですか」
菫 「いまだに私は、お茶を出せずにおります」
亜紀 「どうぞお構いなく」
菫 「それにあいにく、名刺を切らしておりまして。印刷所に頼んでおいたものを、助手が引き取る手はずだったのです」
亜紀 「それが用件だったのですか」
菫 「いえ、たしかに用件はほかにあったのです。名刺のほうは、あくまでついでで」
亜紀 「一瞬でも名刺がないとこまりませんか」
菫 「ご覧のとおり、ナノレベルの零細企業でして。あなたが五日ぶりの来客となります」
菫 「たしかここに一枚だけ……(財布から取り出した名刺の皺を伸ばし)とりあえずこれでご勘弁を」
亜紀 (受け取って)「田中……スミレさん?」
菫 「石を投げれば、鈴木か佐藤か田中に当たるといわれます。平凡な姓に関する苦労なら、お互い言わずもがなでしょう。とくに探偵は、ちょっと奇抜な姓のほうが好まれるようです」
亜紀 「金田一とか御手洗とか中禅寺とか?」
菫 「そう。名前を聞いただけで、事件の異様さが連想されるような。実際、田中耕助では、せいぜい村の駐在といった役どころですよ」
亜紀 「フィクションにおいては、でしょう。興信所としては、ありふれた姓のほうが信用されませんか。それに、スミレという名前は奇麗です」
菫 「名前は、ね」
亜紀 「そんなつもりじゃ……」
菫 「いいんですよ。なりふり構っていられる商売ではありませんし。名前とのギャップが大きいほうが、記憶に残りますからね」
亜紀 「なでしこのように」
菫 「それは一億人の禁句ですよ」
菫 「考えるだけで宜しいのですか」
亜紀 「え?」
菫 「殺……いえ、アヤめる方法ですよ。50とおりの方法を、プランとして提出すればよいのでしょうか」
亜紀 「引き受けてくださるのですか」
菫 「要するに、見積もりが出せて、あなたに支払い能力があり、殺人幇助に問われなければ、取り引きは成立です」
亜紀 「プラン、と申しますと?」
菫 「まさか絞殺だの刺殺だのと、指折り50数えれば、済む話ではないのでしょう。少なくとも、あなたの元恋人が、どんな所に住んでいて、どんな生活を送っているか。調べ上げたうえで、実現可能な殺人計画を練る。これでよいのでしょう?」
亜紀 「それでお願いします」
菫 「助手は、なかなか戻りませんね」




