第三話:奇跡の工房と最初の信徒
翌朝、私が目を覚ますと、世界はすっかり変わってしまっていた。
私が間借りしている安宿の窓の外には、早朝にもかかわらず人だかりができていた。皆、私の部屋の窓を、ありがたいものでも見るかのように見上げている。目が合った村人が、感極まったようにひざまずいた。
「おお……聖女様がお目覚めになられた……!」
「ありがたや、ありがたや……」
……外に出られない。
聖女という称号は、かくして私からささやかなプライバシーを奪い去った。
途方に暮れていると、宿の扉が荒々しくノックされた。ギルドマスターのドルフさんだった。
「聖女様、ご準備を。あなたの『工房』ができましたぞ」
ドルフさんに連れてこられたのは、ギルドの裏手にある、使われていなかった石造りの倉庫だった。昨日までは埃をかぶったガラクタ置き場だったはずが、見違えるように綺麗に片付けられている。中には、巨大な調理台や、新品の大鍋、山と積まれた薪まで用意されていた。
「ここが、今日からあなたの城であり、神殿だ」
ドルフさんの言葉に、私はゴクリと喉を鳴らす。想像以上の規模だ。
倉庫の中には、二人の男女が直立不動で待っていた。
「紹介しよう。あなたの奇跡を手伝う、最初の信徒……いや、助手だ」
一人は、ゴークという名の、熊のように大柄な戦士。昨日、私を最初に胴上げした男だ。彼は私を見るなり、その場にひざまずいて恭しく頭を垂れた。
「聖女様!このゴーク、我が肉の壁をもって、聖なる糧作りをお守りいたします!」
主な仕事は力仕事全般。薪割り、水汲み、大鍋のかき混ぜなどを担当してくれるらしい。
もう一人は、ミーシャという名の、眼鏡をかけた小柄な少女。元々はギルドの経理係で、その几帳面さを買われて抜擢されたという。
「聖女様の御業、そのすべてを記録させていただきます。後世に、正しく奇跡を伝えるために」
彼女は羊皮紙とインクを構え、キラキラした目で私を見ている。どうやら私の助手兼、奇跡の記録係らしい。
(……ダメだ。こっちも話が通じなさそうだ)
私の不安をよそに、「聖女の奇跡工房」はこうして動き出した。
しかし、すぐに問題が山積した。
「聖女様、この大鍋で作ると、どうも味が安定しません……」
ゴークが、巨大な寸胴鍋を必死にかき混ぜながら言う。
一人前のスープを作るのと、百人前のスープを作るのとでは勝手が違う。モンスターの骨の種類や部位によって、ダシの出方が全く異なるのだ。
「ミーシャさん、骨の種類ごとに重さを計って、煮込む時間を変えてみましょう。レシピの標準化をします」
「『ひょうじゅんか』……!なんと神聖な響き!記録します!」
ミーシャがすごい勢いでメモを取る。
「聖女様!『灰トカゲの苔』の灰、日によって効果が違います!」
ゴークが持ってきた灰は、採取した場所によってアルカリ性の濃度がバラバラだった。これでは麺のコシが安定しない。
「……pHを調べないと」
「『ぺーはー』……!?古代の神々の御言葉ですか!?」
私は慌てて首を振る。
「ち、違います!ええと、この『紫カブ』の汁を使います。これに灰を溶かした水を垂らして……ほら、赤くなれば酸性、青が濃くなればアルカリ性が強い、という……」
「なんと!聖女様は植物の声すらお聞きになられるのか!」
私の前世の、夏休みの自由研究レベルの知識が、この世界では神託として扱われていく。ミーシャの羊皮紙は、凄まじい速さで「聖女様の御言葉録」に変わっていった。
そんなドタバタが続く中、ギルドの前では大きな動きがあった。
氷壁の騎士ケイレブ様を隊長とする、第一回『聖地巡礼団』の出発式だ。彼らの目的は、私のラーメンに必要な特殊な素材を確保してくること。
「我々は、聖女様の奇跡を支える礎となる!いざ、出発!」
ケイレブ様の号令と共に、街中の人々からの大歓声を受けて、精鋭の冒険者たちが出発していく。
……ただの素材調達なのに、まるで魔王討伐のような壮大さだ。私は工房の窓からそれを見送り、思わず胃がキリリと痛むのを感じた。
数日後。
試行錯誤の末、ついに量産体制が整った。
工房の棚には、均一な品質の即席麺とスープの素がずらりと並ぶ。ミーシャが考案した油紙の蓋も完璧だ。
「聖女様……いよいよですね」
ゴークとミーシャが、固唾を飲んで私を見守る。
私は、記念すべき量産型一号の器を手に取り、厳かに頷いた。
沸騰したお湯を注ぎ、木の蓋を置く。
工房に満ちる、沈黙の三分間。
やがて蓋を開けると、ふわりと、あの奇跡の香りが立ち上った。
一口スープをすする。……うん、完璧!店の味だ!
私が成功を確信したその時、ドルフさんが工房に入ってきた。
「ほう……いい匂いじゃないか」
彼は私の手から器をひったくると、スープを一口、麺を一口すすり……そして、初めて会った時から一度も崩さなかったポーカーフェイスを、満足気に緩ませた。
「……これなら、いける」
彼は工房に並んだ完成品を見渡し、野心的な笑みを浮かべた。
「よし、聖女様。三日後、この街で最初の『聖餐式』を行う。あなたの奇跡を、待ち望む民に分け与える時だ」
「せいさんしき……?」
その大袈裟な言葉に、私は首を傾げる。
ドルフさんは、まるで世界の王にでもなったかのように宣言した。
「ああ。一杯、銀貨五枚。数量限定、一人一杯まで。うちのギルドが、あなたの最初の奇跡―――『カップラーメン』の販売を行う」
工房の棚に並ぶ、おびただしい数のカップラーメン。
それはもはや、私の夜食ではなかった。
人々の信仰と、期待と、そして欲望を一身に背負った、美味しくて、厄介な、怪物だった。




