第四話:聖餐式と二つの視線
「聖餐式」と名付けられた販売当日。
街の広場は、夜明け前から異様な熱気に包まれていた。ギルドの前には、どこまで続くのか見えないほどの長蛇の列。屈強な冒険者だけでなく、身綺麗な商人、杖をついた老人、子供の手を引く母親まで、あらゆる人々がごくりと喉を鳴らしながら、その瞬間を待っていた。
「……帰りませんか?」
ギルドの二階の窓からその光景を見下ろし、私は半泣きで呟いた。
隣に立つドルフさんは、腕を組んで満足げに頷く。
「馬鹿を言え。主役が逃げてどうする。さあ、聖女様。あなたの信徒たちが待っていますぞ」
有無を言わさず、私は「聖女の衣装」に着替えさせられた。誰が用意したのか、糊の効いた真っ白なローブだ。シンプルだけど、かえってそれっぽく見えてしまうのがつらい。
広場に特設されたカウンターに立つと、万雷の拍手と歓声が湧き起こった。
私の隣には、門番役のゴークと会計役のミーシャが緊張した面持ちで控えている。
「それではこれより!聖女リナ様による、第一回『聖餐式』を執り行う!」
ドルフさんの高らかな宣言を合図に、列の先頭にいた老婆が、震える手で銀貨五枚をミーシャに差し出した。ミーシャはそれを、まるで神への献金のように恭しく受け取る。
私は、工房で作ったカップラーメンの一つを受け取り、巨大なヤカンから沸騰したお湯を注ぐ。
……ただの給湯作業なのに、なぜか民衆から「おお……」とどよめきが起こる。
木の蓋をして、心の中で三つ数え、老婆に手渡す。
老婆はありがたそうに器を受け取ると、まずはスープを一口。そして、皺くちゃの顔をくしゃくしゃにして、涙を流した。
「……あたたかい……。こんなに美味しいものを、生まれて初めて食べたよ……。冷え切った身体に、命が染み渡るようだ……。ああ、聖女様、ありがとうございます……」
老婆の言葉に、群衆の熱気はさらに高まる。
その後も、奇跡は続いた。
日々の激務で疲れ切っていた冒険者は「力がみなぎるようだ!」と叫び、偏食だった子供は「これなら毎日食べたい!」と笑い、人生に絶望していた傭兵は「……明日も生きてみるか」と静かに呟いた。
私はただ、お湯を注いでいるだけ。
なのに、目の前で、一杯のラーメンが人々の心を温め、満たしていく。
その光景は、なんだか不思議と、悪い気はしなかった。
行列を捌き、用意した百食が残りわずかとなったその時。
私は、群衆の中に二人の人物がいることに気づいた。彼らはラーメンを求める熱狂から一歩引いて、冷徹な目で私と、この状況を観察していた。
一人は、豪華な刺繍の入った法衣をまとった、痩身の初老の男。その鋭い眼光は、まるで罪人の魂を値踏みしているかのようだ。街で一番大きな「治癒神殿」の紋章を身に着けている。
もう一人は、上質な仕立ての服を着た、切れ者の役人といった風貌の男。彼の視線は私ではなく、人々が差し出す銀貨と、それを集めるミーシャの持つ革袋に注がれていた。
やがて、最後の一杯が売り切れ、聖餐式が幕を閉じた時。
その二人が、ドルフさんの制止を振り切って、私の前に進み出た。
まず、神官服の男が口を開く。その声は、冷たく、そして有無を言わせぬ響きを持っていた。
「あなたが、巷で噂の『聖女』殿ですかな。私は治癒神殿の司教、ムツィオと申します。あなたの起こす『奇跡』、我が神殿も少なからず関心を寄せておりましてな。近いうちに、大神殿にて、その御業を詳しく披露していただきたい」
これは、招待ではない。尋問の予告だ。
偽りの奇跡で民を惑わす不届き者ではないか、教会がその真偽を確かめる、と。
次に、役人風の男が、愛想のいい笑みを浮かべて一歩前に出た。
「これはこれは、聖女様。お見事な手腕です。私はこの街の領主様に仕える執事、ヴァレリウスと申します。これほど民の心を掴むとは、素晴らしい。つきましては、我が主、領主ソラム様が、あなた様に謁見を求めておられます。その『祝福』を、いかにして街の発展に活かすべきか、ご相談したい、と」
これも、ただのお誘いではない。
この街の支配者が、あなたの力の使い道を決めさせてもらう、という宣告だ。
治癒神殿の司教ムツィオ。領主の執事ヴァレリウス。
この街の「宗教」と「政治」。そのトップたちが、同時に私に接触してきた。
彼らの目には、民衆のような純粋な信仰の色はない。
あるのは、私の力を利用しようとする、値踏みするような色だけだ。
ドルフさんは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込み、ゴークとミーシャは私を守るように前に立っている。
だが、ギルドの力だけでは、神殿と領主の両方を相手にはできないだろう。
(ほら、やっぱりこうなる……)
ただ、美味しいラーメンが食べたかっただけなのに。
いつの間にか私は、この街の巨大な権力争いの渦の中心に、放り込まれてしまっていた。




