入道雲
晴天の夏空には、入道雲が在った。
それはただ大きく、風を吞み込み、流れに任せ空を漂っていた。
空をじっと眺める。
すると、空に浮かぶ雄大なその姿に見惚れ、感嘆するだろう。
商店街。喧騒や歓声。時折子供の泣き声。
人。喜びや悲しみ。そして怒り。
波。寄せて返す。時偶荒れる。
風。吹いて消える。
入道雲は漂って、それを大きく吸い込む。
風に運ばれ、波を眺め、人に眺められ、睨まれ。
感情の対象の理想形。
話はしないものの、その全てを受け止める姿は、人の心を。
入道雲。何処かに流れてゆく。
何処かに。
人の感情を推進力に変え、何処かに流れていく。
何処に行くのだろうか。
時偶考える。
入道雲が姿形を変えながら、動き、消えることもある。
感情も、その『材質』を変えながら、『動く』。そのまま忘れ去ることだってある。
あの日見た朝の入道雲。
あの日の昼に燦燦と輝く太陽に照らされる入道雲。
あの日の夕方に見た橙に染まる入道雲。
あの人と見た空高い入道雲。
あの子と見た夕暮れの入道雲。
入道雲は、記憶になる。
入道雲を見る。
すると、西瓜を食む記憶、自転車を一生懸命漕いだ記憶。
さらに、忘れかけていた人との記憶。何十年の前の記憶さえ蘇ってくるかもしれない。
記憶。それは思い出すことで固定化される。
入道雲は記憶の媒体となり、人々の目に焼き付けられる。