第三十四話:最後の通告
莉奈が試練の五日目を乗り越えたその日、グランヴィル侯爵は、自らの勝利を確信していた。
彼の元には、手駒となった商人バルトロから、円卓会議の内部情報が筒抜けになっていた。経済封鎖によって市民の不満は頂点に達し、指導者であるはずのドルフは孤立しつつある、と。ミーシャが配る瓦版も、侯爵にとっては飢えた民衆を前にした感傷的なお遊戯にしか見えなかった。
(……潮時だな)
侯爵は、熟しきって腐り落ちる寸前の果実をもぎ取るように、最後の一手を打つことを決めた。
その日の円卓会議は、冒頭から侯爵自身が、武装した王都騎士団を引き連れて乗り込んできたことで、異常な緊張に包まれた。彼の表情からは、以前のような猫なで声の笑みは消え、冷徹な支配者の顔だけがそこにあった。
「さて、諸君。茶番はもう終わりだ」
侯爵は、ドルフの制止を無視して上座に立つと、集まった代表者たちを見下ろした。
「君たちのままごとは、街を崩壊寸前にまで追い込んだ。経済は麻痺し、民は飢え、議会は分裂している。もはや、君たちに統治能力がないことは、誰の目にも明らかだろう」
彼は、一本の指を立てて、静かに、しかし絶対的な響きを持つ声で言った。
「王の名において、最後の通告を言い渡す」
場の空気が、凍り付いた。
「二日後の夜明け、すなわち、聖女とやらが試練を終える、その時を期限とする」
「それまでに、この『円卓会議』を即刻解散し、街の統治権を王国に返還せよ」
「そして、神の名を騙る『偽りの聖女』リナの身柄を、神聖審問官セオドーラ様の権威の下に引き渡すこと」
侯爵は、一度言葉を切り、窓の外に広がる街を冷ややかに一瞥した。
「もし、このいずれかが履行されなかった場合、王は、この街を正式に『反乱都市』と認定する。そうなれば、慈悲はない。我らが王国軍の全戦力をもって、反逆者は一人残らず根絶やしにし、街は徹底的に『浄化』されるだろう」
それは、交渉ですらなかった。降伏か、死か。二者択一の、冷酷な宣告だった。
「そ、そんな……!」
市民代表の一人が、悲鳴のような声を上げる。
真っ先に反応したのは、商人バルトロだった。彼は椅子から転げ落ちるように立ち上がると、ドルフに詰め寄った。
「聞いたか、議長!もはや選択の余地はない!街を、民を救うには、侯爵様に従うしかないのだ!降伏しよう!」
バルトロの絶叫が引き金となり、代表者たちの間から「もう戦えない」「従うしかない」という声が上がり始める。円卓会議は、パニックに陥った。
「「「静かにしろ!!!!」」」
ドルフの雷鳴のような一喝が、議場を震わせた。
彼は、ゆっくりと立ち上がると、震える代表者たち、そして冷笑を浮かべる侯爵を、その隻眼で射抜くように睨みつけた。
「……てめえの言いてえことは、それだけか。侯爵」
ドルフの声は、怒りを通り越して、不気味なほど静かだった。
「なら、とっとと失せろ。ここの決め事は、俺たちで決める。てめえの指図は受けねえ」
「ほう。玉砕を選ぶか。愚かな」
「答えは、二日後の夜明けにくれてやる。それまで、せいぜい首を洗って待ってやがれ」
侯爵は、ドルフの揺るぎない覚悟を見て、初めてその表情をわずかに歪ませたが、やがて肩をすくめると、騎士たちと共に部屋を去っていった。
だが、侯爵が去った後、議場に残ったのは、深い、深い絶望だった。
ドルフの虚勢は、誰もが分かっていた。王国の軍隊と正面から戦って、勝ち目など万に一つもない。街は、血の海に沈むだろう。
その夜、ドルフは一人、ギルドの作戦室で地図を睨んでいた。壁には、彼が愛用する巨大な戦斧がかけられている。
降伏して、莉奈を差し出すか。
それとも、玉砕を覚悟で、街と、仲間たちの誇りを守るために戦うか。
どちらを選んでも、待っているのは地獄だった。
彼は、窓の外にそびえる、治癒神殿の塔を見上げた。
あの塔の一室で、莉奈は、この絶望的な最後通告が突きつけられていることなど、知る由もない。
この街の運命は、今や、飢えと孤独に耐える、一人の少女の双肩にかかっていた。




