第七十一話:古代のヒント
私とジロの間の冷たい亀裂は、修復されないまま、旅は続けられた。私たちの従者たちも、二つの焚き火の間で、どうすればいいのか分からずに、ただ気まずそうにしている。この旅の成功を、誰もが信じられなくなっていた。
そんな重苦しい雰囲気の中、私たちは旅の開始から一週間後、ついに最初の目的地である、古代文明の遺跡群の一つにたどり着いた。
そこは、「太陽の神殿」の跡地だった。かつては壮麗だったであろう石造りの神殿は、長い風雨に晒され、今は崩れかけた柱と、苔むした祭壇だけが、その名残を留めている。荒涼とした大地に、忘れ去られた神々の骸が横たわっているかのようだった。
「……ここか」
ジロは、遺跡を値踏みするように見渡すと、すぐに従者に命じて、携帯用の分析魔道具の準備を始めた。
「祭壇周辺の残留魔力と、石材に残された有機化合物の痕跡をスキャンする。効率的に、データだけを抽出しろ」
彼のやり方は、徹頭徹尾、科学的だった。
「待ってください」私は、彼の行動を制した。「神饌のヒントは、そんな数字の中にはないかもしれません。私たちは、ここで暮らしていた古代の人々が、何を考え、何を祈りながら料理をしていたのか……その『心』を知る必要があるんです」
「心、だと?」ジロは、心底馬鹿にしたように、鼻で笑った。「また感傷か。祈りでスープの味が変わるとでも?非合理的にもほどがある」
まただ。私たちの議論は、決して交わらない。
「……もういいです。別々に探しましょう」
私は、彼に背を向け、祭壇ではなく、かつて神官たちの居住区だったであろう、小さな建物の残骸の方へと歩き出した。
ジロは、舌打ちを一つすると、自らの分析作業に没頭し始めた。彼の魔道具が、祭壇の石に青白い光を当て、微量な残留物質を分析していく。数時間後、彼の魔道具が、甲高い音を発した。
「……見つけたぞ」
祭壇の石の表面から、彼は、肉眼では見えないほどの、微細な有機物の痕跡を発見した。分析データは、驚くべき結果を示していた。複数のアミノ酸――グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸――が、ありえないほど複雑に、そして高濃度で結合した痕跡。それは、単一の食材からは決して生まれ得ない、奇跡的な「旨味の相乗効果」が、かつてここで起きていたことを、科学的に証明していた。
彼は、近くに落ちていた石板の破片も発見した。そこには、風化してほとんど読めないが、『温度、三つ刻み』『湿度、影干しにて』といった、調理法の一部らしき記述が残されていた。
彼は、料理の「結果」を示す、完璧なデータと、断片的な「方法」を手に入れた。だが、最も重要な「なぜ」「何を」という部分が、抜け落ちていた。
一方、私は、神官たちの居住区の、かろうじて風化を免れた内壁の前に立っていた。
そこには、一連の、色褪せた壁画が描かれていたのだ。
一枚目の壁画には、人々が、山の幸であるキノコや木の実と、海の幸である魚や海藻を、それぞれ収穫している様子が描かれていた。
二枚目には、その山の幸を、巨大な甕に入れ、暗く涼しい洞窟の中で、蓋をして寝かせている様子が。これは、明らかに「発酵」のプロセスだった。
三枚目には、海の幸を、太陽の下で、風に当てて干している様子が。これは、「乾燥」のプロセスだ。
そして、最後の、最も大きな壁画。
そこには、神官が、発酵させた山の幸から生まれた液体と、乾燥させた海の幸から生まれた液体、その二つの流れを、一つの器の中で、渦を巻くように合わせている姿が描かれていた。
その瞬間、私の脳裏に、電撃のような閃きが走った。
―――これだ!
彼らは、ただ食材を煮込んでいたのではない!
山の幸を「発酵」させることで、グルタミン酸を引き出し、海の幸を「乾燥」させることで、イノシン酸を凝縮させていたんだ!そして、その二つを合わせることで、奇跡的な旨味の相乗効果を生み出していた!
その日の夕暮れ。私たちは、遺跡の中央で、再び顔を合わせた。
「……驚くべきデータを発見した」ジロが、切り出した。「古代人は、我々の理解を超える、完璧な旨味の調合を行っていたようだ。だが、そのプロセスは不明だ」
「……プロセスなら、分かりましたよ」
私は、壁画に描かれていた内容を、彼に説明した。発酵と乾燥。山の幸と海の幸の融合。
私の説明を聞き終えたジロの顔から、初めて、余裕の色が消えた。
彼の見つけた、断片的な「データ」と、私の見つけた、壮大な「物語」。その二つが、パズルのピースのように、カチリと音を立ててはまったのだ。
彼が発見した複雑なアミノ酸の正体は、この発酵と乾燥によって生まれたものだった。石板に書かれた不可解な調理法も、全てが繋がった。
「……お前の『感傷』が、私の『科学』を、完成させたとでも言うのか」
ジロは、悔しそうに、しかし、どこか初めて私を対等な存在として認めるような目で、私を見つめた。
私たちの間にあった、高く、冷たい壁が、少しだけ、溶けたような気がした。
神饌への道は、まだ遠い。
だが、私たちは、初めて、同じ地図の上に、同じ一歩を、確かに記したのだ。




