第六十六話:神殿の古文書
私とジロが手を組んだ―――そのニュースは、街に衝撃と、そしてかすかな希望をもたらした。円卓会議の席で、ドルフさんがその事実を報告した時、商人から市民の代表に至るまで、誰もが信じられないといった顔でざわめいた。
「あの聖女様と、あの傲岸不遜な魔王様が、一緒にだと!?」
「だが……あの二人なら、この奇妙な病の原因を突き止めてくれるかもしれん!」
最も相容れないはずだった二つの才能の融合は、人々の沈みかけた心に、再び小さな火を灯したのだ。
私とジロの共同研究は、『美食殿 極』のラボで始まった。私の「経験」と、彼の「科学」が、初めて一つのテーブルの上でぶつかり合う。
「この煮干しに含まれるイノシン酸と、キノコのグアニル酸。本来なら旨味の相乗効果を生むはずだ。だが、今の食材では、その効果が半減している」
ジロが魔法水晶の分析データを指し示す。
「ええ。それに、この野菜。形は良くても、煮込んでもスープに甘みが出ない。細胞レベルで、何かが死んでいる感じがする」
私は、実際に調理した感触で応える。
私たちの議論は、何日も続いた。だが、分かったのは、食材から「生命力」が失われているという事実だけで、その「なぜ」「どうやって」という核心には、一歩も近づけなかった。現象は分析できても、原因が全く見えない。それは、科学と料理の知識だけでは解き明かせない、もっと古く、巨大な何かの存在を示唆していた。
「……もう、俺たちの手には負えねえ」
私たちの報告を受けた円卓会議で、ドルフさんは重々しく口を開いた。「これは、この街だけの問題じゃねえ。王国全体……いや、世界そのものの問題かもしれん。俺たちにない知識、古代からの記録を持つ場所に、助けを求めるしかねえ」
彼の視線の先には、治癒神殿のムツィオ司教が座っていた。
円卓会議の総意として、王都中央神殿へ、緊急の救援要請が送られることになった。「麺聖女リナの名において、世界を蝕む食の災厄について、神殿の叡智を拝借したい」と。
その異例の、そして切迫した要請は、王都を驚かせた。そして、その要請に応え、数日後、一人の使者が、わずかな供だけを連れて、再びこの街の土を踏んだ。
神聖審問官、セオドーラだった。
彼女は、以前のような厳格な鎧を脱ぎ、今は深い知性をたたえた、一人の賢者の顔をしていた。
「話は聞きました、聖女リナ。そして……ジロ・サイトウ殿」
セオドーラ様は、ラボで分析データを見せるジロと、厨房で色褪せた野菜を手に取る私を、交互に見つめた。
「食材から味と魂が失われ、人々が満たされなくなる……。その現象、古文書の中で、一度だけ目にした記憶があります。それは、神々の時代の、禁じられた伝承として……」
彼女の言葉に、私たちは息をのんだ。
セオドーラ様は、すぐさま王都へ引き返すと、通常は枢機卿クラスにしか入室が許されない、中央神殿の最奥にある「禁書庫」へと向かった。
埃と、悠久の時の匂いが満ちるその場所で、彼女は何日もかけて、羊皮紙の海をさまよった。そして、ついに、一冊の、表紙も朽ちかけた古文書の中に、その記述を発見する。
一週間後。彼女は、その古文書を携えて、再び私たちの前に現れた。その顔には、真実を発見した者の高揚と、その内容の恐ろしさに対する、深い憂いが浮かんでいた。
「……見つけました。この災厄の名を」
セオドーラ様が、震える指で古文書の一節を指し示す。そこには、古代の文字で、こう記されていた。
『やがて世界に、**静かなる飢餓**が訪れん。人々は食めど満たされず、大地はその彩りを失う。それは、古き神々の時代に封印されし、飢えの化身、**味喰らい(あじくらい)**の目覚めの兆候なり』
「静かなる飢餓……味喰らい……」
私たちは、初めて聞くその名前に、戦慄した。未知の現象に、ついに名前が与えられた。それは、私たちの戦いが、ただの異常気象ではなく、神話の時代の災厄との戦いであることを意味していた。
古文書は、まだ続いていた。




