第八十五話:値踏みされる一杯
円卓会議での華々しいプレゼンテーションから二日後の昼下がり。レオナルド・デ・ロッシは、予告もなく、ふらりと『聖女の厨房』に姿を現した。行列に並ぶこともなく、彼の従者がミーシャに丁重に、しかし有無を言わせぬ態度で席を要求したため、店内は一瞬、気まずい空気に包まれた。
「……レオナルド様、こちらへどうぞ」
ミーシャは経営者として、内心の敵意を完璧に隠し、彼を一番奥のテーブルへと案内した。その一連のやり取りを、厨房から見ていた私は、エプロンの紐を固く結び直す。ついに来た、と。
レオは、メニューを一瞥すると、興味なさそうにそれを置いた。
「聖女殿」彼は、厨房の私に、まるで舞台上の役者に呼びかけるように言った。「あなたの店の、最も基本となる一杯をいただきたい。いわば、この店の『魂』を象徴する、シグネチャー・プロダクトをね」
プロダクト―――製品。
その、前世では聞き慣れた、しかしこの世界ではあまりに無機質な響きに、私の心臓が小さく跳ねた。私は無言で頷くと、一杯の、何の変哲もない醤油ラーメンを作り始めた。革命の後、街の人々の心を繋いだ、あの復興の味。私の原点であり、魂そのものと言える一杯だ。
完成したラーメンを、ゴークが、いつもより少しだけ緊張した面持ちで、レオのテーブルへと運んだ。
レオは、まずその見た目を、鑑定士のように細かく観察した。スープの色、麺の太さ、具材の配置。そして、香りを楽しむように、湯気を一度だけ吸い込む。
彼は、レンゲでスープを一口すすると、すぐに飲み込まず、舌の上で数秒間転がし、その複雑な風味を分析しているようだった。次に、麺を一本だけ持ち上げ、その食感と喉越しを確かめる。それは、食事を楽しむ者の姿ではなかった。商品を、その構成要素へと分解し、値踏みする査定人の姿だった。
どんぶりの半分ほどを食べ終えた後、彼は静かにレンゲを置いた。
そして、満足げに、そしてどこか侮蔑的に、私に向かって拍手をした。
「……ブラボー。素晴らしい製品だ、聖女殿」
その言葉に、店内にいた常連の冒険者たちが、侮辱されたかのように顔をしかめるのが分かった。
レオは、全く意に介さず続ける。
「鶏ガラと野菜のベースに、魚介系の旨味を重ねているな。シンプルながら、強い中毒性がある。大衆受けする、見事な味の設計だ。このブランドストーリーと組み合わせれば、最高の商材になる」
彼は、まるで自分の企画書でも読み上げるかのように、淀みなく語った。
「もちろん、世界展開するには、いくつかの最適化が必要になるだろう。この手打ち麺は、品質が安定しない。セントラルキッチン方式で、規格化された麺を供給する必要がある。スープも、もう少しレシピを単純化(シンプル化)し、原価を抑えつつ、どの店舗でも同じ味を再現できるようにしなければ」
コスト。規格化。セントラルキッチン。
私の頭の中で、前世の記憶が、警鐘のように鳴り響いていた。それは、食の温もりを、効率と利益という名の巨大な機械にかけ、魂のない商品へと変えていく、冷たい魔法の言葉だった。
「……私のラーメンは」
私は、自分でも驚くほど、静かな声で言った。
「製品では、ありません」
その言葉に、レオは初めて、心から楽しそうに笑った。
「そう。それだ。その『こだわり』や『感傷』こそが、この製品の最高の付加価値になるのだよ、聖女殿。我々が世界に売るのは、ラーメンという食べ物だけではない。あなたのその『物語』ごと、売るのだ。心配せずとも、あなたの魂は、我々が最も高く評価し、価格設定に反映させてみせよう」
彼は、テーブルに金貨を一枚置くと、優雅に立ち上がった。
「素晴らしい試食だった。近いうちに、契約の具体的な話をしよう」
レオが去った後、店には、彼の放った冷たい言葉の残滓が、重く漂っていた。
常連たちは、怒りに顔を真っ赤にしている。ミーシャは、悔しそうに唇を噛み締めていた。
私は、ただ、自分の店の寸胴鍋を見つめていた。
あの温かい湯気が、今だけは、まるで工場から吐き出される、無機質な煙のように見えていた。




