第十四話:囚われの聖女と動き出す街
私が連れてこられたのは、牢獄ではなかった。
領主の館の離れにある、豪奢だが、窓に鉄格子のはまった一室。「賓客の間」と呼ばれる、美しい鳥かごだった。
目の前には、この街の支配者、領主ソラム様が座っている。年の頃は四十代。冷徹そうな、整った顔立ちの男だ。執事ヴァレリウスが、その傍らに控えている。
「ようこそ、聖女殿。いや、莉奈殿と呼ばせていただこうか」
領主ソラムは、まるで世間話でもするかのような口調で言った。
「単刀直入に言おう。私は、君の力が欲しい。君が作り出す、あの『奇跡』の全てを、だ」
彼は、私に夢のような条件を提示した。
国中から最高の食材を集めよう。望むなら、世界で一番大きな厨房を建てさせよう。莫大な富と、誰からも尊敬される地位も与える、と。
「その代わり」と、彼は続けた。
「君の作るものは、全て私のものだ。レシピも、完成品も、その所有権は全て私が管理する。君は、私のためにだけ奇跡を起こすのだ。私の兵士のために。私の外交のために。私の富のために」
それは、鳥かごの餌としては、あまりにも豪華な提案だった。
だが、私は静かに首を横に振った。
「お断りします」
「……ほう。理由を聞こうか」
「私のラーメンは、兵器でも、富でもありません。疲れた人が、お腹いっぱいになって、少しだけ元気になって、『明日も頑張ろう』って思えるためのものです。あなたの兵士が誰かを傷つけるための力になるくらいなら、私は二度と鍋を握りません」
私の言葉に、領主ソラムの目から、すっと温度が消えた。
「……残念だ。君は、自分の価値をまだ理解していないらしい。良いだろう。ここで頭を冷やすがいい。君が、賢明な判断を下せるようになるまで、ここが君の部屋だ」
それは、交渉の決裂を意味していた。
私は、この美しい牢獄に、囚われることになった。
一方、その頃。街は、沸騰した大鍋のように煮えくり返っていた。
「聖女様が、領主の奴らにさらわれたぞ!」
ゴークが血だらけの顔でギルドに転がり込み、そう叫んだのが始まりだった。
「病なんて嘘っぱちだ!俺たちが騙されて、聖女様から引き離された隙に…!」
その報告に、ドルフさんの怒りが爆発した。
「あのクソ領主……やり方が汚ねえぞ……!」
ギルドにいた冒険者たちが、一斉に武器を手に取った。
「野郎ども!聖女様を奪い返しに行くぞ!」
「おう!俺たちのラーメンの恩を、今こそ返す時だ!」
ギルドは、一触即発の状態。もはや内乱寸前だった。
そして、その炎に油を注いだのは、意外な人物だった。
治癒神殿の司教ムツィオが、神殿のバルコニーに立ち、集まった民衆に向かって宣言したのだ。
「聞くがいい、我が信徒たちよ!聖女リナ様が、領主の不当な権力によって囚われた!病という偽りで民を欺き、聖女を誘拐するなど、神をも恐れぬ冒涜である!我ら神殿は、この暴挙を断じて許さない!」
それは、教会が領主に対して、公に「否」を突きつけた瞬間だった。
もちろん、ムツィオに私を助ける気などない。領主の権威を失墜させ、混乱に乗じて教会の影響力を拡大するための、計算ずくの行動だ。
だが、その言葉は、民衆の怒りに火をつけた。
「聖女様を返せ!」「領主は神の敵だ!」
人々は、松明や農具を手に、領主の館に向かって行進を始めた。
たった一杯のラーメンから始まった物語は、ついに街全体を巻き込む、巨大な革命のうねりへと発展していた。
その報せは、最速の伝令鳥によって、街を遠く離れた禁忌の森へと届けられた。
深い森の中、焚き火を囲む『独立補給部隊』。隊長のケイレブ様は、伝令鳥の足に結ばれた小さな羊皮紙を広げ、その文面に目を通した。
『―――聖女様、拉致サル。ギルド、開戦前夜。至急救援ヲ請ウ』
短い文面を読み終えたケイレブ様は、静かに羊皮紙を握りしめ、焚き火の中に投じた。
パチパチと音を立てて燃え上がる炎を、彼は氷のように冷たい目で見つめていた。
彼の部隊は、この二週間で、地図にもない新たな道を発見し、税のかからない希少食材の採取ポイントをいくつも確保していた。任務は、順調すぎるほど順調だった。
だが、もう、どうでもいい。
彼らが守るべき、帰るべき場所が、今、脅かされている。
ケイレブ様は、立ち上がると、休息をとっていた屈強な部下たちに向かって、短く、そして力強く命じた。
「これより、我々の任務を変更する」
森の暗闇に、彼の声が響き渡る。
「我々は、これより聖女リナ様を奪還する。―――街へ、全速力で帰還するぞ」
もはや、彼らは補給部隊ではなかった。
聖女を救い出し、不当な権力者を討つための、精鋭の刃。
街の内側から、そして外側から。
二つの力が、囚われの私を救うために、今、一つになろうとしていた。




