第八話:駆け引きの余韻と聖女の次の一手
「『慎重に検討』、か」
司教と執事がそれぞれの従者を引き連れて去った後、工房には再び静寂が戻った。
ドルフさんは、私の放った一言を面白そうに反芻し、やがて腹を抱えて笑い出した。
「ククク……っ、傑作だ!あの狸と狐が、揃いも揃って鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしおって!聖女様、あんた、見かけによらず相当なタマだぜ」
ドルフさんからの意外な称賛に、私は乾いた笑みを浮かべるしかない。
(タマというか、前世で嫌というほど聞き、そして使わされた言葉なだけ……)
ミーシャは、羊皮紙に震える手で書きつけている。
「『しんちょうにけんとう』……いかなる権力者の圧力も無に帰す、聖なる言霊……!記録しました!」
ゴークは「よくわからんが、聖女様はすごい!」と拳を握りしめている。
私の助手たちの信頼度は、すでにカンストしているようだった。
「だがな、聖女様」と、ドルフさんは笑みを収め、鋭い目つきに戻る。
「あんたがやったのは、爆弾の導火線を少しだけ長くしたに過ぎん。奴らは、力尽くで奪うのが難しいと分かれば、次にもっと厄介な手で来るぞ」
ドルフさんの予測は、翌日から早速現実のものとなった。
まず動いたのは、神殿だった。
街のあちこちで、神官たちが説法を始めたのだ。
「聖女リナ様の奇跡は、我らが信奉する治癒の神が与えたもうた大いなる祝福!さあ、皆で神に祈りを捧げ、聖女様を支えましょう!」
……と、私の功績を、ちゃっかり自分たちの神様の手柄にすり替え始めたのだ。工房の前には、お祈りをする信者が現れ、司教ムツィオは「聖女様の厨房で使うとご利益が増す」などと称して、「清められた聖水」を大量に送りつけてきた。ただの井戸水である。
一方、領主側もぬかりなかった。
執事ヴァレリウスが、今度は満面の笑みで工房を訪れた。
「聖女様、領主様からの贈り物です。ご自由にお使いください」
そう言って彼が差し出したのは、王宮御用達の最高級小麦粉と、希少な岩塩の権利書だった。
「つきましては、生産された『奇跡』の十分の一ほどを、税としてではなく『感謝の献上品』として納めていただければ……」
こちらは、甘い蜜で私を絡め取り、既成事実を作って支配下に置こうという魂胆だ。
神殿は「信仰」という大義名分で。領主は「支援」という名の首輪で。
じわじわと、外堀が埋められていく。
このままでは、いずれどちらかに飲み込まれてしまう。
「……受け身では、ダメなんですね」
その夜、工房で一人、私は決意を固めた。
守りに入っていてはジリ貧だ。私が主導権を握るには、攻めるしかない。
そして、私の最大の武器は、やはり―――
翌日、私はドルフさんを工房に呼んだ。
「ドルフさん、新しいラーメンを作ります」
私の宣言に、彼は「ほう?」と興味深そうに眉を上げる。
「あの金色のラーメンは、権力者たちに見せつけるためのものでした。でも、私の、私たちの力の源は、あんな人たちじゃない」
私は、ギルドで汗を流す冒険者たちの顔を思い浮かべる。
「私たちの力は、日々モンスターと戦い、この街を守っている冒険者の皆さんです。彼らのための、新しいラーメンを作りたいんです」
私の提案に、ドルフさんの目がカッと見開かれた。
私は、工房の黒板に、前世の記憶を頼りに文字を書き出す。
【新作:濃厚体力味噌ラーメン】
コンセプト: 疲労回復、活力増強。冒険者のための「戦う糧」。
スープ: 豚骨や鶏ガラをベースに、この世界で見つけた「大豆を発酵させた塩辛いペースト(味噌もどき)」を溶かし込む。ニンニクと、身体を温める効果のある「炎ショウガ」をたっぷり効かせる。
麺: スープに負けない、食べ応えのある太麺。
具材: 分厚いチャーシュー、炒めた野菜、そして滋養強壮に効く「ギガトードの卵」の煮卵。
「……聖女様、こいつは」
ドルフさんがゴクリと喉を鳴らす。
「はい。前回のラーメンが貴族向けの『高級品』なら、これはギルド向けの『実用品』です。これを食べた冒険者が、前より長くダンジョンに潜れたり、強いモンスターを倒せたりするようになれば、どうなりますか?」
「……ギルド全体の収益が上がる。素材の供給も安定し、街も潤う。そして何より……」
ドルフさんは、私の言葉の続きを理解した。
「ギルドの冒険者たちは、神殿の祈りや領主の施しではなく、聖女様のラーメンこそが自分たちの力だと、心の底から理解するだろう。そうなれば、ギルドは一枚岩の、どこにも負けない強力な『派閥』になる……!」
そうだ。これが私の答えだ。
神殿が「信仰」で来るなら、私は「実利」で返す。
領主が「富」で誘うなら、私は「絆」で応える。
私の周りに、誰にも文句を言わせない、最強の「リナ派閥」を作り上げるのだ。
その中心にあるのは、神でも法でもない。
一杯の、熱々で、美味しくて、力がみなぎるラーメンだ。
「すぐにケイレブを呼べ!最高のニンニクと炎ショウガを探しに行かせるぞ!」
ドルフさんの声が、工房に響き渡った。
私の、静かな反撃が始まった。




