第8話 行かない一日
その日は、カフェへ行かなかった。
朝起きて、スマホを手に取ったとき、
今日は寄らない、と決めた。
決意というほど強いものじゃない。
ただ、少し距離を置いたほうがいい気がした。
授業はいつも通りだった。
ノートを取り、教授の声を聞き流しながら、
頭の片隅で、別のことを考えている。
今ごろ、あのカフェは混んでいるだろうか。
彼は、いつも通りカウンターに立っているだろうか。
考えないようにしているのに、
想像は勝手に広がる。
大学を出て、駅へ向かう。
いつもの分かれ道に差しかかったとき、
足が止まった。
右に行けば、駅。
左に行けば、カフェ。
一瞬、迷って、
そのまま駅へ向かった。
電車に乗りながら、
胸の奥が、じわじわと重くなる。
正しい選択をしたはずなのに、
なぜか安心できない。
家に帰っても、落ち着かなかった。
夕方になり、外が暗くなる。
この時間帯なら、いつもカフェを出るころだ。
彼は、もう帰っただろうか。
そんなことを考えてしまう自分に、
小さくため息をつく。
会わなかった。
それだけのことなのに、
一日が長く感じた。
夜、女友達からメッセージが届く。
「どうだった?」
「行かなかった」
そう返すと、すぐに既読がついた。
「そっか」
それ以上、何も来ない。
画面を伏せて、天井を見る。
会わない選択は、
距離を置くためだったはずだ。
でも実際には、
彼の存在を、よりはっきり意識してしまっただけだった。
行かなかった一日が、
こんなに静かで、
こんなに騒がしいとは思わなかった。




