第3話 先に気づいた人
三度目にそのカフェへ入ったとき、もう言い訳は用意しなかった。
大学帰り、少し疲れていて、静かな場所に座りたかった。
それだけで十分だと思った。
理由を重ねるほど、かえって不自然になる気がしたから。
ドアを開けた瞬間、カウンターの向こうに彼がいるのが見えた。
その視線が、一瞬こちらに向いた気がする。
気のせいだ。
そう思いながら、視線を外す。
席に着くまでの短い時間、
なぜか背中が落ち着かなかった。
見られている、というより、
気づかれている、という感覚に近い。
注文を済ませて、ノートを広げる。
今日は集中しようと決めていた。
三回目だし、もう特別なことじゃない。
しばらくして、コーヒーが運ばれてきた。
彼は何も言わず、静かにカップを置いた。
でも、今回は違った。
立ち去る前、ほんの一瞬、視線がこちらに残った。
確認するような目。
それでいて、踏み込まない距離。
胸の奥が、少しだけざわつく。
わたしが先に意識していると思っていた。
でも、もしかしたら――。
そんな考えが浮かんで、すぐに打ち消す。
相手はただの店員さん。
こちらを覚えているだけかもしれない。
ペンを走らせながら、彼の動きを追ってしまう自分に気づく。
忙しい時間帯なのに、彼は落ち着いていて、
周囲をよく見ているようだった。
新人、という印象は薄れていた。
ふと、彼が別の客と話している声が聞こえる。
低くて、ゆっくりした話し方。
無駄な言葉がなくて、少し意外だった。
この人は、何者なんだろう。
そんな疑問が、初めてはっきりと浮かぶ。
帰る前、レジで会計をするとき、
彼は一瞬だけ視線を上げた。
「ありがとうございました」
その声に、特別な響きはない。
それなのに、胸の奥に何かが残る。
外に出てから、気づいた。
今日は一度も、
「偶然」という言葉を頭の中で使っていなかった。
それが何を意味するのか、
まだ、考えないことにした。




