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古代文明の遺物「カップラーメン」を再現したら、聖女と間違われました  作者: 神楽坂ミコト


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第二百七十五話:完璧な日常、空っぽの一杯

吟遊詩人、ヒビキが遺した竪琴の音色が、厨房から立ち上る温かい湯気と分かちがたく結びついてから、二年の月日が流れた。

美食都市フィーリアは、その歴史上、最も健やかで、最も輝かしい黄金期を迎えていた。かつてヒビキが建てた白亜のカフェ『Siren』は、今では街の人々が自由に音楽を奏でる野外ステージとなり、そこから流れる不揃いで温かいメロディーは、私たちの厨房から立ち上る湯気の、最高のBGMとなっていた。


「へい、お待ち!特製味噌、ニンニク増しだ!」


心地よい活気が満ちる【ラーメン処 聖女の厨房】。湯気の向こうで、ゴークの威勢のいい声が響き渡る。厨房では、私の最後の弟子であるマヤが、神童の舌で寸胴鍋の最終確認をしていた。


「大師匠。今日のスープは、市場に並び始めたばかりの春野菜の、ほんの少しだけ照れくさい味がします。最高の出来です」


「ありがとう、マヤ。あなたの舌は、もう私の誇りよ」


いつしか「大師匠グラン・マスター」と呼ばれるようになった私は、若き才能の成長に目を細める。洗い場では、元・調律者のルークが、人間としての日々を懸命に学びながら、皿を洗うという単純な作業にさえ、真理を見出したかのように真剣な眼差しを向けていた。

全てが、満ち足りていた。この温かい日常が、これからもずっと続いていく。誰もが、そう信じて疑わなかった。


その日の早朝。私は、いつものように誰よりも早く厨房に立ち、巨大な寸胴鍋の火の番をしていた。コトトと、鶏ガラと野菜が煮える優しい音。壁に貼られた、世界中に散った弟子たちからの手紙。窓から差し込む、穏やかな朝の光。それは、私が命がけで守り抜いた、完璧な日常の風景だった。


私は、味見用の小さなレンゲを手に取り、スープの表面に浮かぶ黄金色の脂をそっとすくい、口に含んだ。

素材の配合は完璧。火加減も、煮込み時間も、寸分の狂いもない。長年培ってきた私の舌と経験が、そう告げている。塩分濃度、糖度、そして旨味のバランス。全てが、昨日と寸分違わぬ、私が創り上げた「答え」のはずだった。


だが。


私の心は、何も感じなかった。

美味しい、とも、不味い、とも。何の感情も湧いてこない。ただ、舌の上の液体を「スープという情報」として認識しているだけ。革命の炎の中で創った一杯の熱さも、神々の孤独を癒そうとした一杯の優しさも、そこにはなかった。まるで、美しい風景画を、ただの絵の具の染みとして眺めているかのように、そこには何の物語も、温もりもなかった。


「……気のせい、かな。ちょっと疲れてるのかも」


私は自分にそう言い聞かせ、首を振った。世界を相手に戦い続けてきたのだ。平和な時代が訪れ、少しだけ気が抜けているのかもしれない。


開店準備のために弟子たちが集まり始め、厨房がいつもの活気を取り戻す頃、私はもう一度、マヤに最終的な味見を頼んだ。彼女の神の舌は、私のそれよりもずっと正直で、鋭敏だからだ。


マヤは、恭しくスープをレンゲですくうと、目を閉じて、その味を魂で感じ取るように、ゆっくりと味わった。そして、ゆっくりと目を開ける。

「スープは完璧です、大師匠」

彼女はそう言った。その声には、いつものような弾むような響きがない。

「でも……」

彼女は、心配そうに、そして少しだけ悲しそうに、私の顔を見上げた。


「スープが、笑っていません」


その言葉は、私の心の最も柔らかな部分に、小さな氷の棘のように、ちくりと突き刺さった。マヤには、分かってしまったのだ。この一杯に、作り手である私の「喜び」が、欠けていることを。


「……そう。ありがとう、マヤ。少し、塩を足しておきましょうか」


私は、努めて明るくそう言うと、彼女からレンゲを受け取った。弟子たちの手前、動揺を見せるわけにはいかない。

開店を告げる鐘が鳴り、店の扉が開け放たれる。客たちの笑顔と、賑やかな声が、厨房に流れ込んできた。

私は、いつものように「いらっしゃいませ!」と声を張り上げた。

完璧な日常。完璧な厨房。そして、完璧なスープ。

その、どこまでも完璧な世界の中で、私だけが、自分の魂が空っぽになっていくのを、確かに感じていた。

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