第三十九話:審問官の宣言
セオドーラの瞳は、目の前の素朴な器と、衰弱しきって立つ私の姿、そして広場を埋め尽くす民衆の顔を、ゆっくりと巡った。彼女の中で、長年かけて築き上げられた信仰の天秤が、大きく、そして確かに、傾いたのが分かった。
やがて、彼女は私から視線を外し、すべての民と、玉座のグランヴィル侯爵に向き直ると、厳かに口を開いた。
「―――審問の結果を、王都中央神殿の名において布告します」
広場の喧騒が、完全に静寂へと変わる。誰もが、街の運命を左右するその一言を、息を殺して待っていた。
「聖女リナの業は、確かに、古文書に記された神聖魔法の体系とは異なります」
その言葉に、侯爵の口元に勝利の笑みが浮かび、民衆の顔に絶望の色がよぎった。ドルフとケイレブが、いつでも動けるようにぐっと身を固くする。
「彼女の起こす奇跡は、天からの光でも、地を揺るがす神の御業でもありません。それは、小麦、水、塩といった、あまりにもありふれた、地上の素材から生み出されるものです」
セオドーラは、一度言葉を切った。そして、その声に、今までになかった熱と確信を込めて、続けた。
「―――しかし!奇跡の『本質』とは何か!それは、苦しむ魂を救済し、絶望したる者に希望を与え、冷え切った心に温もりを灯すことにある!私はこの身をもって、この一杯のスープをもって、それを体験した!」
彼女は、自らの胸を強く叩いた。
「この一杯は、私の肉体を癒しはしなかった。だが、私の魂を、その奥底から揺さぶり、温めた!これは、知識と、工夫と、そして何より、食べる者を想う『慈愛』から生まれた、人間の手による、最も尊き救済の形である!」
セオドーラは、天を仰ぎ、両腕を広げて叫んだ。その姿は、もはや冷徹な審問官ではなく、真理に到達した求道者のようだった。
「神は、天から奇跡を与えるだけではない!我々人間の中に、奇跡を生み出すための知恵と慈愛をも与えてくださったのだ!聖女リナの業は、神の教えの、まさに本質そのものである!」
そして、彼女は私に向き直ると、その場で深く膝を折り、祈りを捧げるように、高らかに宣言した。
「よって、聖女リナを**『異端にあらず』**と認定する!彼女の食卓は、この街における神の慈悲の現れであると、中央神殿はここに認めるものなり!」
その言葉が引き金だった。
一瞬の静寂の後、広場は、地面が揺れるほどの、爆発的な歓声に包まれた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
ドルフさんが、天に向かって雄叫びを上げた。ミーシャは、その場で崩れるように泣きじゃくり、ゴークは「聖女ざまぁ……!」と号泣している。ケイレブ様の氷の仮面のような表情にも、確かな、そして優しい笑みが浮かんでいた。
民衆は、武器を捨てた王都の兵士たちとさえ肩を組み、泣き、笑い、ただひたすらに、私の名を、聖女の名を叫び続けた。
「……馬鹿な。ありえん……」
グランヴィル侯爵だけが、その熱狂の輪から取り残され、玉座で呆然と立ち尽くしていた。
彼の完璧な計画。経済封鎖、内部工作、そして神殿の権威という、最強の切り札。その全てが、たった一杯の、貧者の食い物にも劣る塩水によって、粉々に打ち砕かれたのだ。彼の冷徹な論理は、人の心が持つ温かさの前に、完膚なきまでに敗北した。
民衆の歓声を聞き届けた瞬間、私の身体を支えていた最後の糸が、ぷつりと切れた。
極度の疲労と、安堵。その全てが一度に押し寄せ、私の意識は、柔らかな闇の中へと静かに落ちていった。倒れ込む私の体を、ケイレブ様の力強い腕が、優しく受け止めてくれた。
私の勝利だった。
いや、私たちの、温かいラーメンの、勝利だった。




