第9話 オーナーの目
その日、彼女は来なかった。
カフェのドアが鳴るたびに、無意識に顔を上げてしまう。
でも、入ってくるのは知らない客ばかりだった。
忙しくない時間帯。
だからこそ、余計なことを考えてしまう。
カップを拭きながら、昨日のことを思い出す。
視線を避けた。
距離を取った。
それが正しかったのかどうか、答えは出ていない。
「今日、静かだな」
背後から声がした。
カフェオーナーだった。
カウンターに肘をついて、店内を見渡している。
「そうですね」
短く答える。
「最近さ」
何気ない口調で続ける。
「例の子、見ないな」
一瞬、手が止まりそうになる。
でも、何事もなかったように動かし続ける。
「……そうですね」
オーナーは、それ以上突っ込まない。
ただ、こちらを見る目が少しだけ変わった。
「無理するなよ」
唐突に、そう言った。
意味を測りかねて、黙る。
オーナーは続ける。
「お前、今ここにいるのは」
一拍置いて、
「期限付きだろ」
その言葉で、現実がはっきりする。
産休に入っている、オーナーの妻。
戻ってくるまでの、代わり。
それ以上でも、それ以下でもない。
「わかってます」
そう答える声は、思ったより落ち着いていた。
「ならいい」
オーナーはそう言って、話を切り上げる。
それ以上、何も言わない。
でも、十分だった。
期限。
立場。
年齢。
全部、最初からわかっていたことだ。
それでも、彼女が来ない理由を、
自分の中で勝手に作り始めていることに気づく。
距離を取ったのは、こちらだ。
でも、取られた距離に、
少しだけ、胸が重くなる。
ドアベルが鳴る。
知らない客。
今日も、彼女は来ない。
それでいい。
そう思う。
思おうとする。
でも、閉店後、
片付けをしながら、
窓際の席を見てしまう自分がいた。




