第百二話:世界で一番のごちそう
世界が、息をのんでいた。
豪華絢爛たる「覇王の宝冠ラーメン」の隣に、あまりにも素朴な、一杯のおじや。勝敗は、誰の目にも明らかに見えた。ステージの上の私は、世界中からの憐れみと、嘲笑の視線に晒されていた。
レオは、その光景を、自らの勝利を確信する王のように、静かに見下ろしている。
審判員長である老公爵が、困惑した表情で、私に問いかけた。
「……聖女殿。これは、一体……?テーマは『世界を一つにする一杯』であったはず。これは、ラーメンですらない。ただの、残飯の雑炊では……」
その言葉に、私は静かにマイクの前に立った。
「いいえ」
私の声は、魔法で増幅され、世界中に響き渡った。
「これは、私が知る、世界で一番のごちそうです」
私は、審判員たちに、そして世界中の人々に向かって、ゆっくりと語り始めた。
「レオ様が作られた一杯は、本当に素晴らしいものでした。世界中の富と、最高の技術を集めた、まさに王様のための一杯です。ですが、その一杯を食べられるのは、世界でほんの一握りの、選ばれた方々だけです」
私は、自分の目の前にある、温かいおじやを、愛おしそうに見つめた。
「私のこの一杯は、誰にでも作れます。昨日の残りのスープと、野菜の切れ端と、少しの冷やご飯。それさえあれば、王様でも、農夫でも、北の国の鉱山夫でも、南の島の船乗りでも、誰もが、この温かい食卓を囲むことができるのです」
私は、前世の記憶を、物語として語った。
「私の故郷には、『もったいない』という、美しい言葉がありました。それは、全ての食材に宿る命を、最後まで慈しみ、感謝していただく、という祈りの言葉です。この一杯は、その祈りそのものなのです」
「一杯のラーメンを楽しんだ後、そのスープの最後の一滴まで、野菜の切れ端一つまで、感謝していただく。それは、豪華な食材を買い集めることよりも、ずっと尊い、食の心だと思いませんか?」
「世界を一つにするもの。それは、誰もがひれ伏す一つの『価値』ではありません」
私の声が、熱を帯びる。
「世界中、どんな場所でも、どんな貧しい食卓でも、今ある恵みに感謝し、それを大切な誰かと分ち合う、その『心』です。この一杯は、その心の象徴です。これこそが、私の信じる、世界を一つにする一杯です!」
私の演説が終わった時、広場は静まり返っていた。
審判員たちは、目の前のおじやを、もはや残飯として見てはいなかった。その素朴な器の中に、あまりにも深く、そして温かい哲学が宿っていることに、気づき始めていたのだ。
老公爵が、震える手で、レンゲを口に運んだ。
爆発的な美味さはない。だが、その優しい味わいは、彼の魂を、幼い頃、母親が作ってくれた一杯の粥の記憶へと、連れ戻した。
隣の美食家も、そのまた隣の貴婦人も、誰もが、その一杯の向こうに、自らの人生で最も温かかった、食卓の風景を見ていた。
それは、味覚の審査ではなかった。魂の審査だった。
やがて、老公爵は、ゆっくりと立ち上がった。
彼はまず、レオに向かって深く一礼した。
「レオ殿。あなたの一杯は、生涯忘れ得ぬ、至高の芸術品でした」
そして、彼は私に向き直ると、その目に、温かい涙を浮かべて、言った。
「……しかし、聖女殿。あなたの一杯は、我々に、食事が何のためにあるのかを、思い出させてくれた。……勝者は、聖女リナ殿。あなただ」
その言葉を合図に、世界は、歓声に包まれた。
それは、ただの勝利を祝う声ではなかった。世界中の人々が、自らの食卓の価値を再発見した、喜びの産声だった。
レオは、その光景を、ただ黙って見ていた。
彼は、商品を売ろうとした。だが、私は、文化そのものを、世界中の人々の手に、返したのだ。彼は、生まれて初めて、金では決して買えないものの存在を知った。
彼は、誰にも告げずに、静かにステージを去っていった。
数ヶ月後。
世界は、確かに変わっていた。
四海通商連合の『SEIJO RAMEN』は、歴史からその姿を消した。
代わりに、世界中の、名もなき村や街の酒場から、新しいラーメンの湯気が、無数に立ち上っていた。
北の国では、人々が残ったスープで「馴鹿おじや」を囲み、南の島では、獲れたての魚の骨で取った出汁を、一滴残さず分ち合っていた。
『聖女の厨房』の壁には、世界中から届く、子供たちの拙い文字で書かれた手紙が、びっしりと貼られている。
『リナおねえちゃん、きょうも、のこさずたべたよ!』
その手紙を、私は、仲間たちと、そして、時々ふらりと手伝いに来るジロと、一緒に眺めていた。
「……どうやら、私の負けだったようだな」
ジロが、少しだけ悔しそうに、しかし、どこか嬉しそうに呟いた。
私は、ただ笑って、首を横に振った。
私の物語は、もう、私だけのものではない。
この世界の、無数の食卓で、新しい物語が、毎日、生まれ続けているのだから。
私は、エプロンの紐をきゅっと結び直した。
厨房には、まだ仕込みが残っている。
明日もまた、お腹を空かせた誰かが、この温かい湯気を待っている。
私の、そして私たちの長くて温かい物語は、これからもずっと、続いていく。
この、一杯のラーメンと、それを分かち合う笑顔がある限り、どこまでも。




