第六話:天と地のスープ、そして決戦の刻
「聖女の奇跡工房」は、さながら要塞と化していた。
ドルフさんの指示で、工房の周囲には歴戦の冒険者たちが固め、外部からの侵入者を一切遮断している。内部では、私とゴーク、ミーシャの三人が、来たるべき決戦に向けて準備を進めていた。
「いいか、お前たちの仕事は聖女様をお守りし、奇跡の邪魔をさせないことだ。蝿一匹たりとも通すなよ!」
ゴークが、工房の入り口で仁王立ちになりながら警備の冒険者に檄を飛ばしている。
「聖女様、これが今回の奇跡の記録です。一語一句、間違いなく書き留めます…!」
ミーシャは、いつも以上に真剣な眼差しで、私の手元と羊皮紙を交互に見つめている。
そして私は、彼らの期待を一身に背負い、新たなラーメンの開発に没頭していた。
前回のカップラーメンは、いわば「民衆」のためのもの。日持ちがして、手軽で、腹を満たす慈悲の味だ。
だが、今回対峙する相手は、肥えた舌と、疑り深い心を持つ権力者。
彼らを黙らせるには、圧倒的な「格」と「物語」を叩きつけなければならない。
コンセプトは『天と地の恵み』。
ちょうどその時、ケイレブ様率いる第一回『聖地巡礼団』が、満身創痍で帰還した。彼らが命がけで持ち帰った希少な食材こそ、今回の奇跡の核となる。
【天の恵み:雲雀鶏の清湯スープ】
標高三千メートルを超える雲上の岩山にのみ生息するという幻の鳥、「雲雀鶏」。そのガラを、一切煮立たせることなく、ごく弱火でじっくりと煮込む。黄金色に透き通ったスープは、雑味が一切なく、天上のものとしか思えないほど気品に満ちた香りを放つ。
【地の恵み:月光猪の白湯スープ】
月光を浴びた石清水しか飲まないという、これもまた幻の魔獣、「月光猪」。その骨を、今度は強火で叩きつけるように煮込み、骨の髄まで旨味を絞り出す。乳白色に乳化したスープは、大地そのものを凝縮したかのような、力強くも優しい味わいだ。
この二つのスープを、絶妙な比率で合わせる「ダブルスープ」。
天の気品と、地上の力強さ。相反する二つが合わさった時、互いを高め合い、次元の違う旨味へと昇華する。
「聖女様……スープが、光って見えます……」
ミーシャが恍惚とした表情で呟いた。
麺は、雪解水で育てられた最高級の小麦を使い、手揉みで丁寧に仕上げる。
トッピングは、月光猪の柔らかなロース肉を使ったチャーシュー、雲雀鶏の卵を使った完璧な半熟煮卵、そしてドルフさんが「ハッタリも重要だ」と言ってどこからか仕入れてきた、食用金粉を振りかける。
それはもはや、ラーメンという名の芸術品だった。
前世の記憶を総動員し、私が持てる知識と技術のすべてを注ぎ込んだ、一杯の祈り。
そして、運命の日がやってきた。
工房の中央には、白布をかけたテーブルと、三つの椅子だけが置かれている。
やがて、重々しい扉が開き、二つの派閥が入室してきた。
片や、司教ムツィオ率いる神官たち。その場を浄化するかのように、厳粛な空気をまとっている。
片や、執事ヴァレリウス率いる領主の側近たち。値踏みするような視線で、工房の隅々まで観察している。
両者はテーブルに着くや、互いに敵意のこもった視線を交わし、部屋の温度が数度下がったように感じられた。
ドルフさんが、両者の間に立つようにして咳払いをする。
「本日は、聖女リナ様の『特別聖餐式』にお越しいただき、感謝申し上げる。聖女様はただ、その奇跡を披露するのみ。余計な問答は、その後にしていただこう」
その言葉を合図に、私は静かに二つの器を運んだ。
黄金色に輝くスープ。寸分の乱れもなく折り畳まれた麺。宝石のように配置された具材。そして、立ち上る、誰も嗅いだことのない神々しい香り。
トン、トン、と二つの器がテーブルに置かれた瞬間。
あれほど険悪だった司教と執事の視線が、初めて一つの場所―――眼前のラーメン―――に釘付けになった。
彼らの喉が、ごくりと鳴るのが聞こえた。
疑いも、野心も、敵意すらも一瞬だけ忘れさせ、ただ食欲という根源的な欲求の前に無防備にさせる。そんな圧倒的な存在感が、その一杯にはあった。
私は静かに頭を下げ、告げた。
「お召し上がりください。これが、私の祈りです」
さあ、食事の時間だ。




