第十三話:静寂の街と仕掛けられた病
ケイレブ様の部隊が旅立ってから、二週間が過ぎた。
街は、奇妙な平穏に包まれていた。
私の「復興ラーメン」はすっかり街の日常に溶け込み、ギルドの厨房は、炊き出しのように毎日温かい湯気を立てていた。冒険者たちの士気は保たれ、民衆の私への支持は、静かだが確かなものになっていた。
だが、その平穏は、薄氷の上にあるかのように危うい。
領主の館も、治癒神殿も、まるで嵐の前の静けさのように沈黙を保っている。彼らがこの状況を、指をくわえて見ているだけのはずがない。
「……不気味だな」
ドルフさんが、腕を組みながら工房の外を眺めて呟いた。
「嵐が来る前の、凪ってやつだ。聖女様、決して一人で工房から出るんじゃねえぞ」
その不安は、最悪の形で的中することになる。
最初に異変の報告がもたらされたのは、街の貧民地区からだった。
「原因不明の熱病が流行している」
最初は、よくある季節病だと誰もが思っていた。だが、患者は日に日に増え、治癒神殿の神官たちが派遣されても、彼らの使う治癒魔法はほとんど効果を示さなかった。
街に、じわじわと不安が広がっていく。
病は、富裕層の住む地区には一切広がらず、貧しい者たちだけを狙い撃ちにするかのように蔓延していた。
やがて、誰が言い出したのか、民衆の間で一つの声が上がり始めた。
「聖女様なら……聖女様の奇跡なら、この病を治せるんじゃないか?」
「そうだ、聖女様のラーメンは、我々に力をくれた!」
「聖女様、どうか我々をお救いください!」
その声は日増しに大きくなり、やがて無視できないほどのうねりとなって、ギルドにも届いた。
工房でその知らせを聞いた私は、血の気が引くのを感じた。
(罠だ……!)
あまりにもタイミングが良すぎる。あまりにも、私を名指しするような状況ができすぎている。
私の力は、料理の知識だ。病を治すことなどできるはずがない。これは、私を工房から引きずり出すための、領主か神殿の卑劣な罠に違いなかった。
「絶対に行くんじゃねえぞ、聖女様!」
ドルフさんが、私の顔を見るなり釘を刺した。
「奴らの思う壺だ。お前が行って何もできなけりゃ、『偽りの聖女』の汚名を着せられて終わりだ!」
ドルフさんの言う通りだ。頭では、痛いほど理解している。
でも、私の脳裏には、復興ラーメンを「美味しい」と笑って食べてくれた、あの人々の顔が浮かんでいた。彼らが今、病に苦しんでいる。それを、罠だと分かっているから見捨てる?
そんなことをしてしまったら、私のラーメンは、ただの自己満足の産物になってしまう。
私が守りたかった、あの温かい食卓の光景を、私自身が裏切ることになる。
「……行きます」
私は、決意を固めて顔を上げた。
「聖女だからじゃありません。料理人として、です。病で弱っている人たちに、温かくて、栄養のあるものを食べさせてあげたい。それだけです」
私の目に宿る光を見て、ドルフさんはそれ以上何も言わず、ただ深くため息をついた。
「……分かった。だが、条件がある。ゴークを連れていけ。それから、ギルドの腕利きを数名、護衛につける。絶対に、一人になるな」
貧民地区は、衛兵によって厳重に封鎖され、異様な空気に包まれていた。
私とゴーク、そして護衛の冒険者たちは、衛兵たちの値踏みするような視線の中、地区へと足を踏み入れる。
家々からは、苦しそうな咳の音や、うめき声が聞こえてくる。
私は、持ってきた大鍋で、消化に良い米と野菜を使ったお粥を作り始めた。前世の、風邪をひいた時に母が作ってくれた、あの優しい味を思い出しながら。
「聖女様だ!」「聖女様が来てくださった!」
人々は、私の姿を見て涙を流して喜んだ。
私は、一人一人にお粥を配り、「しっかり食べて、体を温めてくださいね」と声をかけて回る。
その時だった。
地区の奥から、けたたましい悲鳴が上がった。
「大変だ!井戸に魔物が落ちたぞ!」
その声に、護衛の冒険者たちが「何!?」とそちらへ駆け出していく。ゴークも、私を振り返り、「聖女様、ここを動かないでくだせえ!」と言い残して、騒ぎの中心へと向かった。
人為的に作られた、あまりにも分かりやすい混乱。
私が一人になった、その瞬間。
背後の物陰から、ぬっと一人の男が現れた。執事のヴァレリウスだった。
彼の顔には、いつもの丁寧な笑みはなかった。
「聖女殿。その慈悲深さ、まことに感服いたします。ですが、その類まれなる才能は、もっと大きな目的のために使うべきだ」
彼の言葉を合図に、周囲の建物の陰から、領主の私兵たちが音もなく現れ、私を包囲した。彼らは、病人を救護する者たちの目ではなかった。獲物を狩る、狩人の目をしていた。
「領主ソラム様が、あなた様の身柄を、丁重に『保護』せよ、と」
「……これが、あなたたちのやり方ですか」
「やむを得ません。あなたは、あまりに多くのものを持ちすぎた」
騒ぎの声が遠のいていく。
ゴークや仲間たちが、罠だと気づいて引き返してきても、もう間に合わないだろう。
私は、聖女として祭り上げられ、街の希望となり、そして今、その希望の象徴であるがゆえに、囚われようとしていた。
私のラーメンが紡いだ物語は、最悪の形で、新たな章を迎えようとしていた。




