第六十八話:二つの遠征隊
私の言葉は、絶望に満ちていたラボの空気を切り裂く、一筋の光となった。
「……古代文明の、食文化、だと?」
ジロが、初めて感情の揺らぎを見せる。彼の瞳の奥で、科学者としての知的好奇心と、料理人としてのプライドが、激しく火花を散らした。
そうだ。私たちは、この世界の人間ではない。ラーメンという、この世界には存在しなかったはずの「失われた古代文明の食文化」を知る、唯一の生き残り。神饌のレシピが存在しないのなら、私たちの記憶と知識を総動員して、ゼロから再構築する。それしか、道はない。
「無茶だ!」ドルフさんが、思わず叫んだ。「だが……それしか、道はねえ、か」
絶望的な状況の中で、初めて生まれた、あまりにも無謀で、しかし唯一の希望の糸。その場の全員が、私とジロの顔を、固唾をのんで見つめていた。
翌日、円卓会議は、街の存亡を賭けた、最も重い議題で開かれた。
私とジロ、そしてセオドーラ様が、これまでの調査結果と、古文書の絶望的な予言を、代表者たちに報告する。議場は、死のような沈黙に包まれた。
「……つまり、俺たちは、幻の料理の、存在しねえレシピを探しに行けってことか」
ドルフさんが、絞り出すように言った。
その言葉に、私が力強く頷く。
「はい。ですが、ただ闇雲に探すのではありません。古文書には、二つの重要な手がかりが残されていました」
セオドーラ様が、古文書の別のページを指し示した。
「一つは、『味喰らい』が封印されているという、王国の最果て、人跡未踏の『忘却の谷』。元凶の性質を理解することが、解決の鍵となるやもしれません」
続けて、私はもう一つの手がかりを告げた。
「そして、もう一つ。神饌が最後に捧げられたとされる、古代文明の『太陽の祭壇』。そこには、失われたレシピのヒントが残っている可能性があります」
二つの目的地。二つの、絶望的なほどに遠い希望。
会議は紛糾した。街の戦力を、二つに分散させるなど、あまりに危険な賭けだったからだ。だが、最終的に、ドルフさんが、議長の権限で決断を下した。
「……もう、迷ってる時間はねえ。やるしかねえんだ。二つの遠征隊を結成する!」
こうして、街の未来を賭けた、二つの部隊が組織されることになった。
一つは、ケイレブ様が率いる、ギルドの精鋭たちで構成された「討伐・調査部隊」。
彼らの任務は、険しい山脈を越え、魔物が跋扈する「忘却の谷」へと到達し、「味喰らい」の正体と、その封印の状態を調査すること。それは、剣と勇気だけが頼りの、純粋な武力遠征だった。
そして、もう一つ。
それは、この世界の誰もが、前代未聞だと眉をひそめる、奇妙な二人組の旅だった。
私と、ジロ。
私たちは、「神饌」のレシピの手がかりを求めて、古文書に記された古代文明の遺跡群を巡る、「食文化探求隊」を結成することになったのだ。
出発の日の朝。街の広場は、静かな、しかし熱い決意に満ちていた。
西門には、重装備に身を固めたケイレブ様の部隊が整列している。ドルフさんが、一人一人の肩を叩き、無言で激励を送っていた。
「ケイレブ様、どうかご無事で」
「ああ。リナ殿もな。必ず、生きて帰還する」
短い言葉の交換に、揺るぎない信頼がこもっていた。
そして、東門。そこにいたのは、対照的な二人組だった。
旅装に身を包んだ私と、汚れ一つない純白の調理衣の上に、黒いコートを羽織ったジロ。私たちの荷物は、剣や盾ではない。私が背負うのは、使い慣れた調理器具の詰まった背嚢。ジロの従者が持つのは、錬金術で作られた、携帯用の分析魔道具が入ったアタッシュケース。
「……行くぞ」
ジロは、私を一瞥もせず、冷たく言い放った。
「足を引っ張るなよ、感傷料理人」
「そちらこそ、頭でっかちな科学者さん。料理は、実験室で起きてるんじゃないんですよ」
旅の始まりから、私たちの間には、険悪な火花が散っていた。
二つの遠征隊が、それぞれの門から、街の外へと歩みを進める。
片や、未知の脅威に立ち向かう、勇者の旅立ち。
片や、失われた味を求める、反発しあう天才たちの、奇妙な二人旅。
街の、そして世界の運命は、この二つの、あまりにも異なる旅路の先に、委ねられたのだ。




