第十九話:王の悪手と決戦の夜明け
領主ソラムは、玉座の間で戦況図を睨みつけ、忌々しげに舌打ちをした。
彼の描いた完璧なはずの戦略は、あらゆる局面で頓挫していた。
外からは、ケイレブ率いる亡霊部隊が補給路を脅かし、兵士たちの士気を削り取っていく。
内側では、ギルドが鉄壁の籠城を続け、民衆は非協力的な態度を崩さない。
そして、その民衆とギルドの心を繋いでいるのは、包囲網を嘲笑うかのように現れる、一杯のラーメンの噂だった。
「ヴァレリウス」
ソラムの冷たい声に、執事が背筋を伸ばす。
「はい、我が主」
「まどろっこしい真似は、もう終わりだ」
ソラムは、地図の上でギルドが立てこもる区画を、拳で強く叩いた。
「明朝、全軍をもって、あの区画を蹂躙する。反逆者は一人残らず根絶やしにせよ。見せしめだ。恐怖だけが、愚かな民を支配する唯一の道だと、教えてやらねばなるまい」
「し、しかし、市街戦となれば、我らの損害も…!」
「構わぬ。腐った指は、腕ごと切り落とさねばならん」
それは、もはや為政者の判断ではなかった。
プライドを傷つけられ、己の無能を認められない男が起こす、ただの癇癪。
この街の支配者が、自ら、街を破壊する決断を下した瞬間だった。
ヴァレリウスは、主君の狂気を悟りながらも、黙って頭を下げることしかできなかった。
その夜、ギルドの地下室に、一本の矢文が突き刺さった。
ドルフさんがそれを開くと、そこには短い、震える文字が記されていた。
『明朝、総攻撃。皆殺シノ命令。―――一兵士ヨリ』
領主の非道な命令に、ついに内部から離反者が出たのだ。
その短い手紙が、彼らの最後の望みを打ち砕き、そして、最後の覚悟を決めさせた。
「……来やがったか」
ドルフさんは、矢文を握りつぶすと、ギルドのホールに集まった冒険者たちを見渡した。
誰もが、死を覚悟した静かな顔をしている。
「野郎ども、聞け!」
ドルフさんの声が響き渡る。
「俺たちは、反逆者なんかじゃねえ。俺たちは、ただ、うまいラーメンを食って、仲間と笑い合いてえだけだ。そうだろ!」
「「「オオオオッ!!」」」
「領主様は、俺たちからそれを取り上げようとしてる!俺たちのささやかな日常を、鉄の靴で踏み潰そうとしてるんだ!だったら、やることは一つしかねえよな!」
ドルフさんは、愛用の巨大な戦斧を掲げて叫んだ。
「奴らの喉笛に、噛みついてやれ!俺たちの生きる場所は、俺たちの手で守るんだ!」
ギルドの士気は、絶望を突き抜けて、燃え盛る炎となっていた。
最後の連絡鳥が、ケイレブ様の下へと放たれる。そこに記された伝言は、もはや救援要請ではなかった。
『明日、散る。武運を』
それは、共に戦う仲間への、訣別の言葉だった。
禁忌の森の隠れ家。
連絡鳥がもたらした、あまりにも短い報せに、ケイレブ様は静かに目を閉じた。
彼の周りには、息を殺して成り行きを見守る、精鋭部隊の仲間たち。そして、顔を青ざめさせた私がいた。
「……総攻撃」
私が、か細い声で呟く。
「みんなが……私のせいで、みんなが死んでしまう……」
その時、ケイレブ様が、そっと私の頭に手を置いた。その手は、岩のようにごつごつしているのに、不思議と温かかった。
「聖女様。あなたは、何も間違ってはいない。あなたは、我々に希望をくれた。温かい食事と、戦う理由をくれた。我々が死ぬとすれば、それはあなたのためではない。我々が守りたいものを、守るために死ぬのです」
彼は、私から視線を外し、部隊の仲間たちに向き直った。
「我々は、ギルドの仲間を見殺しにはしない。だが、今から街へ戻り、正面からぶつかっても犬死にするだけだ」
ケイレブ様は、広げた地図の一点を、剣の切っ先で指し示した。
それは、領主の館の背後にそびえる、切り立った崖。誰もが、登攀不可能だと信じている場所だった。
「領主軍の全軍がギルドに集中する。その時、館の守りは最も手薄になる。―――我々は、この崖を登り、敵の王の首、ただ一つを狙う」
それは、常軌を逸した作戦。
成功すれば、指揮官を失った軍は瓦解し、大逆転となる。
失敗すれば、彼らは誰にも知られず、崖の底に消える。
「聖女様」
ケイレブ様が、再び私を見た。
「最後の『奇跡』を、我々に授けてはいただけないだろうか。我々が、この無謀な賭けに勝つための、力を」
私は、涙を拭うと、力強く頷いた。
作れるものは、一つしかない。
私が今、持てる最高の食材と、仲間たちの無事を祈る、全ての心を注ぎ込んだ一杯を。
決戦の夜明け前。
森の隠れ家には、最後のラーメンの湯気が立ち上っていた。
それは、仲間たちの命を預かる、あまりにも重い一杯だった。




