第三百十八話:レンの囁き
日本の、とある超高層ビルの最上階。壁一面がガラス張りになった、広大なCEOオフィス。その主である男は、夜景を一望できる革張りの椅子に深く腰掛け、モニターに映し出された複数の情報ウィンドウを、冷徹な目で眺めていた。
一つは、急騰する「異世界由来」とされる希少食材の市場価格。
一つは、古びたラーメン屋【らーめん頑徹】の周辺を監視する、隠しカメラのリアルタイム映像。
そしてもう一つは、異世界の美食都市フィーリアで暗躍する代理人からの、最新の報告書だった。
男の名は、神崎レン。表向きは、海外で成功を収め、彗星のごとく日本のビジネス界に現れた、若き天才コンサルタント。だが、その真の顔は、次元を超えて「商品」を取引する、冷酷非情な次元商人。
「……フン。愚かなことだ」
レンは、モニターに映る源さんの、苦悩に満ちた表情を見て、薄く笑った。彼はすでに、莉奈が源さんに接触し、異世界の食材と知識を与えたことを把握していた。
「特異点リナ…君は、その価値に気づいていない。君が持つ力は、ただのラーメンを作るためのものではない。二つの世界の市場を支配するための、究極の『鍵』だというのに」
レンの目的は、シンプルだった。二つの世界にまたがる、巨大な「市場」を創り出し、そこを独占すること。異世界の神秘的な食材や魔法技術。日本の高度な科学技術や工業製品。それらを自在に取引し、莫大な利益を得る。そのためには、二つの世界を繋ぐ「扉」を安定させ、自らの管理下に置く必要があった。そして、その鍵を握るのが、莉奈という存在だった。
彼は、すでに両方の世界で布石を打っていた。
日本側では、「神崎レン」として食品業界やメディアに接近。「革新」「グローバルスタンダード」といった耳障りの良い言葉で、伝統的な個人経営の店を時代遅れだと印象付け、大手資本による市場の寡占化を加速させていた。彼の最終目標は、莉奈と源さんが生み出した「融和の味」さえも取り込み、自らがプロデュースする「究極のラーメンブランド」として世界展開することだった。
「古き良き時代の『感傷』にすがり続ける店は、淘汰されるのが市場の理だ。岩崎源、君の役割は、新しい時代の『踏み台』となることだよ」
一方、異世界の美食都市フィーリアでも、彼の代理人が巧みに暗躍していた。
円卓会議の議場。人の良さそうな笑顔を浮かべた代理人は、商人代表たちに、日本の最新技術に関する、さらに詳細な情報を提供していた。
「…例えば、この『水耕栽培』という技術。土を使わずとも、栄養を含んだ水だけで野菜を大量に、安定して生産できるのです。天候にも左右されません。これがあれば、街の食料自給率は飛躍的に向上し、希少な薬草なども計画的に栽培できるやもしれませんぞ?」
その情報は、街の未来を考える者たちにとって、あまりにも魅力的だった。だが、その見返りは、徐々に大きくなっていた。
「つきましては、この技術導入の支援として、ほんの少しばかり…そう、街の地下に眠るという『魔力水晶』の採掘権の一部を、我々に譲渡していただければ、と…」
魔力水晶。それは、この街の魔法技術の根幹を支える、最も重要な資源の一つだった。ドルフさんは、その要求に即座に反発したが、街の発展を願う一部の商人たちは、明らかに心を揺さぶられていた。レンは、目先の利益をちらつかせ、街の結束に巧妙な楔を打ち込もうとしていたのだ。
レンは、モニターを閉じると、夜景に向かって静かに呟いた。
「リナ、君はまだ選択を迫られていると思っているようだが、それは間違いだ。道は、常に強者が創るものだ。そして、このゲームの支配者は、俺だよ」
彼の瞳には、二つの世界を掌の上で転がすことへの、絶対的な自信だけが映っていた。彼はまだ知らない。不完全で、非合理的な「人の心」というものが、時に、完璧な計算をも狂わせる、最大の変数となりうることを。




