第七十四話:街の総力戦
私とジロが、レンジャーの報告を携えて街へ帰還した時、その空気は私たちが旅立つ前とは比べ物にならないほど、重く、沈んでいた。人々は「静かなる飢餓」の正体を知らぬまま、ただ色褪せていく日常と、満たされない空腹に、静かな絶望を募らせていた。
だが、私たちが持ち帰った真実は、その絶望に、再び火を灯すための薪となった。
円卓会議の議場は、かつてないほどの緊張感に包まれていた。ドルフさん、ミーシャ、ゴーク、そして全ての代表者たちが、私たちの報告を固唾をのんで見守っている。
まず私が語った。古代の壁画が示した、「発酵」と「乾燥」という失われた調理法。そして、ケイレブ様たちが命がけで突き止めた、「味喰らい」の正体。それが、大地そのものの、哀しい叫びであるということを。
「……つまり、敵は討伐する魔物じゃねえ。腹を空かせた、この大地そのものだってのか」
ドルフさんの声が、重く響く。
次に、ジロが立ち上がった。彼は、自らの分析データを全員に見せながら、冷徹な科学者の口調で、しかし、以前とは違う確かな熱を込めて語った。
「感傷で言っているのではない。論理的帰結だ。我々が今経験している『生命力の収奪現象』は、飢えたる存在による『捕食』と仮定すれば、全てのデータが一致する。そして、その巨大な飢えを満たすには、我々の世界の常識を超えた、膨大な生命エネルギーを持つ一皿……『神饌』を創造する以外に道はない」
議場は、静まり返った。あまりにも壮大で、あまりにも荒唐無稽な話。だが、莉奈の「心」からの訴えと、ジロの「科学」からの証明。その二つが合わさった時、それは抗いがたい真実として、代表者たちの胸に突き刺さった。
ドルフさんは、ゆっくりと立ち上がると、議場にいる全員の顔を見渡し、そして言った。
「……もう、ごちゃごちゃ議論してる時間はねえようだな。やることは、決まった」
彼は、テーブルを拳で叩き、力強く宣言した。
「これより、この街の全ての機能を停止する!商業も、ギルドの依頼も、全てだ!俺たちの、たった一つの、最優先事項!それは、街の存亡を賭けた、最後のラーメン作りだ!全員、異論はねえな!」
その日、街は、一つの巨大な厨房へと姿を変えた。
中央広場には、円卓会議の名の下、全ての市民への召集がかかった。
「冒険者どもは、薪を割れ!寸胴の火を、決して絶やすな!」
ドルフさんの号令一下、ギルドの戦士たちが、森から切り出した大量の薪を運び込み、巨大な寸胴鍋の下で、轟々と炎を燃え上がらせ始めた。
「職人たちは、道具を作れ!我々が作るは、神に捧げる一杯だ!中途半端な仕事は許さんぞ!」
街の鍛冶屋や木工職人たちが、この日のために、特別な調理器具を打ち、巨大な麺打ち台を組み上げていく。
ジロは、広場の一角に、彼のラボから持ち込んだ魔道具を設置し、臨時の一大研究室を構築した。
「野菜班、糖度と生命力値が基準に満たないものは全て弾け!」「水班、魔法で不純物を完全に除去した後、軟水化処理を施せ!」
彼の的確で、一切の妥協を許さない指示が、完璧な下準備の土台を築き上げていく。
そして、私は、その全ての中心にいた。
「農家の皆さん、ありがとう!この野菜の生命力、しっかり受け取りました!」「子供たち、豆をありがとうね!みんなの優しい気持ちが、最高の隠し味になるから!」
私は、街の人々が次々と運び込んでくる食材を、一つ一つ受け取り、その一つ一つに込められた想いを、厨房の仲間たちへと繋いでいく。
かつてはいがみ合っていた『聖女の厨房』派も、『極』派も、もはやそこにはなかった。
誰もが、ただ一つの目的のために、汗を流し、声を掛け合い、笑い合っている。
それは、革命の時とも、防衛戦の時とも違う、生命を「創造」するための、喜びに満ちた総力戦だった。
夕暮れ時。広場は、無数の松明と、寸胴鍋から立ち上る湯気で、幻想的な光景に包まれていた。
私は、組み上げられたやぐらの上から、その光景を見下ろしていた。隣には、同じように、その壮大な共同作業を見つめる、ジロの姿があった。
「……非合理的だ。これほどの人間が、たった一杯のスープのために動くなど」
彼は、静かに呟いた。だが、その声に、以前のような侮蔑の色はなかった。
「だが……不思議と、不快ではない」
私は、彼の横顔を見て、微笑んだ。
「ええ。これが、私たちの街の味ですから」
街の全てが、一つの厨房となった。
究極の一杯、「神饌」を創造するための、長い、長い一日が、始まった。




