表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古代文明の遺物「カップラーメン」を再現したら、聖女と間違われました  作者: 神楽坂ミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

317/375

第三百十六話:異世界の"常識"、日本の"非常識"

日本での体験は、仲間たちの価値観だけでなく、私の料理そのものにも静かな、しかし確かな変化をもたらしていた。私は、あの【らーめん頑徹】で味わった、源さんの魂のこもった一杯と、スーパーマーケットに並んでいた、効率化され尽くした食材たちの記憶を反芻はんすうしていた。そして、一つの実験――いや、授業を試みることにした。異世界の仲間たちに、私のもう一つの故郷の魂を伝えるための。


「みんな、今日は新しいスープの勉強よ。いつもとは全く違うアプローチだから、心して味わってね」


私は、弟子たち――ケンやアヤはすでにそれぞれの故郷へ戻っているため、厨房に残る若い世代と、興味深そうに見守るマヤやルーク――の前に、二つの小さなわんを置いた。

一つ目の椀には、いつものように鶏ガラと野菜を丁寧に煮込み、月光茸げっこうだけのパウダーで旨味を増幅させた、力強く、魂を直接揺さぶる黄金色のスープ。私たちの厨房の、いわば「答え」の一つだ。

二つ目の椀には、私が日本から持ち帰ることを許された、ほんのわずかな「昆布こんぶ」と「鰹節かつおぶし」のかけら。それらに似た異世界の海藻と干し魚、そして森で採れる数種類の乾燥キノコだけを使って、弱火でじっくりと時間をかけて引いた、どこまでも透き通ったスープ。日本の「出汁だし」の概念を、異世界の食材で可能な限り再現したものだった。そこには、派手な旨味も、力強い香りもない。ただ、静かで、深く、そしてどこまでも優しい味わいだけがあった。


弟子たちは、まず一杯目の慣れ親しんだスープを飲み、満足げに頷く。


「うん、いつもの親方の味だ!」

「力が湧いてくるぜ!これが俺たちのラーメンだよな!」


彼らにとって、この直接的で分かりやすい美味しさこそが「常識」だった。


だが、二杯目の透き通ったスープを口にした瞬間、彼らの表情は一様に困惑に変わった。


「……あれ?」


一番弟子のケンに次ぐ実力を持つ若者が、首を傾げる。


「親方、これは……味が、薄すぎやしませんか?なんだか、物足りねえや……」


他の弟子たちも、口々に同意する。中には「水で薄めたのか?」と正直すぎる感想を漏らす者までいた。


彼らの反応は、正直であり、そして予想通りだった。濃厚な動物系の旨味や、魔法的な食材による分かりやすい効果に慣れ親しんだ彼らの舌にとって、日本の出汁文化が生み出す繊介な旨味の世界は、あまりにも淡く、頼りなく感じられたのだ。


「ふふ、驚いた?」


私は、苦笑しながら説明を始めた。


「これが、『旨味』のもう一つの形なのよ。力強さでねじ伏せるのではなく、素材そのものが持つ、静かな声に耳を澄ませる。引き算の美学。そして、異なる種類の旨味を重ね合わせることで、無限の深みを生み出す…日本の食文化はね、とても繊細で、奥が深いんだから」


私は、昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、キノコのグアニル酸…それらがどのように作用し合い、味の相乗効果を生み出すのかを、ジロから教わった科学的な知識も交えながら、丁寧に解説した。

弟子たちは、私の説明に目を丸くして感心していたが、それでもやはり、一杯目の力強いスープの方を好んでいるようだった。長年かけて培われた味覚の常識は、そう簡単には覆らない。文化の違い、味覚の違いを乗り越え、真の「融和」を生み出すことの難しさを、私は改めて痛感した。それは、これから始まる二つの世界の関係性を暗示しているかのようだった。


一方、その頃。日本の、新宿歌舞伎町の片隅にあるネットカフェ。その薄暗い個室で、ジロはキーボードを叩きながら、その顔に恍惚こうこつに近い、危険な光を浮かべていた。

彼は、私が両親との涙の再会に心を揺らしていた間に、すでにこの世界の「知の体系」――インターネット――へのアクセス方法を解析し、その深淵しんえんへと、恐るべき速度で潜り始めていたのだ。


(……素晴らしい。なんと合理的で、なんと広大な知識の海だ。異世界では秘匿ひとくされし叡智が、ここでは誰の手にも届く場所にある…!)


異世界では一部の権力者や賢者に独占されていた情報が、ここでは誰もが自由にアクセスできる。彼は、まず物理学、化学、数学といった基礎科学の膨大なデータベースを猛烈な勢いで吸収していった。その知識量は、彼が数百年の時をかけて培ってきた異世界の錬金術や魔法理論をも、凌駕りょうがする可能性を秘めていた。アトランティスの技術さえ、この情報網の前では過去の遺物に見え始めていた。

特に彼の心を捉えたのは、「ナノテクノロジー」と「人工知能(AI)」の分野だった。


(物質を原子レベルで操作する技術…?自律的に学習し、思考する機械…?これらを使えば、あの女の言う『心』や『感傷』といった非合理的なものさえも、データとして解析し、完全に再現することが可能になるやもしれん……!感情さえも計算可能な、完璧なラーメン…!完璧な、世界…!)


彼の瞳には、神の領域に踏み込もうとする科学者の、孤独で、危険な野望の光が宿り始めていた。彼はまだ気づいていない。この世界の知識の海には、異世界の魔法とは質の違う、深い「倫理」という名の暗礁あんしょうが、無数に潜んでいることに。彼の探求は、やて彼自身をも、そして二つの世界をも、予測不能な嵐へと巻き込んでいくことになるのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ