第二十二話:この温かい一杯のために
夜が明け、血と炎の匂いがまだ生々しく残る街に、私が帰還したという報せは、風のように駆け巡った。
私がケイレブ様たちに護衛され、ギルド区画へと続く道を歩いていると、家々から人々が恐る恐る顔を出し、やがて、その一人が私の名前を呼んだ。
「……聖女様だ」
その声が合図だった。
一人、また一人と人々が道にあふれ、彼らはひざまずき、涙を流し、ただ静かに、私の無事を喜んでくれた。熱狂的な崇拝ではない。家族の帰りを喜ぶような、温かい感謝がそこにはあった。
ギルドホールは、野戦病院と化していた。
あちこちで負傷した冒険者たちがうめき声を上げ、ミーシャが懸命に手当てをして回っている。
その中央で、片腕を吊り、全身包帯だらけのドルフさんが、瓦礫の撤去を指揮していた。彼は私の姿を認めると、一度だけ、深く頷いた。
「……おかえり、聖女様」
そのぶっきらぼうな一言に、どれだけの安堵がこもっていたか。
壁に寄りかかっていたゴークが、傷だらけの顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「うう……聖女ざまぁ……!ご無事で……!」
ああ、帰ってきたんだ。
私の、温かくて、騒々しくて、かけがえのない場所に。
数日後。街は、新たな秩序を模索していた。
領主ソラムと執事ヴァレリウスは、民衆の前でその罪を裁かれた後、一切の財産を剥奪され、街から永久追放となった。命までは取らない、それが、ケイレブ様と私の下した結論だった。
そして、空席となった領主の座。
誰もが、私か、あるいはケイレブ様がその座に就くのだと思っていた。
街の長老たちが集まる会議の席で、私ははっきりと首を横に振った。
「私は、領主にはなりません。私は、政治家ではなく、ただの料理人ですから」
そして、私は一つの提案をした。
一人の支配者が全てを決めるのではなく、ギルドの代表、商人たちの代表、そして市民の代表が集まって話し合う「円卓会議」を、この街の新しい統治機関とすることを。
それは、この世界にはまだ存在しない、あまりにも画期的な提案だった。
だが、独裁者の圧政に苦しんだ人々は、その考えを驚きと共に、そして力強い賛同をもって受け入れた。
「では、聖女様は……どうなされるのですか?」
長老の一人が尋ねる。
私は、満面の笑みで答えた。
「私は、お店を開きます」
それから、一ヶ月後。
街の中央広場に、一軒の新しい店がオープンした。
看板には、こう書かれている。
【ラーメン処 聖女の厨房】
そこは、もう私の工房ではない。誰もが、一杯のラーメンを求めて気軽に立ち寄れる、活気に満ちた食堂だ。
厨房に立つのは、もちろん私。
ホールで注文を取るのは、元気に回復したゴーク。
そして、レジで会計を管理し、店の経営を一手に引き受けているのは、なぜか眼鏡をキラリと光らせて天職を見つけたミーシャだ。
店の用心棒兼、味見役の常連は、ドルフさんとケイレブ様。
治癒神殿の司教ムツィオは、贖罪のためか、時々こっそり店の掃除を手伝っている。
開店と同時に、店は満席になった。
冒険者たちが、商人たちが、子供たちが、老人たちが、皆同じテーブルで、同じラーメンをすすっている。
「「「いただきまーす!!」」」
威勢のいい声と共に、人々が麺をすする幸せな音が、店中に響き渡る。
私は、立ち上る湯気の向こうにある、その笑顔の数々を見渡した。
革命、戦い、そしてたくさんの悲しいこともあった。
でも、その全ては、この光景にたどり着くために必要だったのかもしれない。
私がこの世界に転生して、本当にやりたかったこと。
それは、聖女として崇められることでも、歴史に名を残すことでもない。
ただ、目の前で、お腹を空かせた人たちが、私の作った温かいラーメンを食べて、「美味しい」と笑ってくれる。
それだけだ。
それだけで、十分すぎるほど、幸せなのだ。
「はい、おまちどうさま!濃厚体力味噌ラーメン、一丁!」
私は、出来立てのラーメンをカウンターに置きながら、心からの笑顔で言った。
私の、そして、私たちの長くて温かい物語は、まだ始まったばかりだ。




