32/32
外伝 カウンターの向こう側
あいつがいなくなって、
店はちゃんと回っている。
それが、少し腹立たしい。
人ってのは、
いなくなってから価値が出るもんだと、
勝手に思っていたからだ。
「似てきましたよ」
新しいスタッフが言う。
「前にいた人に」
「そうか?」
答えながら、カウンターを拭く。
似てきたんじゃない。
教えたんだ。
あいつが。
聞かれもしないことを、
余計に。
閉店後、
コーヒーを淹れる。
二杯分。
癖だ。
一つは、いつもの場所に置く。
誰も座らない席。
「無駄だぞ」
独り言みたいに言う。
でも、片づけない。
あいつは、
何も持っていかなかった。
連絡先も、
約束も、
未来も。
ただ、
ちゃんと働いて、
ちゃんと去った。
「バカだな」
そう思う。
でも、
あれ以上、正しいやり方も思いつかない。
あの子も、
たまに来る。
視線は、もう探さない。
でも、席は決まっている。
同じ場所に、
同じ距離。
たぶん、
二人とも気づいていない。
あれは、
恋じゃなかった。
“救い”だ。
名前をつけなかったから、
壊れなかった。
神さまがいたとしたら、
相当、性格が悪い。
でも、
たまには悪くない仕事をする。
カウンターの向こうで、
今日も誰かがコーヒーを待っている。
それでいい。
それが、続く。




