第九十二話:ケイレブの調査
ミーシャの瓦版が民衆の心を一つに結び直し、レオの経済戦争が膠着状態に陥っていた頃、街の騎士団の詰所では、静かな、しかし決定的な反撃の準備が進められていた。
ケイレブ様は、レオがこの街に現れた初日から、彼のやり方に、ただの商人ではない、もっと底知れない何かを感じ取っていた。彼は、円卓会議での議論や、私の厨房での葛藤を横目に、自らの最も信頼する部下たち――ギルド出身の、諜報と潜入を得意とするレンジャーたち――に、極秘の任務を与えていたのだ。
その任務は、ただ一つ。
「四海通商連合、及びレオナルド・デ・ロッシ。その正体を、徹底的に洗え」と。
レンジャーたちは、鳥のように、影のように、大陸中に散った。ある者は、連合の巨大な蒸気船に荷役人夫として潜り込み、海の向こうの本拠地を目指した。またある者は、レオが口にした過去の取引相手の国々へと、その足跡を追った。
そして、一月後。ボロボロになった彼らが、命がけで持ち帰ってきた情報は、私たちの想像を絶するほどに、恐ろしいものだった。
その夜、騎士団の作戦室には、ケイレブ様とドルフさん、そして私とミーシャ、ジロという、円卓会議とは別の、この街の真の中枢を担うメンバーが集められていた。テーブルの上に、レンジャーたちが持ち帰った、数枚の羊皮紙が広げられる。
「……これは」
最初に声を発したのは、ジロだった。彼の目が、信じられないというように見開かれている。
一枚目の報告書は、南方の、豊かな織物文化で知られた港町の末路を記していた。
数年前、その街に四海通商連合が現れた。彼らは、街の美しい織物を「世界的なブランドに」と持ちかけ、独占的なパートナーシップ契約を締結。最初は、街に莫大な富がもたらされた。
だが、数年後。連合は「品質の安定化」と「生産効率の向上」を名目に、伝統的な手織りの工房を次々と閉鎖させ、巨大な自動織機工場を建設。職人たちは、低賃金の工場労働者へと成り下がった。そして、街の織物から魂が失われた時、連合は「ブランド価値が低下した」として一方的に資本を引き上げ、街には、失われた伝統と、巨大な失業者だけが残されたという。
「……同じだ」ミーシャが、震える声で言った。「私たちにやろうとしていることと、全く同じ……」
二枚目、三枚目の報告書も、場所と産物が違うだけで、その内容は全く同じだった。北の国の良質な木材も、東の国の秘伝の酒も、全てがレオの「ブランド戦略」によって商品化され、魂を抜かれ、そして最後は搾りかすのように捨てられていた。
彼らは、文化を育てるのではない。文化に寄生し、その蜜を吸い尽くし、枯れたら次の宿主へと移る、巨大な蝗害そのものだったのだ。
そして、最後の報告書。それは、連合の本拠地に潜入したレンジャーからのものだった。
そこには、レオナルド・デ・ロッシという男の、驚くべき横顔が記されていた。
彼は、ただの商人ではなかった。彼は、この世界のありとあらゆる文化を、前世の知識で「解析」し、「商品価値」を数値化し、投資対象としてリストアップしている、恐るべき文化のコレクターであり、捕食者だった。
報告書の末尾には、彼が次に狙っているとされる「投資リスト」の一部が、命がけで書き写されていた。
『エルフの森の、千年樹のハチミツ』
『ドワーフの山の、伝説の地酒』
『人魚の国の、涙の真珠』
そして、そのリストの一番上に、ひときわ大きく、こう記されていた。
【麺聖女のラーメン:魂の値段、金貨百万枚】
「……ふざけやがって」
ドルフさんの拳が、テーブルを叩き割りそうなほどに、強く握りしめられる。
ケイレブ様は、静かに剣の柄に手をかけた。その瞳には、氷のような、静かな怒りの炎が燃えていた。
「これは、もはやビジネスではない。我々の文化と、誇りに対する、明確な侵略行為だ」
私たちは、ようやく敵の正体を理解した。
レオは、金儲けがしたいのではない。彼は、この世界の、人の心が作り出した温かい文化そのものを、彼の冷たい数字の世界で支配し、コレクションに加えたいのだ。
そして、そのコレクションの、最高の逸品として、私のラーメンに狙いを定めた。
「……ミーシャ」私は、震えるミーシャの肩に、そっと手を置いた。「契約書の、あの条項を、もう一度見せて」
彼女の目が、ハッと私を見る。
そうだ。ジロの警告。悪魔は、細部に宿る。




