第四十三話:湯気の立つ美食都市
あの激動の日々から、二年が過ぎた。
私たちの街は、今や王国中にその名を知られる「美食都市」として、空前の好景気に沸いていた。全ては、一杯のラーメンから始まった奇跡。その噂を聞きつけ、街には富と、人と、そして無数の湯気が満ちあふれていた。
「へい、らっしゃい!聖女ラーメン一丁!」
「こっちは元祖・聖女ラーメンだよ!」
中央広場に続く大通りには、雨後の筍のようにラーメン屋の暖簾が乱立していた。もちろん、そのほとんどは私の店の味を真似た、質の低い模倣店だ。それでも、初めて「ラーメン」という食べ物を口にする観光客たちは、物珍しそうにその暖簾をくぐっていく。街全体が、一つの巨大なテーマパークのようだった。
そして、その中心地。全ての始まりの場所である【ラーメン処 聖女の厨房】の前には、今日も日の出前から、途切れることのない長蛇の列ができていた。
「よし、次、十名様ご案内!ゴークさん、お願い!」
「おうよ!」
ミーシャの的確な指示で、ゴークが屈強な腕でお客さんをさばいていく。厨房では、私と数人の弟子たちが、戦場のような忙しさの中で寸分の狂いもなくラーメンを作り続けていた。
「親方!麺、上がります!」
「はいよ!スープと合わせるタイミング、完璧!」
弟子の一人が茹で上げた麺を、私は寸胴からすくった黄金色のスープと合わせ、完璧な一杯を完成させる。この二年間で、私の店は私の魂そのものになった。そして、弟子たちもまた、その魂を受け継ごうと必死に腕を磨いてくれていた。
「ふぅ……」
昼の営業が一段落し、賄いを食べながら、私はミーシャが淹れてくれたお茶をすする。嬉しい悲鳴とは、まさにこのことだ。
「莉奈さん、見てください」
ミーシャが広げたのは、王都から届いた一通の羊皮紙だった。そこには、王都一等地での支店出店を、破格の条件で誘致する内容が記されていた。
「これで、今月に入って十五通目です。フランチャイズ展開を望む声も、日に日に増えています。私たちのラーメンは、もうこの街だけの奇跡ではないんですよ」
ミーシャは、経営者として、その成功を誇らしげに語る。だが、私は素直に喜べなかった。規模が大きくなるほど、私の目の届かないところで、大切な何かが失われてしまうような気がしてならなかったのだ。
その不安は、円卓会議の議長を務めるドルフさんも、別の形で感じていた。
その日、会議棟で彼が相手にしていたのは、王都の大商人ギルドの連合長だった。
「ドルフ議長、話は早い」肥え太った商人は、金の指輪をきらめかせながら言った。「我々は、貴殿の街の『聖女ラーメン』というブランドに投資したい。我々の資金で、食材の安定供給ルートを確立し、製麺工場を建て、王国全土にフランチャイズ展開する。あなたは、何もしなくても、莫大な富が懐に転がり込んでくるのだ。悪い話ではあるまい?」
それは、街の魂を切り売りしろという、甘い言葉で塗り固められた脅迫だった。
「……断る」ドルフさんは、きっぱりと言い放った。「聖女様のラーメンは、金儲けの道具じゃねえ。俺たちの、街の宝だ。誰にも好きにはさせん」
商人は、侮蔑するように鼻で笑うと、捨て台詞を残して席を立った。
「いずれ、後悔することになるぞ、蛮人の冒険者あがりが」
ケイレブ様もまた、新たな問題に直面していた。
彼は、騎士団を率いて、希少食材の産地である森や山を警邏していた。だが、最近、密猟者が後を絶たないのだ。彼らは「月光猪」や「雲雀鶏」を乱獲し、街の模倣店や、他都市の商人たちに高値で売りさばいていた。
「このままでは、あと数年で資源が枯渇するだろう」
ケイレブ様の報告は、この街の繁栄が、危ういバランスの上に成り立っていることを、私に改めて突きつけていた。
その日の営業終わり。
私は一人、静まり返った厨房で、寸胴の火の番をしていた。
コトトと、スープが静かに煮える音。それは、私の心を落ち着かせてくれる、唯一の時間だった。
街は豊かになった。人々は笑っている。私が望んだ、平和な日常。
だが、その平和の裏側で、何かが静かに、しかし確実に、軋みを上げ始めている。
私は、まだ気づいていなかった。
この街の熱狂と成功の匂いを嗅ぎつけ、海の向こうから、私と同じ「前世の記憶」を持つ、全く別の哲学を持った料理人が、この街を目指しているということを。
それは、私の温かいラーメンが、初めて経験する、冷徹で、そして完璧な「敵」の影だった。




