第七十八話:神饌(しんせん)ラーメン、完成
広場の喧騒が、嘘のように静まり返った。
街の全ての想いが注ぎ込まれた「魂のスープ」と「生命の麺」。その二つが、今、祭壇の上で、その最後の融合の時を待っていた。
もはや、それは単なる調理ではなかった。街の、そして世界の運命を賭けた、荘厳な儀式だった。
私は、深呼吸を一つすると、祭壇の中央に立った。
まず、街の職人がこの日のために焼き上げた、純白の陶器のどんぶりを、清められた布で丁寧に拭き上げる。
「ジロさん」
私の呼びかけに、ジロは無言で頷くと、彼の隣に置かれた水晶のフラスコを慎重に傾けた。
中から、太陽の光を凝縮したかのような、黄金色のスープが、一条の光となってどんぶりへと注がれていく。その瞬間、広場全体に、再びあの生命の息吹そのもののような、温かく、そして清らかな香りが満ち満ちた。
ジロは、魔法で器を完璧な温度に保ちながら、私に視線を送る。次は、お前の番だ、と。
私は、仲間たちが打ってくれた、光を放つ麺の塊を受け取った。
その重みは、ただの小麦粉のものではなかった。街の人々の、希望の重みそのものだった。
私は、その麺を、沸騰した大鍋の中へと、そっと滑らせる。
ジュワッという音と共に、麺に練り込まれた人々の想いが、湯気となって立ち上り、私を優しく包み込んだ。
麺が茹で上がる、わずかな時間。
私の脳裏に、この街に来てからの、全ての出来事が走馬灯のように駆け巡った。
初めてカップラーメンを作った、あの厨房での孤独な夜。
領主や王国の権力に、仲間たちと共に立ち向かった、炎の日々。
そして、好敵手であるジロと出会い、反発し、やがて一つの厨房に立った、この奇跡のような瞬間。
その全てが、この一杯のためにあったのだ。
「……よし」
完璧なタイミングで麺を湯切りし、黄金のスープの中へと、美しく折り畳むように盛り付ける。
魂が、その身体を得た瞬間だった。
最後の仕上げは、トッピング。
ジロが、彼の完璧な技術で、究極の熟成肉を、紙のように薄く切り分けていく。私が作った醤の生命力を吸ったその肉は、もはやただのチャーシューではなく、芸術品だった。
その肉を、私が麺の上に、花びらのようにそっと乗せる。
弟子たちが、森の香草、湖の昆布、そして山のキノコを、彩りよく添えていく。
最後に、私は、子供たちが育てた小麦の穂を、一本だけ、どんぶりの中心に、祈りを込めて飾った。
―――完成した。
その一杯が完成した瞬間、どんぶりから、淡い、しかし誰もがはっきりと視認できるほどの、黄金色のオーラが、温かい湯気と共に立ち上った。
それは、ただ美味しそうなのではなかった。見ているだけで、心が満たされ、魂が温まるような、生命力そのものの輝きだった。
広場にいた人々は、その神々しい一杯を前に、言葉を失い、ただ静かに、涙を流していた。「静かなる飢餓」に蝕まれていた彼らの心が、その光景だけで、わずかに癒されていくのが分かった。
ジロは、その一杯を、そしてその一杯を慈しむように見つめる私の横顔を、静かに見ていた。
そして、彼は、初めて、穏やかな声で言った。
「……行け。お前のラーメンが、世界を救うところを、この目で見届けてやる」
それは、彼の、最大限の賛辞だった。
私は、力強く頷いた。
ミーシャが、この日のために用意してくれた、魔法で保温・保冷され、中身を完璧に保護する、特殊な運搬用の箱に、その「神饌ラーメン」をそっと納める。
ずっしりと、重い。
それは、街の、そして世界の未来の重みだった。
私は、その箱を背負い、仲間たちに見送られながら、西の門へと向かった。
ケイレブ様と、彼の騎士たちが、私を待っている。
目指すは、世界の果て、「忘却の谷」。
飢えたる大地の精霊を、この温かい一杯で満たすための、最後の旅が、今、始まる。




