第七十七話:最後の麺打ち
黄金に輝く、生命のスープ。
それは、私とジロの知恵と技術、そして街の人々の想いが一つになって生まれた、神饌の「魂」だった。だが、どれほど崇高な魂であろうと、それを受け止める「身体」がなければ、その力は発揮されない。
一杯のラーメンにおける、最後の、そして最も重要なピース。麺。
その創造が、私たちの最終工程となった。
広場の中央に、街一番の木工職人が、この日のために作り上げた、巨大な麺打ち台が設置される。その横には、石臼が置かれ、山のように積まれた小麦の粒が、その出番を静かに待っていた。
「……この小麦は」
その光景を見ていたジロが、分析魔道具を片手に、驚きの声を上げた。
「生命力の数値が、異常に高い。私が知る、どの品種よりもだ。一体どこでこれを……?」
私は、広場の片隅でこちらをキラキラした目で見つめている、子供たちの一団に、優しい視線を送った。
「これは、前の建国祭の時、子供たちが育ててくれた小麦を、種籾にして、この二年、街の畑で大切に育ててきたものなんです。この小麦には、この街の未来そのものが詰まっています」
私の言葉に、ジロは息をのんだ。彼が金で買い集めた、どんな最高級の品種改良小麦も、この子供たちの希望が詰まった一粒には、敵わないのかもしれない。
「さあ、始めよう!」
ドルフさんの号令で、まず、ギルドの冒険者たちが、力強く石臼を回し始めた。ゴリゴリという音と共に、生命力に満ちた小麦が、芳醇な香りを放つ、黄金色の粉へと変わっていく。
次に、その小麦粉が、巨大なこね鉢へと移される。
そこに注がれるのは、ドルフさんが自ら汲んできた、街の井戸の、一番水。そして、ケイレブ様が「竜の顎」から持ち帰った、浄化の力を持つという、古代の岩塩が溶かし込まれる。
「かん水」の代わりには、森で見つけた特殊な木の実の灰を使った。それは、麺に独特のコシと、豊かな風味を与えてくれる。
全ての材料が、鉢の中で一つになった。
ここからが、本番だった。
「このスープは、魂です」
私は、集まってくれた街の人々に向かって、静かに語りかけた。
「だから、この魂を受け止める、最高の『身体』が必要なんです。そして、この麺は、私一人では打てません。この街の、みんなの想いを練り込まないと、本当の神饌にはならないから」
私の言葉を合図に、人々は、一人、また一人と、麺打ち台の前へと進み出た。
最初にこね始めたのは、野菜を育ててくれた、農夫の夫婦。その土の匂いが染みついた、節くれだった手が、生地に大地の力を与える。
次に、鉄を打ち続けた、鍛冶屋の親方。その力強い拳が、生地に鋼のようなコシを与える。
子供を抱く母親、本を読む学者、歌を歌う吟遊詩人。
一人一人が、自らの人生と、街への祈りを込めて、一度だけ、その生地をこねていく。
ミーシャは、涙をこらえながら、その光景を記録していた。彼女の涙の塩分が、きっと最高の隠し味になるだろう。
最後に、ゴークが、その山のような巨体で、全ての想いが込められた生地を、一つにまとめ上げた。
その光景を、ジロは、少し離れた場所から、ただ黙って見ていた。
(……非効率だ。不衛生ですらある。一人一人の加える力が不均一では、完璧なグルテンの形成など、ありえん)
彼の科学者の脳が、そう警鐘を鳴らす。
だが、彼の目の前で起きている現象は、彼の理解を、完全に超えていた。
こねられていく生地が、次第に、内側から、淡い、温かい光を放ち始めたのだ。
彼の分析魔道具が、警報のような音を立てる。表示された生命力の数値は、もはや測定不能の領域にまで、跳ね上がっていた。
「……そういうことか」
ジロは、呆然と呟いた。
「これが、お前の言う『心』の正体か。観測不能なエネルギー……祈り、感謝、愛情。それらが、物理法則を超えた、奇跡の触媒となる……」
彼は、生まれて初めて、自らの科学の、その先にある世界を、垣間見た気がした。
全ての想いを吸い込んだ生地を、最後に私が受け取る。
私は、全神経を集中させ、その生命の塊を、ゆっくりと、丁寧に、一本の麺へと切り出していく。
完成した麺は、ジロが作るような、完璧に均一なものではなかった。
一本一本が、違う表情をしている。あるものは力強く、あるものは優しく、あるものは少し不格好で、笑っているかのようだった。
だが、その全体が、一つの生命のように、穏やかに呼吸しているかのように見えた。
魂のスープ。
そして、生命の麺。
神饌ラーメンの、全てのピースは、今、ここに揃った。




