第六十七話:絶望的な予言
セオドーラ様が禁書庫から持ち帰った古文書は、私たちのラボのテーブルの中央に、重々しい存在感を放って横たわっていた。そのページに記された古代の文字が、私たちの世界の運命を告げている。誰もが、彼女の次の言葉を、息を殺して待っていた。
「古文書は語ります」
セオドーラ様は、埃っぽいページを、敬虔な手つきでなぞりながら続けた。
「『味喰らい』は、悪意ある存在ではありません。それは、かつて世界が豊かだった時代、人々が食への感謝を忘れ、食べ物を蔑ろにし始めたことで生まれた、大地の嘆き、飢えの悲しみそのものが具現化した、哀れな精霊なのだと」
その言葉に、私たちはハッとした。敵は、討伐すべき邪悪なモンスターではなかったのだ。
「人々が、食事をただの作業とし、味わうことを忘れ、感謝の念が薄れるほど、『味喰らい』はその力を増し、活性化します。そして、大地や食材から『生命力』を喰らい、自らの飢えを満たそうとする。それが、『静かなる飢餓』の正体です」
ジロが、冷徹な声で問いを挟んだ。
「……つまり、我々が美食を追求し、この街が豊かになったこと自体が、逆に世界の他の場所で食への関心を薄れさせ、この災厄を呼び覚ます引き金になった、とでも言うのか」
「その可能性は、否定できません」セオドーラ様は、静かに頷いた。「豊かさは、時として忘却を生みますから」
その事実は、重い十字架のように、私たちの肩にのしかかった。私たちの成功が、世界の飢餓を加速させていたのかもしれない。
「では、どうすれば……。どうすれば、その『味喰らい』を鎮めることができるのですか!」
私が、必死に尋ねる。
セオドーラ様は、古文書の、最後のページを指し示した。そこには、一枚の、かすれた挿絵が描かれていた。それは、古代の祭壇に、湯気の立つ一杯の器が捧げられている絵だった。
「予言は、こう締めくくられています」
彼女は、その絶望的な一文を、ゆっくりと読み上げた。
『味喰らいの飢えを満たし、その魂を鎮め、再び大地を眠りにつかせるには、神々の時代の『神饌』に匹敵する、究極の一皿を捧げる他なし』
「……神饌……?」
聞き慣れない言葉に、私たちは顔を見合わせた。
「神々が、その食卓で食したとされる、伝説の料理です」セオドーラ様は、静かに続けた。「食材の持つ生命力を、百パーセント……いえ、それ以上に引き出し、食した者の魂を、根源から満たすことができる、奇跡の一皿。ですが……」
彼女の顔に、深い絶望の影が差した。
「……そのレシピは、神々の時代と共に、完全に失われています。どんな食材を使い、どのような調理法を用いたのか、それを知る者は、もはやこの世界のどこにも存在しません」
厨房は、死のような沈黙に包まれた。
それは、あまりにも理不尽な宣告だった。
世界の危機を救う鍵は、存在しない「幻のレシピ」だというのだ。それは、もはや「不可能」を宣言されたに等しかった。
「……つまり」ジロが、壁に寄りかかり、自嘲するように呟いた。「我々は、宝の地図も持たずに、存在するかどうかも分からない宝を探せ、と言われているわけか。馬鹿げている」
ドルフさんも、ケイレブ様も、言葉を失っていた。どんな強大な敵が相手でも、彼らは臆さなかっただろう。だが、敵は「存在しない」という、絶対的な壁だった。
希望は、ないのか。
私たちの厨房も、この街の食卓も、世界と共に、ただ静かに色褪せていくだけなのか。
私が、膝から崩れ落ちそうになった、その時だった。
私は、思い出したのだ。
私の、この世界の誰とも違う、唯一の武器を。
失われたレシピ?古代文明の叡智?
それこそが、私の原点ではなかったか。
私は、ゆっくりと顔を上げた。瞳には、絶望ではなく、新たな挑戦への、燃えるような光が宿っていた。
「……いいえ」
私の声は、静かだったが、その場の全員の耳に、確かに届いた。
「レシピがないなら、見つけ出せばいい。神々の時代の食事がどんなものだったのか、この世界の誰も知らないのなら……」
私は、ジロを、そして仲間たちを、まっすぐに見つめた。
「……この世界の誰も知らない、『古代文明の食文化』を知っている人間が、ここに二人もいるじゃないですか」
私の言葉に、ジロの目が、カッと見開かれた。
そうだ。私たちの戦場は、ここにある。
失われた味を、私たちの「記憶」と「知識」で、ゼロから再構築する。
それは、絶望的な挑戦。だが、私たち二人にしかできない、唯一の戦いだった。




