第三十七話:広場の祭壇
私がセオドーラに連れられて神殿の外に出ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
街が、死んでいる。
あれほど活気に満ちていた市場は静まり返り、家々は固く扉を閉ざしている。だが、その沿道には、街のすべての民衆が、壁のように並んで立っていた。彼らは声援も、祈りの言葉も口にしない。ただ、その瞳で、心配と、恐怖と、そして最後の希望をない交ぜにした、無言の眼差しで、私をまっすぐに見つめていた。その無言の列の間を、武装した王都の騎士たちが、威圧するように警備している。
広場の中央には、昨日まではなかった、簡素な石造りの祭壇が組まれていた。その後ろには、玉座にふんぞり返るグランヴィル侯爵の姿。彼は、これから始まる公開処刑を待つ罪人を見る目で、私を見下ろしていた。
セオドーラは、私を祭壇の前まで導くと、集まった民衆に、魔力で増幅させた声で宣言した。
「これより、聖女リナの『聖餐の証明』を執り行う!神は、真実の在処を、我らに示されるであろう!」
彼女が祭壇に置いたのは、三つの器。聖水、一握りの麦、そして岩塩。
民衆から、ああ、と絶望のため息が漏れた。これでは、奇跡など起こせるはずもない。
だが、私は静かに頷くと、か細いが、広場全体に響き渡る声で言った。
「審問官様。奇跡には、それを支える『器』と『熱』が必要です。どうか、そこにいる私の仲間に、手伝いをお許しください」
セオドーラは一瞬ためらったが、これは儀式の一環だと判断し、「よろしい」と短く許可した。
私は、民衆の最前列に立つ、ケイレブ様を見た。
「ケイレブ様。私に、火を」
ケイレブ様は力強く頷くと、王都騎士の制止をものともせず、祭壇へと歩みを進めた。彼は腰のポーチから火打石を取り出し、薪に火を灯す。カツン、という硬質な音の後、生まれた小さな火花は、瞬く間に炎となり、絶望に沈む広場に、唯一の温かい光を灯した。
次に、私はドルフさんを見た。
「ドルフさん。あの鉄鍋を、火にかけてください」
「……おう、任せとけ」
ドルフさんは、まるで巨大な戦斧でも振うかのように、祭壇の脇に置かれていた重い鉄鍋を軽々と持ち上げ、炎の上に設置した。その無骨な仕草は、「俺たちはまだここにいるぞ」という、侯爵への無言の示威行為だった。
仲間たちの助けを得て、私の最後の調理が始まった。
私はふらつく体で鍋の前に立つと、まず、麦の粒をゆっくりと炒り始めた。
パチパチ、と穀物がはぜる音。やがて、パンとも違う、素朴で香ばしい匂いが広場に広がり始める。人々は、訝しげに、しかしどこか懐かしそうに、その香りを吸い込んだ。
十分に火を通した麦の一部を布で砕き、残りと共に鍋の中の聖水へ。お湯はゆっくりと琥珀色に染まっていく。岩塩を砕き、研ぎ澄まされた感覚だけを頼りに、スープに溶かし込んでいく。
その光景は、奇跡とはほど遠かった。派手な光も、神々しい音楽もない。ただ、衰弱した少女が、必死の形相で、一杯の粥のようなものを作っているだけだ。侯爵の口元に、嘲笑が浮かぶ。民衆の間に、諦めの空気が流れ始めた。
だが、鍋から立ち上る湯気が、風に乗って広場に広がった時、人々の表情がわずかに変わった。
それは、豪華な香りではない。だが、冷え切った体を温め、心を落ち着かせる、不思議な力を持つ香りだった。生きるために最低限必要な、穀物の、塩の、そして温かい水の匂い。生命そのものの匂いだった。
最後に、私は残しておいた麦を練った小さな塊を、スープの中に落として煮込んだ。
やがて、一つの木椀に、その全てを注ぎ込む。
琥珀色に澄んだスープ。そこに浮かぶ、不揃いで小さな麺。
それは、私の魂の、全てだった。
私は、その椀を両手で、震える手で捧げ持つと、最後の力を振り絞って立ち上がり、審問官セオドーラの前に、静かに差し出した。
私の背後で、仲間たちが息をのむのが分かった。民衆の祈りが、私の背中を押していた。
さあ、これが答えだ。
これが、私のラーメンだ。




