第百話:最後の挑戦状
王都にオープンした『SEIJO RAMEN』第一号店は、ゴーストタウンのように静まり返っていた。規格化された魂のないスープは、人々の心を掴むことができず、その壮麗な店舗は、レオナルド・デ・ロッシの最初の、そして決定的な敗北の記念碑として、大通りに虚しく佇んでいた。
その報告を受けたレオは、彼の本拠地である蒸気船の船長室で、一人、魔法の水晶に映し出される世界地図を睨んでいた。地図の上には、彼が築き上げた商業航路が、美しい幾何学模様を描いている。だが、その航路の至る所に、小さな、しかし無視できない温かい光が、次々と灯り始めていた。北の鉱山都市、南の港町、砂漠のオアシス……莉奈の弟子たちが灯す、新しいラーメンの湯気だった。
彼の完璧な商業網が、その予測不可能な文化の温もりに、内側から侵食されていく。
「……感傷が、私の資本を食い尽くすだと?」
レオの低い声が、静かな船長室に響いた。その声は、怒りというより、純粋な、そして冷徹な知性が見せる、最大限の苛立ちに満ちていた。
「非合理的な。だが、認めよう。あの女のやり方は、私の想像を超えていた。ならば……」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。その瞳には、敗北の色はない。追い詰められた獣が放つ、最後の、そして最も危険な光が宿っていた。
「ならば、戦場を変えるまでだ。文化という曖昧な亡霊を、絶対的な『技術』という白日の下に引きずり出してやる」
彼は、船に搭載された、最大出力の通信魔道具の前に立つと、連合の全魔力を注ぎ込み、その声を、王国全土、いや、弟子たちがいるであろう大陸の果てまで、届かせた。
その日の正午。
私たちの街の広場の上空に、突如として、レオナルド・デ・ロッシの巨大な幻影が浮かび上がった。王都でも、港町でも、世界中の人々が、同じように、空に現れた彼の姿に息をのんだ。
『全世界の、食を愛する者たちに告ぐ!』
レオの声が、威厳に満ちて、世界中に響き渡る。
『今、世界には二つのラーメンが存在する。一つは、古き良き伝統と感傷に根差した、麺聖女リナのラーメン。そしてもう一つは、私の連合がもたらした、革新と未来のラーメンだ』
『どちらが、真に世界を豊かにする一杯なのか。その答えを、白日の下に、全世界の前で、明らかにしようではないか!』
彼は、幻影の中で、私、莉奈に、まっすぐな視線を向けた。
『麺聖女リナ!君に、最後の挑戦を申し込む!全世界に魔法中継される、公開料理対決だ!』
広場が、どよめきに揺れる。
レオは、不敵な笑みを浮かべ、最後の、そして最も壮大なテーマを、世界に告げた。
『テーマは、「世界を一つにする一杯」。君の感傷か、私の技術か。どちらが世界を繋ぐにふさわしいか、決めようではないか!もし、君がこの挑戦から逃げるというのなら、世界は知るだろう。聖女の奇跡とは、この程度のものだったのだと!』
その言葉を最後に、幻影は光の粒子となって消えていった。
後に残されたのは、呆然とする人々と、私に突きつけられた、あまりにも重い挑戦状だった。
その日の夕方、『聖女の厨房』は、街の重鎮たちで埋め尽くされていた。
「あのクソ野郎、最後の博打に出やがったな!」ドルフさんが、怒りに拳を震わせる。
「受けてはいけません、莉奈さん!」ミーシャは、青ざめた顔で私に訴えた。「これは罠です!テーマが『世界』ということは、彼はその資金力で、世界中の最高級食材をかき集めてくるでしょう。富と権力の象徴のような一杯で、私たちのラーメンを、貧しく、陳腐なものだと、世界に印象付けるつもりです!」
その通りだった。ジロもまた、冷静に分析する。
「戦場を変える気だ。奴は、お前の得意な『人の輪』のラーメンが通用しない、全く別の土俵を用意した。これは、純粋な技術と、食材の豪華さを競う、貴族の品評会だ。お前に、勝ち目はない」
誰もが、反対した。誰もが、私を心配してくれていた。
私は、黙って、厨房の壁に貼られた、ケンとアヤからの手紙を見つめていた。馴鹿の骨のラーメン。海竜の出汁のラーメン。彼らは、それぞれの場所で、私の教えを、新しい文化へと花開かせてくれている。
もし、私がここで逃げたら?
彼らが世界中で灯した、あの温かい湯気は、「偽物の聖女の、偽物の教え」として、嘲笑の対象になるだろう。
「……やります」
私の静かな一言に、厨房は静まり返った。
「受けます、その挑戦」
私は、仲間たちの顔を、一人一人、しっかりと見つめて、言った。
「これはもう、私と彼の戦いじゃない。世界中に灯った、たくさんの温かい厨房の灯りを、守るための戦いです。そして、世界を一つにするのが、金貨で買える豪華な食材なんかじゃないってことを、私の一杯で、世界中に証明してみせます」
私の瞳に宿る、揺るぎない決意を見て、もう誰も、何も言わなかった。
ドルフさんが、ケイレブ様が、そしてジロさえもが、静かに、そして力強く、頷いた。
世界の運命を賭けた、最後の一杯。
そのための、静かで、そして熱い戦いが、今、始まった。




