第二十八話:侯爵の経済封鎖
莉奈が神殿に幽閉されて三日が過ぎた。街の南門に続く主要街道は、朝から不穏な空気に包まれていた。東の国々から香辛料や織物を満載した、数台の荷馬車が立ち往生していたのだ。
「何故通せんのだ!我々は正規の通行税を払っている!」
商人組合に所属する隊商の長が、馬上から怒鳴る。しかし、道を塞ぐように陣取る王都の騎士たちは、表情一つ変えなかった。
隊長らしき騎士が、冷ややかに告げる。
「グランヴィル侯爵様からの命令である。『反乱の残党による武器密輸の恐れあり』として、この街に出入りする全ての物資を検閲する、と。完了まで何日かかるかは、我々にも分からん」
「検閲」という名の、それは事実上の経済封鎖だった。
同じ光景は、街へ繋がる全ての交易路で繰り広げられていた。グランヴィル侯爵は、莉奈の奇跡を封じると同時に、街の生命線である経済を、じわじわと締め上げ始めたのだ。
知らせは、瞬く間に街中を駆け巡った。
市場では、真っ先に小麦粉と塩の値段が跳ね上がった。これらは遠方の領地から運ばれてくるため、在庫が尽きれば次はない。パン屋の店主は頭を抱え、子供連れの母親は小さな袋に入った豆を、不安そうに見つめていた。
「どうしてくれるんだ!これじゃあ商売上がったりだ!」
「聖女様は捕まるし、物も入ってこない。一体、この街はどうなっちまうんだ……」
人々の会話から、かつての活気は消え、不安と不満の声が日増しに大きくなっていく。
その日の午後、円卓会議は緊急召集された。しかし、そこに団結はなかった。
「だから言わんこっちゃない!」
会議の席で最初に声を荒げたのは、商人代表だった。彼の顔は怒りと恐怖で引きつっている。
「ドルフ議長!あなたの強硬な態度が、侯爵を怒らせたのだ!私の隊商は差し押さえられ、損害は金貨数千枚にのぼる!このままでは我々は破産するぞ!」
「落ち着け!」ドルフさんが一喝する。「これは、俺たちを分断させるための侯爵の罠だ!今こそ団結せねば……」
「団結して腹が膨れるか!」別の職人代表が叫ぶ。「材料が入ってこなければ、俺たちは仕事もできん!侯爵様の言う通り、王国の庇護下に入った方が、よほど民のためになるのではないか!」
ドルフさんは、奥歯をギリリと鳴らした。彼は戦士であり、指導者だ。だが、経済という見えない敵との戦い方は知らなかった。力でねじ伏せようにも、相手は「検閲」という正当な権力を盾にしている。手を出せば、その瞬間に街は反逆者となる。完全に、手詰まりだった。
その頃、グランヴィル侯爵は、かつての領主の執務室で、優雅にワイングラスを傾けていた。
窓の外の市場で、人々が言い争う声が微かに聞こえてくる。
側近が、円卓会議での混乱ぶりを報告すると、侯爵は満足げに口の端を吊り上げた。
「理想だけでは腹は満たされんよ。あの聖女が作り出したまやかしの団結など、パン一切れの価値にも劣る。飢えた民は、やがて正しい支配者を求めるものだ」
彼は、莉奈が「魔女」として断罪される日と、街が自ら跪いて王国の支配を乞う日の両方を、同時に手に入れようとしていた。
円卓会議は、怒号が飛び交うだけで、何の結論も出せずに散会した。
会議棟から出てきたドルフさんの肩は、重く沈んでいた。
街を覆うのは、ラーメンの温かい湯気ではない。侯爵が仕掛けた、冷たく、そして逃げ場のない、経済という名の罠だった。そして、その絶望的な状況を、神殿の高い窓から見下ろす者がいることにも、厨房で孤独に戦う莉奈の身にも、まだ誰も気づいてはいなかった。




